奥羽本線445列車

 東京・上野駅を前夜23時04分に発った奥羽・陸羽西線経由の酒田行き急行「出羽」は福島・山形県境の4つのスイッチバック駅が連続する峠道をノンストップで越え、未明の4時43分に米沢駅に到着した。ここで下車。
 12両編成のディーゼルカーを見送り、ホームで洗面を済ませ、秋田行き普通列車の発車を待つ。

 米沢の街はまだ夜と変わらぬ暗さで、雨が降り、しかも、強風が吹き荒れ、春の嵐の様相を呈している。東京でも昨日は一日中強い風が吹いていた。
 5時02分発の秋田行き445列車はすでに駅舎のある1番ホームに横付けされている。しかし、車内にはまだ電灯もついておらず、人の気配もまるでない。ただ、最後尾の荷物車だけが積み込み作業で慌しい様子だ。
 ヒマなので、先頭から車両番号をメモして歩く。


 奥羽本線445列車

 ED78−901
 オハフ33−2585
 オハ35−2486
 オハ47−2290
 オハフ61−3054
 マニ60−2180
 ?(荷物車or郵便車)

 最後尾だけ不明なのは、そこだけ人が集まっていて、見に行けなかったためである。こういうマニアックな行動に関しては人目を気にしてしまうタチなのだ。
 さて、座席の背もたれがクッションなしの板張りで明らかに一番乗り心地の悪いオハフ61−3054に乗り込んで、客車列車特有のガクンという震動を待つ。しかし、定刻を過ぎても発車しない。この駅で交換する上り急行「津軽4号」が遅れているらしい。結局、13分遅れて5時15分にようやく発車。僕の知っている限りでは、乗客は僕を含めて2人のはずだ。
 ところで、今日はこの列車で秋田まで行き、秋田市内を2時間ほど見物した後、大館経由で花輪線十和田南まで行って、さらにバスに乗り継ぎ、大湯温泉へ向かうことにしている。そこのユースホステルが今夜の宿で、すでに予約してある。

 秋田行き445列車はまだ薄暗い米沢盆地を北へ走る。雲は重苦しく垂れ込め、雨は激しくなって、弾丸のように車窓を叩く。風も凄まじい勢いで列車にぶつかってくる。その上、列車は思わず座席の上で跳ねてしまうほどの激しい上下動を繰り返している。なんだかものすごい乗り心地である。
 赤湯で少しお客が乗ったが、車内は閑散としたまま、山形に到着。ようやく10人に達していたオハフ61の乗客はみんな降りてしまった。本来、ここで30分停車の予定だったので、遅れは取り戻せそうだ。
 車掌もここで交替。僕のいるオハフ61の客室に2人の車掌が乗り込んできた。水筒、コーヒー、弁当…かなりの“重装備”だ。

 機関車もED78からED75に替わって、山形を発車。無人駅は通過して、北山形、羽前千歳、漆山、天童、神町、東根、楯岡、袖崎…と停まっていく。
 駅ごとに車掌が機関士とトランシーバーでやりとりしている。
「こちら445列車車掌…」
(機関士から応答)
「下り445列車、発車!」と再び車掌。
 機関士は応答の代わりにピィーッと警笛を鳴らす。
 そして、ガックンと独特の震動。もう一度、ガクンと揺れて、スーッと動き出す。

 大石田に到着し、あの震動を待つが、いつまでたってもそれがない。そこへ車内放送が入る。
新庄駅付近で朝からの強風のため、現在運転を見合わせています』
 結局、20分余り停車して、やっと列車は動き出した。
 それからしばらくは順調に走り、陸羽東線が右から寄り添ってきて、新庄に到着。ホームの時計は8時20分を指している。本来なら新庄は7時55分着、8時24分発であるから、すぐ発車すれば、遅れは回復できるわけだ。そこへ車内放送。
『客車増結のため6分停車いたします』
 隣のホームには6時47分発の横手行きディーゼルカーがまだ発車できずに停まっている。結局、この横手行きは運休が決まり、乗客はこちらの秋田行きに乗り換えるよう案内が駅に流れた。
 6分後に発車するはずだった445列車は時間を過ぎても動き出さなかった。本来はここで抜かれるはずの山形発青森行きの急行「こまくさ」もやってくる気配はない。
 機関車が2両の客車を繋いで戻ってきて、列車の先頭に立つと、ようやくホイッスルが鳴り、新庄を発車。結局、20分も停車した後のことだった。

 真室川を過ぎ、第一級の難読駅名として有名な及位(のぞき)も出ると、山形・秋田県境の雄勝峠を越える。今年は暖冬で、沿線にも雪はほとんど残っていないが、この峠道だけはさすがに雪が積もっていた。
 さて、防雪林に囲まれた院内に着くと、再び出発不能になってしまう。次の横堀駅にも列車が停まっているらしい。僕もだんだん時間が気になりだした。
 車内は山形からずっと車掌2人と僕の3人だけ。ほかの車両も2〜3人ずつしか乗っていないようだ。
 窓の外は相変わらず激しい雨が降り続け、ホームやレールも冷たく光っている。風はガタガタと窓ガラスを鳴らし続ける。風の音というのは人を不安にするものである。駅の側線には青い客車が2編成、留置されている。

 車掌は盛んに無線で連絡をとったり、駅員と言葉を交わしたりしているが、一向に発車する気配がない。しびれを切らして、
「秋田には何時ごろ着きそうですか?」
 と車掌に聞いてみた。
「いつ発車できるかも分からないからねぇ」
 という答え。要するにこの先、どうなるか誰にも分からないということか。車掌はノンキなものだが、僕は困る。東北地方全体がこんな具合なら今日中に宿にたどりつくのも難しいかもしれない。

 列車が動かなくなって、1時間が経過した。
「さぁ、出発するぞ」
 車掌が僕にも聞こえるように言った。
 ピーッと長く尾を引く機関車のホイッスルが聞こえ、列車はついに動き出した。
 ところが…。
 次の横堀に着くと、またまた出発不能になってしまった。
 もうどうにでもなれ、といった気分で車窓を眺めていると、強風で壊れた倉庫の屋根を修理しているのが見えた。
 今度は15分ほどで動き出したが、もう秋田で市内見物のためにとっておいた2時間が消えてしまった。

 横堀からは比較的順調に走った。
 十文字駅では窓から顔を出していた車掌が「つばさが来た!」と驚いたような声をあげていた。2時間遅れの上野行き特急「つばさ2号」である。
 横手でも15分ぐらい停まった445列車はさらに大曲の手前、飯詰で上野行き急行「おが2号」と行き違いのため、しばらく停車。両方の列車の車掌が言葉を交わしているが、「おが2号」は10分程度しか遅れていない。

 約2時間遅れの12時50分頃、大曲に着く(定刻10時48分着)。ここで降りることにした。後続の青森行き急行「こまくさ」がすぐ来るらしいのだ。ホームに降り立つと、雨はみぞれに変わっていた。
 3時間遅れの「こまくさ」は12時55分頃、大曲を発車(定刻9時56分発)。
 岩木山に咲く高山植物から命名されたキハ58系急行は次の神宮寺に臨時停車したりしながら、やっと秋田に到着。残念だが、秋田では途中下車せずに、このまま大館へ向かう。
 列車はようやく急行らしさを取り戻して快調に走った。広大な八郎潟干拓地では田んぼがすっかり水没し、河川はどこも土色に濁った水がごうごうと流れていた。
 大館には3時間20分余り遅れて15時50分頃、着いた(定刻12時27分着)。なんとか予定通り、16時10分発の花輪線に乗れる。駅の外に出てみると、さすがに寒く、息が白い。おまけに牡丹雪が舞っていた。
 駅の中に戻ると、なにやらアナウンスが聞こえ、耳を傾けると「16時10分発の花輪線は運休」と告げているではないか。中学生の頭では一瞬どうしたらいいのか判断がつかなかったが、再び駅前に出ると、国鉄バス乗り場から今まさに大湯温泉行きのバスが出るところだった。ギリギリで飛び乗る。これなら持っている周遊券で乗れるし、列車で行っても、十和田南駅からはこのバスに乗ることになっていたのだった。やれやれ。