安曇野サイクリング(その1)

 9月10日の早朝から出かけて、9時35分に長野県の松本に到着。9時55分発の大糸線に乗り換えて、10時21分に安曇野の玄関口、穂高に着いた。観光客や登山客がどっと降りる。僕も降りる。

 久しぶりの安曇野を歩いて散策するつもりだったが、駅前に何軒かレンタサイクル屋があり、そのうち一番安いと宣伝していた「しなの庵」(昔は蕎麦屋と兼業だったらしい)で自転車を借りた。電動アシストとかマウンテンバイクとか、いろいろあるようだったが、大方は出払ってしまって、普通の自転車(3段変速)を借りる。1時間200円で、後払い制。サドルの高さもしっかり調節してもらい、地図をもらって、3時間ほど自由気ままに走り回るつもりで出発。

 とりあえず、過去に何度も行った大王わさび農場方面へ自転車を走らせる。輪行して駅前で自分の自転車を組み立てて走り出す時の気分に似て、やはり気持ちがいい。

 道しるべがあちこちに立っているので、それに従い、快調に走る。安曇野を訪れるのは1993年5月以来だから、29年ぶりか。当時の穂高町が合併で安曇野市になっているし、前回までの印象より建物が増え、田舎っぽさが薄れた気がする。

 それでも街をはずれると、田畑が広がり、清らかな水が流れ、ワサビ田も見られるようになる。そして、道端には道祖神安曇野道祖神がとても多いところである。北アルプスの高峰は雲に隠れ、前衛の山々も山頂はほとんど隠れている。

 やがて、「水色の時道祖神」にやってきた。安曇野に来るたびに訪れる場所だが、付近の道路が舗装されたり、敷地が整備されたりして、なんとなく雰囲気が変わった。

   

 下の写真2枚は1988年10月。道祖神脇の道は未舗装だった。

 今まで詳しいことは知らなかったが、昔、NHKの連続ドラマに『水色の時』というのがあったのは微かに記憶があり、恐らくドラマの舞台が安曇野で、ドラマの中に登場した道祖神なのだろうな、と想像はしていた。

 ただ、このなんとなく円空仏を思わせる道祖神安曇野のほかの道祖神とは明らかに表現方法が違っていて、少し違和感もあったのである。

 新しい説明板が立っていて、謎が判明した。
 『水色の時』はNHK連続テレビ小説第15作として1975年に放映され、松本、安曇野が舞台だったという。ヒロインは大竹しのぶ。で、ドラマの中に登場し、視聴者に深い印象を与えたのが、この道祖神で、これはNHKの依頼で彫刻家の須藤賢氏が彫ったものだそうだ。その制作過程で女神像が剥落してしまい、結果的に男神より奥まったところに慎ましく女神が位置する独特の道祖神が誕生したとのこと。

 なんだ、ドラマ用に作られたものだったか、と、ありがたみが薄れる気がしないでもなかったが、優れた彫刻作品ではあるのだろう。とにかく男女神がひしと抱き合う道祖神を拝んで、再び走り出す。

 安曇野は周囲をぐるりと山々に囲まれていて、今日は北アルプスの峰々は見えないかわりに、どちらを向いてもホレボレするような雲が湧いて、雲の峰が風景を素晴らしいものにしている。

 赤いママチャリ風自転車もカッコイイとはいえないが、フラットハンドルで、太めのグリップが手に馴染み、走りやすい。徒歩での散策も悪くはないが、自転車が断然いい。安曇野に行かれる方にはレンタサイクルをお勧めします。

 とにかく、駅から3キロほど走って、大王わさび農場へやってきた。

 記憶よりも観光地化が進んだようで、広い駐車場には観光バスも止まっていて、ゾロゾロと降りてきたのは外国人の団体。ガイドらしい日本人男性が「ボンジュール」と挨拶し、団体も一斉に「Bonjour」と返しているからフランス人らしい。「えー、それではですね~」とガイド氏はいきなり日本語になっていたが、通じるのか、通訳がいるのか。駐輪場に自転車を残し、足早に通り過ぎたので、その辺は不明。そもそもフランス人がワサビ田を見て面白いのかどうか分からないが、ここは安曇野を代表する買い物スポットなので、観光バスが必ず立ち寄る場所である。

 大量の冷たい地下水が湧き出す安曇野はワサビ栽培が盛んで、なかでも大王農場は大規模。見事なワサビ田が広がるが、今はすべて黒い遮光ネットに覆われている。

 けっこう気温が高くて、まだツクツクボウシやミンミンゼミの声が聞こえた。コオロギの声も聞こえる。ワサビ田で水音がすると思ったら、カラスが行水をしていた。

 ところで、この農場名の「大王」だが、説明板によると、平安時代、この地域を治めていた怪力無双の魏石鬼八面大王と呼ばれた人物に由来するという。八面大王は全国統一をめざす朝廷が派遣した坂上田村麻呂の軍勢から村を守るために戦ったが、奮戦むなしく敗れ、処刑されてしまった。朝廷軍はあまりにも強い八面大王が生き返るのを恐れ、遺体をバラバラにして埋葬し、胴体を埋めた場所がこの農場の一角であったという伝承から、農場内に大王神社を祀ったという。どこまで本当かは分からないけれど。

(八面大王を祀る大王神社)

 彼岸花が咲いていた。

 まえにここでワサビ茶漬けを食べたのが美味しかったという記憶があり、また食べたいと思っていたのだが、食事処には順番待ちの行列ができていたので、諦める。コロッケやソフトクリームなどのフードコートや生ワサビやワサビ製品などの売店も賑わっていたが、結局、何も食べず、何も買わずに出てきた。

 

 大王農場をあとに田んぼの中の道を南へ走る。この秋初めてモズの声を聞いた。

 それにしても、気持ちがよすぎるサイクリング。もうずっと走っていたくなる。1時間200円(電動やスポーツ車は300円)だから、5時間借りても1,000円だ。1日(24時間)だと1500円である。

 花盛りのソバ畑。

 やがて、ハイジの里という農産物直売所があり、隣接する乗馬クラブの馬を眺めて、再び走り出す。

 今回安曇野に来た一番の目当ては道祖神である。もらった地図にも主な道祖神の所在地に印がついているので、これを参考に道祖神探訪を始めよう。

 

 ハイジの里から西へ向かい、万水川の清流を渡って、穂高駅の南隣の柏矢町駅に近い集落に迷い込むと、さっそく見つけた。

 そうそう、この着色された道祖神が見たかったのだ。初めて見た時は誰かが悪戯で色を付けてしまったのかと思ったが、これが安曇野道祖神である。

 そして、男女神が酒器を手にしているは祝言をあげている様子を表現。ここから縁結び、夫婦和合などの御利益があるとも言われるが、本来、道祖神は村の入口や辻に祀られ、疫病や災厄が侵入するのを防ぐ守り神である。

 これから次々と道祖神が登場。

 つづく

中央本線で松本へ

 この夏は十数年ぶりで青春18きっぷを購入し、房総半島、静岡、上越線茨城県に出かけた。あと1日分を残したまま使用期限の9月10日を迎えた。もう十分に元は取ったが、使い残すのももったいないので、最終日の10日に出かけてきた。

 行きたい場所はいくらでもあったが、久しぶりに信州・安曇野まで行ってみようと思い、4時半過ぎに家を出て、京王線の始発で出発。

 京王線で高尾まで行き、高尾始発6時14分の中央本線松本行きに乗車。この電車に乗ると、新宿7時発の特急「あずさ1号」よりも早く松本まで行けるのだ。どちらにせよ、往路は特急には乗らないけれど、今日は帰りは特急でもいいかな、と思っている。

 列車は211系のロングシート車で、座席はほぼ埋まり、座れはしたものの、ゆっくり景色を眺めることはできない。登山客が多いのは、この路線の特徴だ。

 向かい側のシートに座る人たちの頭越しに車窓を眺めることはできても、自分が背にしている窓の外の風景をちょっとでも見ようとすると、右を向いても左を向いても、そこに若い男の横顔があり、どちらもスマホの画面をずっと見つめているが、そちらを向いた僕の視線が気になるようだった。景色を眺めるのは半ば諦め、読みかけの文庫本を取り出す。

 そもそも、僕が初めて一人で旅行に出かけたのは小学校を卒業した春休みだった。その直前の連休に家族で長野県を旅行した際、帰りの中央本線の急行が通路にもぎっしりと人が立つほどの満員で、我々一家は4人掛けのボックスに幼稚園児の弟を含め5人で座っていたのだったが、その時にこんな満員電車ではなく、空いた各駅停車でのんびりと景色を眺めながら旅をしたいと思ったのが、今から思えば、すべての始まりだった気がする。それで、早速、春休みに中央本線普通列車に乗って日帰りで上諏訪まで行ってみたのだった。小学校は卒業したが、中学校にはまだ入学していないので、切符は大人料金か子供料金か分からず、新宿駅の窓口で尋ねたら、オトナだと言われ、初めて大人の切符を買ったのを覚えている。4月になっていたから、もう中学生という扱いだったのだろう。わざわざ訊かなければ、子ども料金で乗れたかな、と当時も考えたし、今でもちょっと思ったりするが、そういうずるいことをしなくてよかったとも思ってはいる。正式な中学生だったら、学割が使えたのか。

 とにかく、あの時は塩山付近で「あ、扇状地だ」などと思いながら、ひとり車窓に見入っていたことを思い出す。

 

 さて、今日は扇状地をじっくりと観察することもできないまま、低い雲が山々にかかる墨絵のような風景をぼんやりと眺めるうちに甲府に到着。ここまでに登山客もほとんど降りてしまったが、代わりに部活らしい高校生の一団が乗ってきたりする。それでも韮崎を過ぎると、だいぶ空いてきた。

 空は晴れているが、山々の上には雲が湧き、八ヶ岳もほとんど姿を隠したまま。山間の里には黄金色の田んぼが広がり、コスモスが咲いているが、まだ夏の名残のヒマワリが咲いていたりもする。

 甲府盆地から列車はぐんぐん高度を上げ、標高887メートルの小淵沢小海線を右に見送ると、まもなく山梨県から長野県に入り、最初の駅が信濃境。標高921メートル。

 中央本線はやはり一駅ごとの表情があり、特急「あずさ」で一気に駆け抜けるのもいいけれど、各駅停車で行くのも、やはりいいものである。

 とにかく、日本有数の山岳路線であるから、もともと地形に忠実に建設され、急勾配が連続し、スイッチバック駅も多かった。単線から複線にする際にも線路を並べて敷くことができず、上下線が別々の場所を走る区間も少なくない。路線改良で全く新しい線路や橋梁、トンネルが建設された区間も多い。そうした歴史を垣間見られるのも楽しみのひとつだが、例えば、信濃境~富士見間も新しい路線に付け替えられた区間で、線路の北側に旧線の錆びついた鉄橋(立場川橋梁)が今も残っていたりする。現在の新しい橋に付け替えられたのは1980年のことだというから、僕の初めての一人旅の時は古い鉄橋を渡ったことになる。ちなみに、この線路付け替えで、信濃境~富士見間は距離短縮はわずか0.2キロだが、所要時間は6分から4分に縮まっている。特急列車も大幅にスピードアップが可能になったはずである。

 列車は中央本線最高所の駅、955メートルの富士見を過ぎると、諏訪盆地に向かって下っていき、茅野を過ぎると、ここまでずっと複線だったのが、普門寺信号場から単線になる。特急が行き交う中央本線でも諏訪湖の湖畔を走る岡谷までの区間は今も単線なのだ。

 懐かしい上諏訪を過ぎて、左車窓の町並み越しに諏訪湖を眺めながら、湖の北側を半周し、岡谷には9時06分着。ここから中央本線は二手に分かれる。辰野回りで遠回りの旧線(単線)だと塩尻まで27.7キロあるが、この区間を5,994メートルの塩嶺トンネルで短絡し、1983年に開通した新線(複線)だと11.7キロ。16キロも短縮したのである。そのため、岡谷と松本方面を結ぶ列車はほとんどが新線経由となっている。旧線のうち岡谷~辰野間は飯田線の列車が乗り入れて飯田線の一部のようになっているし、辰野~塩尻間は各駅停車が行ったり来たり、本数も少ないというのが現状である。伊那出身の代議士・伊藤大八の政治力によって岡谷から塩尻をめざしていた中央本線伊那谷の入口にある辰野まで約10キロも引っ張り込まれ、遠回りさせられたと言われるが、この区間が建設された明治時代に6キロものトンネルを掘るのは至難のことでもあっただろう。

 当然、いま乗っている松本行きも新線経由である。ほとんどV字形だった路線の上端を短絡するので、あっという間である。

 長いトンネルを抜け、みどり湖という駅に停まると、まもなく左車窓の田園の彼方に山襞に沿うような旧線が見えてくる。しかも、塩尻に向かって坂を下ってくる2両編成の電車も小さく見える。こちらは塩尻着9時18分。あちらは9時20分着だ。松本行きは塩尻止まりの電車を待たずにすぐ発車した。


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 ところで、中央本線塩尻から松本方面へは行かず、木曽谷を通って名古屋方面へ向かう。松本方面は篠ノ井線である。

 かつては塩尻を出ると線路は名古屋方面と松本方面に分かれており、名古屋から来る列車は塩尻で進行方向を変えて松本、長野方面へ向かっていた。その時間ロスを解消するため、1982年に塩尻駅が約500メートル移転し、東京方面と名古屋方面からの線路が合流した先に新しい塩尻駅が設置されている。旧塩尻駅の位置から名古屋方面へ向かう線路も残っているが、ここを走る旅客列車は存在しない。もともと東京~塩尻間が中央東線塩尻~名古屋間は中央西線と呼ばれているが、東線はJR東日本、西線はJR東海であり、現在は完全に別系統の路線になっているというのが実情だろう。

 とにかく、塩尻から篠ノ井線に入って松本盆地を行く。リンゴやブドウの果樹園や田んぼの中に住宅や工場が増え、盆地を取り巻く山々は山頂に雲をかぶり、全容を見せてはくれない。このあたりはやはり高い峰々に雪がある季節がよいなと改めて思う。

 新宿~松本間は何度も乗ったせいもあり、途中駅の名前を暗唱できるぐらい、ほぼ覚えていて、塩尻の先は「広丘、村井、南松本、松本」と記憶していたが、いつの間にか村井の次に平田という駅ができていた。調べてみると2007年開業とのこと。もう15年も経過しているが、この駅ができてからこの区間に乗るのは初めてだ。

 ついでに書くと、中央本線山梨県内で大月から「初狩、笹子、初鹿野(はじかの)、勝沼、塩山」と続くあたりはリズミカルで好きだった。このうち、初鹿野が甲斐大和に変わったのも残念だが、勝沼が「勝沼ぶどう郷」になってしまったのはどうにも受け入れがたい。まぁ、観光客誘致のための源氏名だと思うしかない。

 9時35分に松本到着。列車を降りると「まつもと~、まつもと~、まつもと~」という女性の声でのアナウンスがホームに流れる。なんだか昭和っぽいというか国鉄っぽいというか、懐かしい雰囲気だ。たぶん2004年以来、18年ぶりに松本にやってきた。過去には新宿から夜行列車で来た、なんてこともあったが、中央本線に新宿や大阪、名古屋から数多くの夜行列車が運転されていたのもすっかり昔話になってしまった。

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 ここまでの話は「高尾6時14分の電車に乗って9時35分に松本に着いた」と書けば済むのだが、つい長くなってしまった。

 

 今回、松本方面へ行ってみようと思ったのは、昔、何度か散策したことのある安曇野をまた歩きたいと思ったからで、ここからは大糸線に乗り換える。

 次の大糸線は9時55分発だから、接続はいい。接続がよすぎるのも慌ただしいので、20分待ちというのはちょうどよい。実は最初は一本後の電車で来ようと思っていて、それだと松本着は10時17分。しかし、乗り換えの大糸線の普通が11時20分発までないので、少し早起きして、今の電車に乗ってきたのだった。

 跨線橋を渡って大糸線のホームに行くと、すでに2両編成のE127系が待っていた。今日の予定はこの電車で穂高まで行き、安曇野を散策するというところまでは決まっている。

大糸線信濃大町行き。隣は松本まで乗ってきた211系電車の回送)

 電車は観光客や地元客を乗せて、立ち客が出る乗車率で発車。穂高到着は10時21分の予定。

 

 つづく

 

 

中秋の名月

 青春18きっぷがあと1日分残っていて、今日が使用期限だったので、長野県方面に出かけてきた。

 今日は旧暦の8月15日。帰りの電車の車窓から撮った中秋の名月

 地元に帰りついたら、駅前でスマホを空に向けている女性がいた。何をしているのかとスマホをちらっと見たら、画面に丸く光るものが写っていた。

 自宅前から撮った月。近くに輝くのは木星か。

(きょうの1曲)キャンディーズ/Moon Drops

 月に関する曲はいろいろあるけれど・・・。キャンディーズムーンライダーズの「Moon Drops」。


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初秋のカマキリ

 今日の東京は朝のうち弱い雨が降っていたが、日中はほぼ曇り。

 庭のカマキリもすっかり翅が伸びて、成虫になった。

 露草。

 朝顔は引き続き咲き続けている。多い日は150輪近くも咲く。

 今日から北海道カーリングツアーの最終戦アドヴィックスカップ北見市常呂町で始まる。男子9チーム、女子8チームが出場し、今大会も海外からの参戦はなし。結局、今年の北海道ツアーは初戦のどうぎんクラシックに韓国から3チームが参戦しただけだった。

 女子はロコ・ソラーレフォルティウス、大学選抜が順当に初戦勝利。

 大会は11日まで。

 

(きょうの1曲)キャンディーズ/秋のスケッチ


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茨城県のローカル線旅(その4)

 9月3日に茨城県まで出かけた話の続き。

 ひたちなか海浜鉄道に乗ったり降りたりして常磐線勝田駅に戻った時点で、常磐線をもう少し北へ行ってみるか、水戸から鹿島臨海鉄道に乗るか、水戸線に乗るか・・・といろいろな選択肢があったが、とりあえず勝田14時11分発の水戸行きに乗り、水戸から土浦行き、土浦から品川行きと乗り継ぐ。茨城県南部の小さなローカル線、関東鉄道竜ケ崎線に乗ってみようと思う。目的地が観光地などの場所ではなく、鉄道路線というのは普通の人には理解しがたいことかもしれない。

 土浦を15時32分に出た列車は荒川沖、ひたち野うしく、牛久と停まっていく。牛久といえば高さ120メートルの牛久大仏が有名だが、僕はまだ見たことがない。しかし、それだけの高さがあるのなら車窓からも見えるのではないかと、ひたち野うしく~牛久間で大仏があるはずの左側の車窓に目を凝らすが、線路際に住宅が立ち並び、なかなか視界が開けない。家並みが途切れたとしても、送電線鉄塔などが紛らわしくて、なかなか見分けることができない。それでも、大仏の頭らしきものがちらっと確認できた。もう少し高く聳え立っているのかと思ったが、頭しか見えないのだった。しかも、たぶん後頭部。

 さて、牛久の次は龍ヶ崎市駅である。かつては佐貫駅といったが、いつのまにか駅名が変わっていた。調べてみると、2020年3月14日のダイヤ改正時に改称されたのだった。

 この駅が竜ケ崎線の乗換駅である。15時49分着。

 常磐線の駅に隣接する竜ケ崎線の駅は佐貫のままだった。竜ケ崎線は佐貫と竜ケ崎を結ぶ4.5キロの小さな路線で、全区間龍ヶ崎市内にある。JRの駅と市の名前は「龍」の字を使い、竜ケ崎線とその終点は「竜」の字である。市の中心市街地に近いのは竜ケ崎駅で、常磐線は市のはずれを走っているから、その間を結ぶ鉄道として竜ケ崎線があるわけだ。

 竜ケ崎線には一度だけ乗ったことがあるが、ずいぶん前のことであまり印象に残っていない。それで改めて乗ってみようと思ったのだ。佐貫駅のホームで待っていたのはキハ532。そんなに新しい車両ではなさそうだ。前回(たぶん1980年代)もこんな車両だった気がする。

 調べてみると、デビューは1981年だから今年で41歳。しかも、国鉄から払い下げられたキハ20の機器を流用し、車体だけ新製したのだそうだ。下半身は41歳よりさらに古いということになる。

 車内は片側3ドアのロングシート。面白いのは運転台が佐貫寄りは通常通り左側だが、竜ケ崎寄りは右側にあること。つまり運転席が車両の同じ側にあるわけだ。これは佐貫~竜ケ崎間に行き違い施設がなく、すべて一本の線路の同じ側にホームがあり、ワンマン運転で運転士がドアの開閉操作やホームの安全確認がしやすいように、という配慮からの設計だろう。

 ヘッドマークや行先票に「おかげさまで100周年 関東鉄道」の文字がある。関東鉄道の前身にあたる鹿島参宮鉄道の創立が1922年9月3日。つまり、今日が本当に100周年の記念日なのだった。

 さて、列車は16時に佐貫を発車。車内にはここでも若者から年配の人までカメラを手にした乗客が多い。普通の乗客といえるのは、女子高生1名とそれぞれワンカップと缶ビールを手にしたおじさん2名ぐらい。おばさんも2、3人は乗っていたか。

 列車は常磐線から分かれて左へカーブすると、住宅地を抜け、田園風景の中へ出ていく。ほとんど一直線。

 途中、入地という小駅があっただけで、竜ケ崎には16時07分に到着。わずか7分の旅。

(竜ケ崎寄りの運転席の位置が通常の車両とは逆)

 入地も竜ケ崎も駅は線路1本にホーム1面。ホームはすべて竜ケ崎に向かって右側にある。

 駅前に立つ解説板で知ったことだが、この鉄道の開通は関東鉄道の設立より古い1900年8月で、今年で122周年。竜ケ崎線そのものが「龍ヶ崎市民遺産」となっているそうだ。

 竜ケ崎線は1本の線路の上を列車が行ったり来たりしているが、竜ケ崎駅には留置線があり、2両が休んでいた。キハ532より新しいキハ2001と2002。この3両が竜ケ崎線に在籍するすべての車両ということになる。

 2002は地元のマスコットキャラクター「まいりゅう」にちなんだラッピングトレインで、あとで知ったことにはつり革が龍ヶ崎名物のコロッケになっているらしい。ひたちなか海浜鉄道のほしいももユニークだったが、コロッケのつり革も見てみたかった。

コロッケトレイン(龍ケ崎市)うぃーくえんど茨城

 竜ケ崎は歴史のある城下町で、見どころもいろいろあるようだが、今日はこのまま折り返す。

 16時40分発に乗り、3分で入地駅に到着。ここで下車。降りたのは僕だけだった。

(竜ケ崎線でもこの駅だけに残る伝統的な関鉄スタイルの駅名板)

 次の列車まで20分待とうかとも思ったが、全線で4.5キロなのだから、ここから佐貫まで歩いても大したことはない。ということで、歩き出す。

 近くの民家の生垣でスズムシが鳴いている。野生のスズムシの声を聞くのはたぶん2度目だ。前回も茨城県内で、筑波鉄道(旧関東鉄道筑波線)の廃線跡のサイクリングロードを走っている時に聞いたのだった。

 ここでもスズムシはエンマコオロギなどに交じって、あちこちで鳴いていた。

 黄金色の田んぼを眺めながら、のんびり歩く。

 まもなく踏切の音が聞こえ、佐貫で折り返した竜ケ崎行きが走り過ぎていった。

 懐かしい汽車の標識を発見。

 また、竜ケ崎から戻ってきた。片道7分だから、すぐに戻ってくる。田園風景の中を走る列車が撮影できるポイントがないかと探してみたが、見つからず諦める。

 次第に農地より住宅が増え、立派な旧家もあったが、新しい分譲住宅が多くなる。

 途中、雑草だらけの公園があり、ペリカン水飲み場があった。これは初めて見るので、公園どうぶつウォッチャーとして写真を撮っておく。竜ケ崎市立はなみずき公園。

 予想よりは時間がかかったが、とにかく佐貫=龍ヶ崎市駅にたどり着き、常磐線で帰る。

茨城県のローカル線旅(その3)

 9月3日に茨城県ひたちなか海浜鉄道に乗った話の続き。

 那珂湊の魚市場で昼食をとり、12時54分発の勝田行きに乗車。またもやキハ11-5の「ほしいも列車」である。今日はこのキハ11-5とキハ3710-02の2両が勝田と阿字ヶ浦の間を行ったり来たりしているようだ。

 列車は「高田の鉄橋」で那珂川の支流・中丸川を渡ると田園風景の中を走り、中根駅に13時に着く。ここで降りてみた。ここで降りるのが奇異なことに思われるほど何もない駅であるが、何もないところにはいろいろな何かがあるものである。

中根駅駅名標の「根」のデザインは近くに古墳があることにちなむ)

(ホームの花は地元の小学生が育てている)

 色づいた田んぼに沿って野道を歩いてみると、一歩ごとにイナゴやトノサマバッタその他が右へ左へ前方へとたくさん飛び立つ。バッタだらけの道。

 田んぼの中にある踏切。

 先ほど、中根駅で見送った列車が勝田で折り返して戻ってきた。


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 中根13時37分発の列車で勝田へ。


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 勝田着は13時48分。ひたちなか海浜鉄道の旅はこれでおしまいにするが、まだ帰るには早い。このあとはどうしようか。

 

茨城県のローカル線旅(その2)

 茨城県ひたちなか海浜鉄道に乗った話の続き。

 終点の阿字ヶ浦駅で下車して、まずは海を見に行く。駅から細い坂道を下っていくと、まもなく目の前に太平洋が広がった。阿字ヶ浦は茨城県の代表的な海水浴場だそうだが、さすがにもう泳ぐ人の姿はない。雲が多い天気で、海には青い輝きもない。南側には漁港、北側には那珂湊外港の港湾施設があり、海の前面は堤防で仕切られ、広々とした海浜という感じではない。前回訪れたのは12月だったが、印象はさほど変わらない。

 しばらく海を眺めて、また駅に戻る。次の列車にはまだ時間があるので、駅周辺を歩いてみたら堀出神社という神社があった。水戸光圀とも関わりのある神社らしい。

 江戸時代、磯崎大明神をはさんで、阿字ヶ浦の前浜村と隣の平磯村が境界をめぐって争い、水戸藩の岡見吉為らが現地を検分した際に備前焼の垣で囲われた窪地が見つかった。掘ってみると、刀や槍、具足などの武具や天目茶碗などが発掘され、これらの品々は水戸城中へ送られ、詮議の結果、「磯前明神の本体であろう」との結論に達した。そこで前浜村の鎮守として創建されたのが掘出神社だという。祭神は応神天皇誉田別尊。ご神体の鏡は藩主・水戸光圀公が奉納したもので、神社名も光圀公の命名だそうだ。

 この歴史ある古社の境内には令和元年創建の「ほしいも神社」という歴史の浅い神社もある。

 黄金色の鳥居、干し芋形の絵馬、干し芋の自販機などがあり、ご利益は「ほしいものはすべて手に入る」だそうだ。茨城県出身のカミナリや磯山さやかなどの色紙が飾ってあった。気象予報士の依田司さんも番組の中継で何度も来ているらしかった。自販機で干し芋を購入。

デヴィ夫人もびっくり?の干し芋自販機。夫人のルーツもこの地域らしい)

 跨って記念撮影ができる「ほしいもバイク」。

 さて、列車を一本逃してしまい、次の列車までまだ時間があるので、阿字ヶ浦駅前の地図でルートを確認して、隣の磯崎駅まで歩いてみることにした。駅間距離は1キロなので、徒歩でも大したことはなかった。

 途中、サツマイモ畑の脇を走る阿字ヶ浦行きとすれ違う。この列車の折り返しに乗る。

 磯崎11時20分発。先ほどと同じ「ほしいも列車」だった。

(各駅の駅名標の文字がその土地にちなんだデザインになっていてユニーク)

 列車はサツマイモ畑の中を時折、左に海を見ながら走る。途中、運転士が沿線の子どもに手を振っていた。

 11時30分に那珂湊着。再びここで下車。

 駅から800メートルという那珂湊漁港まで一本道を歩き、「那珂湊おさかな市場」で昼食。市場に入る観光の車の渋滞ができていて、場内は大変な賑わい。店先で生ガキなど新鮮な魚介が売られており、その場で食べられるので、行列ができている。

 那珂湊茨城県有数の漁業基地で、近海のヒラメのほか、サンマやカツオの水揚げが多いそうだ。

(海鮮丼は食べにくい)

 僕も食堂で海鮮丼を味わい、地元製の鰹節を買う。うちにすっかり出番のなくなった昔の鰹節削り器があるので、久しぶりに自分で鰹節を削るという作業がやりたくなったのである。東京で買うよりだいぶ安かった。

 那珂川河口にある漁港を見て、駅に戻ると、ちょうど列車が出るところで、12時54分発の勝田行きに乗車。