寝台急行「天の川」

 昭和55年3月25日、春らしい一日が暮れ、僕は夜の上野駅の高架9番ホームに立っていた。やっと高校受験が終わり、中学校も無事卒業して、今日からまた東北方面へ8泊9日の予定で旅に出るのだ。

 最初の列車は新潟回りの秋田行き急行「天の川」である。行き止まり式の地平ホームからの発車でないのはちょっと味気ないが、国電と同じ高架ホームで、ひっきりなしに発着する満員電車に乗り降りする人々を眺めながら寝台列車を待つ気分というのも悪くはない。

 22時16分、最後尾になる郵便車スユ16を先頭に20系ブルートレインが尾久の車両基地から推進運転で入線してきた。

 寝台特急専用だったブルートレイン20系が昭和51年2月から東京~大阪間の急行「銀河」にも使用されるようになったのに続き、同年10月から急行「天の川」と「新星」(上野~仙台)にも使用されているのだ。上野~青森間の特急「ゆうづる」が20系から24系に置き換えられ、余った20系を旧型客車の編成だった「天の川」と「新星」に充当したわけだ(翌年から上野~青森間の「十和田」1往復も20系化。こちらは寝台車のほかにA寝台車を改造した座席車3両も連結)。

 昨年夏に上りの「新星」で20系に乗車したので、今回は旧式寝台車に乗ってみたいと思い、いまだ旧型編成の急行「鳥海」(上野~新津~秋田)の寝台券(B寝台は2両のみ)を取ろうとしたら満席で、第二候補の「天の川」にしたのだった。

 「天の川」は20系11両+郵便車という編成で、前寄りの10号車から3号車までの8両がB寝台で、2・1号車がA寝台、その次が電源車カヤ21。僕はもちろん3段式のB寝台で、寝台券に指定されたのは先頭に立つEF58のすぐ後ろの10号車15番下段である。

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  22時38分、急行「天の川」は機関車のホイッスルを合図に上野駅をあとにした。省エネ時代とはいえ、ネオンが明るい東京の街並みともしばしのお別れだ。

 車掌室のすぐ近くに寝台があるので、検札もすぐ終わり、僕は“展望室”へ行ってみた。僕の乗車したナハネフ22は車端が大きな曲面ガラスになっており、ちょうどデッキが展望室のようになっているのだ。幸運にも僕の寝台はそのデッキのすぐ隣になっている。ただし、今は目の前にEF58‐137が繋がっているし、夜だからあまり意味はない。明朝の新潟からは進行方向が逆になるので、ここから後部の車窓が楽しめるだろう。

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 本日は列車が満席だそうで、寝台券のないお客様は次の大宮で降りていただきます、などと車内アナウンスがあるうちに大宮に到着。ここで人がどっと乗ってきて、寝台はほぼ埋まった。

 大宮を発車すると、すぐ車内減光となり、列車は高崎線に入る。幅52センチの狭いベッドに横になっていると、かなり揺れるが、それでも僕はすぐに眠ってしまった。

 

 ふと目が覚めると高崎だった。日付が変わって0時22分到着、8分停車。「天の川」と同じ上野駅9番線から27分先発した長岡行きの夜行鈍行733Mが停車している。満員だった車内はすでに閑散として、登山かスキーの客らしい人たちだけが残っている。あちらの長岡到着は4時42分である。

 

 高崎0時30分発。急行「天の川」は上越線を行く。

 1時39分着の水上で再び目が覚めた。ここで9分停車の間に上越国境越えに備えてEF58の前に補機としてEF16が連結される。

 ホイッスルが2発、夜の闇に響き、重連電気機関車に牽かれた列車は峠へ向けての上りにかかる。

 やがて長さ13,490メートルの新清水トンネルに突入。トンネル内の湯檜曽、土合も通過して越後側へ抜けるまで本当に長く感じた。

 新潟県に入り、越後中里、越後湯沢といったスキーで有名な駅を通過したが、さすがに積雪がすごい。

 石打で乗降の扱いはしない運転停車をしてEF16を切り離し、列車は夜の越後路を走るが、僕は再び眠りに落ちた。

 その次に気づくと、3時51分着の長岡だった。4時発車。ここからは見附、東三条、加茂、新津と停車して5時07分に新潟に到着した。ここでは機関車の付け替えもあり、28分停車。

 ホームに出てみると、まだ真っ暗で、雨が降っている。

 役目を終えたEF58が列車を離れ、代わりにピンクの交直両用機関車EF81が反対側に連結される。最後尾についていた郵便車もここまでである。

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 まもなく5時15分に上野を23時20分に出た165系急行「佐渡7号」が到着した(下写真の画面左)。上野では「天の川」とは42分差だったが、新潟到着では8分差にまで縮まっている。さすがに電車は速い。

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 5時35分、逆向きに新潟を発車した「天の川」は白新線新発田へ向かう。

 さっそく展望室へ行ってみた。今度はこの車両が最後尾になったので、広い曲面ガラスの向こうに雨に濡れたレールが流れていくのが見える。東新潟の操車場付近でEF81の牽く貨物列車を追い抜いた。

 白新線は単線だが、駅を通過する時は上下線に関係なく、直線のほうを通過する。赤い信号灯が遠ざかっていくのが印象的だった。

 刈り取った稲を干すのに使うハザ木が並ぶ越後独特の田園風景を眺めているうちに新発田に着き、ここからは羽越本線に入る。

 寝台に戻ると、今頃になって眠くなってきた。

 すっかり明るくなって、村上を過ぎ、直流区間から交流区間に入る頃から日本海が見えてくる。深い緑色の波が岩礁にぶつかり、白いしぶきとなって飛び散る。豪快な海岸風景が続くが、地形が険しいから、やたらにトンネルが多い。

 7時頃から寝台の解体作業が始まった。若い係員が慣れた手つきで下段の寝具ものせた中段のベッドを折りたたみ、下段寝台が3人掛けの座席に早変わり。それが向かい合わせで6人用のボックスシートになる。窓側の梯子もたたまれて、これで車窓が眺めやすくなった。

 昭和52年に温海駅から改称された「あつみ温泉駅」を7時32分に発車。ここからは寝台券なしで乗車できる。

 まもなく日本海の海岸から離れて庄内平野にさしかかった。もう3月末だが、一面の雪景色である。

 鶴岡を出ると、次が僕の下車する余目(あまるめ)だ。ここで4分の連絡で発車する陸羽西線に乗り換える予定だが、車内放送の乗換案内ではその列車は案内されず、その次の急行が案内された。

 

 上野から9時間38分、8時16分に余目到着。秋田へ向かって走り去る列車を見送る余裕もなく、僕は陸羽西線のホームへ急いだ。

 

(急行「天の川」の秋田到着は10時24分)