中央本線で松本へ

 この夏は十数年ぶりで青春18きっぷを購入し、房総半島、静岡、上越線茨城県に出かけた。あと1日分を残したまま使用期限の9月10日を迎えた。もう十分に元は取ったが、使い残すのももったいないので、最終日の10日に出かけてきた。

 行きたい場所はいくらでもあったが、久しぶりに信州・安曇野まで行ってみようと思い、4時半過ぎに家を出て、京王線の始発で出発。

 京王線で高尾まで行き、高尾始発6時14分の中央本線松本行きに乗車。この電車に乗ると、新宿7時発の特急「あずさ1号」よりも早く松本まで行けるのだ。どちらにせよ、往路は特急には乗らないけれど、今日は帰りは特急でもいいかな、と思っている。

 列車は211系のロングシート車で、座席はほぼ埋まり、座れはしたものの、ゆっくり景色を眺めることはできない。登山客が多いのは、この路線の特徴だ。

 向かい側のシートに座る人たちの頭越しに車窓を眺めることはできても、自分が背にしている窓の外の風景をちょっとでも見ようとすると、右を向いても左を向いても、そこに若い男の横顔があり、どちらもスマホの画面をずっと見つめているが、そちらを向いた僕の視線が気になるようだった。景色を眺めるのは半ば諦め、読みかけの文庫本を取り出す。

 そもそも、僕が初めて一人で旅行に出かけたのは小学校を卒業した春休みだった。その直前の連休に家族で長野県を旅行した際、帰りの中央本線の急行が通路にもぎっしりと人が立つほどの満員で、我々一家は4人掛けのボックスに幼稚園児の弟を含め5人で座っていたのだったが、その時にこんな満員電車ではなく、空いた各駅停車でのんびりと景色を眺めながら旅をしたいと思ったのが、今から思えば、すべての始まりだった気がする。それで、早速、春休みに中央本線普通列車に乗って日帰りで上諏訪まで行ってみたのだった。小学校は卒業したが、中学校にはまだ入学していないので、切符は大人料金か子供料金か分からず、新宿駅の窓口で尋ねたら、オトナだと言われ、初めて大人の切符を買ったのを覚えている。4月になっていたから、もう中学生という扱いだったのだろう。わざわざ訊かなければ、子ども料金で乗れたかな、と当時も考えたし、今でもちょっと思ったりするが、そういうずるいことをしなくてよかったとも思ってはいる。正式な中学生だったら、学割が使えたのか。

 とにかく、あの時は塩山付近で「あ、扇状地だ」などと思いながら、ひとり車窓に見入っていたことを思い出す。

 

 さて、今日は扇状地をじっくりと観察することもできないまま、低い雲が山々にかかる墨絵のような風景をぼんやりと眺めるうちに甲府に到着。ここまでに登山客もほとんど降りてしまったが、代わりに部活らしい高校生の一団が乗ってきたりする。それでも韮崎を過ぎると、だいぶ空いてきた。

 空は晴れているが、山々の上には雲が湧き、八ヶ岳もほとんど姿を隠したまま。山間の里には黄金色の田んぼが広がり、コスモスが咲いているが、まだ夏の名残のヒマワリが咲いていたりもする。

 甲府盆地から列車はぐんぐん高度を上げ、標高887メートルの小淵沢小海線を右に見送ると、まもなく山梨県から長野県に入り、最初の駅が信濃境。標高921メートル。

 中央本線はやはり一駅ごとの表情があり、特急「あずさ」で一気に駆け抜けるのもいいけれど、各駅停車で行くのも、やはりいいものである。

 とにかく、日本有数の山岳路線であるから、もともと地形に忠実に建設され、急勾配が連続し、スイッチバック駅も多かった。単線から複線にする際にも線路を並べて敷くことができず、上下線が別々の場所を走る区間も少なくない。路線改良で全く新しい線路や橋梁、トンネルが建設された区間も多い。そうした歴史を垣間見られるのも楽しみのひとつだが、例えば、信濃境~富士見間も新しい路線に付け替えられた区間で、線路の北側に旧線の錆びついた鉄橋(立場川橋梁)が今も残っていたりする。現在の新しい橋に付け替えられたのは1980年のことだというから、僕の初めての一人旅の時は古い鉄橋を渡ったことになる。ちなみに、この線路付け替えで、信濃境~富士見間は距離短縮はわずか0.2キロだが、所要時間は6分から4分に縮まっている。特急列車も大幅にスピードアップが可能になったはずである。

 列車は中央本線最高所の駅、955メートルの富士見を過ぎると、諏訪盆地に向かって下っていき、茅野を過ぎると、ここまでずっと複線だったのが、普門寺信号場から単線になる。特急が行き交う中央本線でも諏訪湖の湖畔を走る岡谷までの区間は今も単線なのだ。

 懐かしい上諏訪を過ぎて、左車窓の町並み越しに諏訪湖を眺めながら、湖の北側を半周し、岡谷には9時06分着。ここから中央本線は二手に分かれる。辰野回りで遠回りの旧線(単線)だと塩尻まで27.7キロあるが、この区間を5,994メートルの塩嶺トンネルで短絡し、1983年に開通した新線(複線)だと11.7キロ。16キロも短縮したのである。そのため、岡谷と松本方面を結ぶ列車はほとんどが新線経由となっている。旧線のうち岡谷~辰野間は飯田線の列車が乗り入れて飯田線の一部のようになっているし、辰野~塩尻間は各駅停車が行ったり来たり、本数も少ないというのが現状である。伊那出身の代議士・伊藤大八の政治力によって岡谷から塩尻をめざしていた中央本線伊那谷の入口にある辰野まで約10キロも引っ張り込まれ、遠回りさせられたと言われるが、この区間が建設された明治時代に6キロものトンネルを掘るのは至難のことでもあっただろう。

 当然、いま乗っている松本行きも新線経由である。ほとんどV字形だった路線の上端を短絡するので、あっという間である。

 長いトンネルを抜け、みどり湖という駅に停まると、まもなく左車窓の田園の彼方に山襞に沿うような旧線が見えてくる。しかも、塩尻に向かって坂を下ってくる2両編成の電車も小さく見える。こちらは塩尻着9時18分。あちらは9時20分着だ。松本行きは塩尻止まりの電車を待たずにすぐ発車した。


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 ところで、中央本線塩尻から松本方面へは行かず、木曽谷を通って名古屋方面へ向かう。松本方面は篠ノ井線である。

 かつては塩尻を出ると線路は名古屋方面と松本方面に分かれており、名古屋から来る列車は塩尻で進行方向を変えて松本、長野方面へ向かっていた。その時間ロスを解消するため、1982年に塩尻駅が約500メートル移転し、東京方面と名古屋方面からの線路が合流した先に新しい塩尻駅が設置されている。旧塩尻駅の位置から名古屋方面へ向かう線路も残っているが、ここを走る旅客列車は存在しない。もともと東京~塩尻間が中央東線塩尻~名古屋間は中央西線と呼ばれているが、東線はJR東日本、西線はJR東海であり、現在は完全に別系統の路線になっているというのが実情だろう。

 とにかく、塩尻から篠ノ井線に入って松本盆地を行く。リンゴやブドウの果樹園や田んぼの中に住宅や工場が増え、盆地を取り巻く山々は山頂に雲をかぶり、全容を見せてはくれない。このあたりはやはり高い峰々に雪がある季節がよいなと改めて思う。

 新宿~松本間は何度も乗ったせいもあり、途中駅の名前を暗唱できるぐらい、ほぼ覚えていて、塩尻の先は「広丘、村井、南松本、松本」と記憶していたが、いつの間にか村井の次に平田という駅ができていた。調べてみると2007年開業とのこと。もう15年も経過しているが、この駅ができてからこの区間に乗るのは初めてだ。

 ついでに書くと、中央本線山梨県内で大月から「初狩、笹子、初鹿野(はじかの)、勝沼、塩山」と続くあたりはリズミカルで好きだった。このうち、初鹿野が甲斐大和に変わったのも残念だが、勝沼が「勝沼ぶどう郷」になってしまったのはどうにも受け入れがたい。まぁ、観光客誘致のための源氏名だと思うしかない。

 9時35分に松本到着。列車を降りると「まつもと~、まつもと~、まつもと~」という女性の声でのアナウンスがホームに流れる。なんだか昭和っぽいというか国鉄っぽいというか、懐かしい雰囲気だ。たぶん2004年以来、18年ぶりに松本にやってきた。過去には新宿から夜行列車で来た、なんてこともあったが、中央本線に新宿や大阪、名古屋から数多くの夜行列車が運転されていたのもすっかり昔話になってしまった。

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 ここまでの話は「高尾6時14分の電車に乗って9時35分に松本に着いた」と書けば済むのだが、つい長くなってしまった。

 

 今回、松本方面へ行ってみようと思ったのは、昔、何度か散策したことのある安曇野をまた歩きたいと思ったからで、ここからは大糸線に乗り換える。

 次の大糸線は9時55分発だから、接続はいい。接続がよすぎるのも慌ただしいので、20分待ちというのはちょうどよい。実は最初は一本後の電車で来ようと思っていて、それだと松本着は10時17分。しかし、乗り換えの大糸線の普通が11時20分発までないので、少し早起きして、今の電車に乗ってきたのだった。

 跨線橋を渡って大糸線のホームに行くと、すでに2両編成のE127系が待っていた。今日の予定はこの電車で穂高まで行き、安曇野を散策するというところまでは決まっている。

大糸線信濃大町行き。隣は松本まで乗ってきた211系電車の回送)

 電車は観光客や地元客を乗せて、立ち客が出る乗車率で発車。穂高到着は10時21分の予定。

 

 つづく