函館へ

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 下北半島の山の中にある奥薬研温泉の宿にいる。

 9時頃、出発準備完了。

 フロントのおじさんによれば、今年は積雪が例年の3分の1で、雪像祭りもできないという。いつもの年なら少なくとも1.5メートルは積もるらしい。

 それから函館の街が青函トンネルの開通をきっかけに大きく変わったこと、大きなホテルや旅館だと客は「もてなす」というより「扱う」とか「こなす」とかいう感じになってしまい、心のこもったサービスなどできないということ(つまり、この宿みたいな小さな旅館のほうがサービスがいいと言いたかったようだ)などの話を聞くうちにバスの時間になり、「これ、粗品ですけど」という爪切り(ちょうど欲しかったので助かった)をありがたく頂戴して、9時10分発のバスで大畑駅へ。

 ところで、困ったことに腕時計が止まってしまった。どこかで電池を交換してもらわねばならないが、時計なしで旅行するのも面白いかもしれない、とも思う。

 とにかく、今日はこれからバスで本州最北端の大間へ行って、そこからフェリーで函館へ渡るつもりである。フェリーは早朝の便を除けば、あとは14時出航の便のみだから、時間はたっぷりある。

 大畑駅発10時発の佐井行きのバスは大畑の街を出ると、すぐに峠を越え、津軽海峡に面した海岸ルートをたどる。海の向こうには北海道が遠く望まれ、ちょっと感動する。

 昭和60年3月に20日間にわたる北海道旅行を終えて、深夜の連絡船で函館をあとにした時、北海道は再び遥かなる憧れの大地へと遠ざかっていったのだが、それ以来、4年ぶりの5度目の渡道ということになる。とはいえ、今回は函館へちょっと上陸して、すぐ帰ってくるだけなので、それが少し寂しくもあり、もどかしくもあるのだが・・・。

 

 それはさておき、北海道へ行く前に海辺の温泉に立ち寄ろうと思い、下風呂でバスを降りた。

 まずは漁港を訪れる。漁船が繋留された港の風景を眺め、波飛沫に濡れた防波堤の先端近くまで足を進めると、風が強く、波が高くて、恐ろしいぐらいだった。

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 その防波堤を引き返しながら、下風呂の家並みを見やって気づいたのだが、背後の山裾に古いアーチ橋がずっと続いている。まるで古代ローマの遺跡みたいだが、どうやら鉄道線路の跡のようである。でも、こんなところに鉄道が通っていたという話は聞いたことがない。

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 これは後日知ったことだが、昔、国鉄大畑線を大間まで延長する計画があって、工事が進められたものの、開通まで漕ぎつけることはできず、完成したアーチ橋などが未使用のまま放置されているとのことだった。

 下風呂温泉の共同浴場は「新湯」と「大湯」の2軒があり、「大湯」へ行ってみた。近くの金森商店で150円の湯札を買い、それを番台のおばちゃんに渡すというシステムになっている。硫黄のにおいが立ちこめる古めかしい浴場で、身も心も温まった。

 

 湯上りのホカホカ気分で、さらに進む。ヒッチハイクも考えたが、ほどなく11時55分発のバスが来た。

 バスはひたすら津軽海峡沿いを走る。さすがに風景も最果ての色が濃くなってきた。本州最北端の岬にそびえる白と黒の大間崎灯台が右に見えてくれば、大間の集落が近い。

 大間到着12時35分。
 ここは本州の北の果て。道端に汚れた雪がわずかに残る閑散とした大通りに「東京798㎞ 仙台448㎞ 盛岡264㎞」の方面標識が掲げてあった。

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 函館行きのフェリーの出航まで1時間半近くあるので、とりあえず時計屋を探して、腕時計の電池を交換してもらう。時計のない旅は半日で挫折、ということになった。

店のおばちゃんは店内の時計を見ながら時刻を合わせてくれたが、その時計がまるで頓珍漢な時刻を指していて、「あら、まちがえた。失礼、失礼」といって、正しい時刻に合わせ直してくれた。

 それから本州最北の本屋・高橋書店で文庫本を2冊購入。店のおじ(い)さんに「旅行ですか?」と聞かれ、これから函館へ渡りますと答えると、フェリー乗り場への行き方を丁寧に教えてくれた。
「大きな船だから揺れないよ」とのこと。

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 さて、フェリー乗り場には東日本フェリーの「ばあゆ」という船が待っていた。意外に立派な船で、1,529トン、定員470名。

 券売機で1,000円の乗船券を買い、乗船名簿に記入して、食堂で味噌ラーメンを食べて、13時40分頃、車両甲板から乗船。

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 客室内は今は亡き青函連絡船とは比較にならぬほど小規模ながら、想像していたよりはずっと新しくてキレイだった。カーペット敷きの席が主流で、そこに数少ない乗客が寛いでいる。売店にはキタキツネのイラスト入りのマグカップなども売っていて、改めて北海道へ行くんだなぁ、と思う。

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(本州最北端の大間崎。津軽海峡の彼方にはうっすらと北海道も見えている)

 船は定刻より10分ほど遅れて、14時10分頃、大間港を出港した。ここはすでに北海道の最南端・白神岬より北に位置し、すでに函館山もぼんやりと見えている。函館まで40キロ、1時間50分の船旅である。

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 青森からだと出航後もしばらくは陸奥湾内なので、わりと穏やかな船出となるが、大間からはいきなり津軽海峡だから、港を出ると早くも船が揺れだし、船体にぶつかる波飛沫が甲板上まで飛んでくる。

 上空には雲が多く、青さを失った海面を雲間から差し込む光が銀色に照らしている。

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 航海は楽しかった。甲板に出たり、船内のテレビを見たり、退屈せずに海峡を渡り終え、いつしか函館山が間近だった。

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(海峡に突き出た函館山

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函館山を回り込むと函館港が見えてくる)

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 フェリーは函館山を回って、定刻通り15時50分頃、函館港に到着。車両が先で、一般乗客はしばらく待たされた後、先端部の車両搬出口から下船。

 函館フェリーターミナルは大間より遥かに規模が大きく、車両の待機場も広い。青函トンネルが開通しても、トラックなど自動車輸送は今もフェリーが頼りで、青函航路には昼夜を問わずフェリーが運航されているのだ。

 函館の市街まではバスもあるらしいが、船の上から見た感じでは中心街までそう遠くなさそうだったので、とりあえず歩き出す。

 国道に出ると、「右函館市街、左札幌方面」の標識があって、それを目にした途端に今本当に北海道の土を踏んでいるのだという実感が込み上げてきた。これまであちこちを旅してきたけれど、やはり北海道への思いは格別なものがある。

 

 それにしても、青森の街は路面も真っ白だったのに、函館にはまったく雪がない。建物の陰にわずかに白いものが見えるだけ。2月なのに積雪ゼロ。やはり記録的な暖冬なのだ。

 とにかく、4年ぶりの北海道の空気を味わいながら歩くうちに、いつしかあたりは人気のない倉庫街だった。旅行者を歓迎するようなものは何もない。風景に馴染んでいない自分を感じながら、ただひたすら歩く。

 だんだん分かってきたのだが、函館の中心市街は思った以上に遠いらしい。地図もないし、自分がどこにいるのかもよく理解していないのだが、目印の函館山の見え具合からしてもまだ距離がありそうだ。しかも、国道から外れて、バスが通る気配もない。上空に広がる雲には夕陽が照り映えている。

 結局、函館の駅前までは1時間以上はたっぷり歩いた。途中でようやく市電の線路にぶつかり、ホッとしたが、荷物がやけに重く感じられた。

 懐かしい函館駅青函連絡船を失った以外はあまり変わっておらず、列車の発車案内板に青函トンネルをくぐる青森行きの列車が表示されているのだけが新鮮だった。とにかく、駅は旅人にとっては心の拠りどころであり、気持ちが安らぐ。

 宿は決めていなかったが、駅周辺にホテルはいくつもあり、駅前市場裏手のビジネスホテルに投宿。

 

 荷物を置いて、またすぐに夕暮れの街へ。身軽になって、地元の人たちと変わらない恰好で歩けるのが嬉しい。東京での日常生活と同じ服装なので、さすがに寒いが、いかにも旅行者です、よそ者です、という浮いた存在にならないのがよい。

 函館駅前を歩いていると、旅行者風のおじさんに、

「市電の終電は何時ですか?」

 と尋ねられた。もちろん、知らないので、「僕もこの土地の人間ではないので・・・」としか答えようがなかったが、地元民に見えるらしい、と気をよくして街を徘徊した。

 例によって書店やレコード店などに立ち寄ったりした後、急に観光客に戻って、夜景見物に出かける。函館山の麓まで歩いたが、日が暮れるとさすがに冷え込んできた。

 函館山といえば、6年前に函館のユースホステルで知り合った同士で歩いて登ったことがある。ロープウェイが悪天候で運休になったためだが、街灯もない真っ暗な雪道を男2人、女4人のグループで歩き続け、ついに眼下に街の夜景が広がった瞬間の感動はも忘れられない。

 さて、今日はロープウェイを利用するつもりで、山麓の乗り場に着くと、いつのまにかなんだかとても立派になっている。青函トンネルの開通に合わせて改修したらしい。観光バスもたくさん来ていて、いわゆるギャルがいっぱいである。

 僕は函館の街には古いモノクロームの写真を一枚一枚めくりながら遠い日の記憶をたどるような魅力があるという風に思っていたが、そんな寂れた街のイメージを一新すべく函館の逆襲が始まっているらしい。

 ロープウェイはフランスの技術を導入した125人乗りという大型で、「フランスの技術」という点も売り物になっているのだろう。往復1,100円。

 とにかく、乗り込んで、グングン登っていくと、たちまち海に囲まれた半島状の函館市街の夜景が広がっていく。歓声をあげるギャルズ&オバサンズに交じって、最初は冷めた気分だったが、やはり夜景の美しさにはしみじみとした感動を覚える。

 3分ほどで山頂に着くと、こちらがまたやけにオシャレになっている。函館の歴史とも風土とも無縁の未来的なイメージで、暖房のきいた展望フロアは観光客で賑わい、レストランではカップルが夜景を眺めながら食事をしていたりする。ひとり旅の男にとってはあまり居心地はよくない。雪の積もった屋外に出て、しばらく夜景を眺め、ちっぽけな光の街を取り巻く真っ暗な海と大地の闇の深さの印象も心に刻み込んで、山を下りた。

 それから函館山の麓の、これもきれいに化粧直しをされたハリストス正教会などを眺めて、中心街に戻り、函館駅前の定食屋で夕食。