殿ヶ谷戸庭園

 日曜日のサイクリングの話の続き。
 小金井市の滄浪泉園を散策した後、まだ少し時間があったので、中央線の線路沿いに西へ走って、国分寺駅そばにある都立殿ヶ谷戸庭園へ行く。

 殿ヶ谷戸庭園浜離宮庭園六義園、後楽園など東京に9か所ある都立庭園の中で都心から最も離れた郊外にあり、滄浪泉園と同じく国分寺崖線の段差を利用した庭園である。もとは別荘だったところも滄浪泉園と同じ。多摩川河岸段丘の最上段にあたる武蔵野台地の縁という立地は昔は眼下に美しい田園風景を見渡せる景勝地で、政財界の大物たちが競って別荘、別邸を建てたのだろう。
 殿ヶ谷戸庭園の入園料は150円。こちらも訪れるのは久しぶりで、記憶の中では滄浪泉園と似たような印象を抱いていたが、改めて散策すると、深山幽谷の趣すら感じさせる滄浪泉園に比べると、殿ヶ谷戸庭園はより庭園として整備されていた。
 そもそも、ここは三菱合資会社の社員で後に南満州鉄道副総裁から貴族院議員にもなった江口定條(えぐちさだえ)が大正2〜4年に別荘を構え、「隋宜園」と命名したのが始まりで、その後、三菱財閥の岩崎彦彌太が江口家から買い取り、昭和9年に和洋折衷の主屋に建て替え、崖上の洋式庭園と崖下の湧水池を結ぶ回遊式庭園を完成させたとのこと。
 武蔵野の貴重な自然が残るこの庭園も昭和40年代になると周辺の開発計画が持ち上がり、保全を求める住民運動が発端となって、昭和49年に東京都が買収し、整備の上、有料庭園として開園。平成23年には国の名勝にも指定されている。
 では、散策スタート。
 まずは芝生の洋風庭園が広がる。滄浪泉園に比べると、この崖上の平坦な部分が広々としている。国分寺駅に近い便利な立地のせいか、滄浪泉園より来園者の数も多い。すでに夕方だから昼間はもっと多かったのかもしれない。


 萩のトンネルや藤棚もあるが、いずれも季節外れなので素通りして、崖下へ下っていく。

 竹林の中の小径を行くと、池が見えてきた。もちろん、国分寺崖線の「ハケ」からの湧水の池で、昔から「次郎弁天池」という名前があり、かつては弁財天が祀られていたらしいが、どこにあったのかは分からないらしい。

 水源。縄文人も飲んでいたらしい。湧出量は毎分37リットルとのこと。今も変わらないのかどうかは分からないけれど。



 今の季節はツワブキの黄色が目に付く。

 馬頭観音国分寺市内に残る11基のうちのひとつ。文政7(1824)年建立。当時の国分寺村は戸数66、男157人、女149人、馬22頭という状況で、農耕や輸送に欠かせない存在だった馬の息災や死んだ馬の供養のために馬頭観音を建立することも盛んだった。




 再び崖上に戻ると、池を見下ろす紅葉亭。茶室として建てられたもの。


 鹿おどし。

 金魚の泳ぐ池。これは崖上なので、井戸水か。この池は滝となって、下の池に注ぎ、最後は庭園の外へ出て、野川に通じている。

 国分寺崖線立川市から世田谷区まで続く国分寺崖線の各所に多くの湧水があり、それらが野川の水源となっている。


 この日の月。

(おまけ)
 小金井市内の中村研一美術館裏の湧水。この水も野川に通じている。