深名線の旅

 今は存在しない旧国鉄深名線の旅の記録。

 北海道の数あるローカル線の中でも酷寒、豪雪、ついでに超過疎地帯を走る深名線に乗るべく、札幌11時半発の稚内行き急行「天北」に乗車。3時間以上かけて名寄までやってきた。14時39分到着。

 深名線の列車は名寄駅の片隅にある0番乗り場から発車する。0番などというあたりからし深名線の立場というものが想像できるが、果たして14時51分発の朱鞠内(しゅまりない)行きは古ぼけた朱色のキハ22がたった1両という姿で出発を待っていた。全国でもトップクラスの大赤字路線にもかかわらず豪雪地帯で冬季は代替交通機関が途絶するため辛うじて命脈を保っている深名線であるから、1両といえども頼もしい列車ではある。実際、乗客の数も意外に多い。ちなみにこれが8時半の始発以来の二番列車である。

 列車は定刻に発車した。宗谷本線から右へ分かれて西に向かい、天塩川の鉄橋を渡り、西名寄、天塩弥生と名寄市近郊の駅に停まって行く。この辺はまだ名寄盆地の平凡な雪景色が広がっている。先ほどから小雪が舞ったり、晴れ間が広がったりと不安定な空模様だが、今は青空ものぞいている。
 天塩弥生の次は北母子里だが、この間15.6キロもあり、30分近くかかる。
『次は途中臨時停車をして北母子里に停まります』
 と車内アナウンスが入る。一体どこで何のために臨時停車なんかするのだろう。
 盆地が尽きて、列車は天塩山地にさしかかる。その上空にかかる雪雲に白い太陽が隠れ、また雪が降り出した。
 ディーゼルカーは唸りを上げて山あいを登っていく。積雪もどんどん深くなり、どちらを見ても真っ白になった。
 雪の支配する世界ではレールの音すら吸収され、こもって聞こえる。もちろん、車窓に人家など一軒たりとも見当たらない。
 そして、トンネルに突入。白い静寂は破られ、暗闇の中にエンジン音が轟く。トンネルを抜ければ、また白一色の沈黙。二つの世界を列車は交互に走り抜けた。
 幾つ目かのトンネルを出たところでブレーキがかかり、列車が停まった。雪に埋もれた寂寞とした山の中。何があるのかと見ていると、運転台から黄色のヘルメットをかぶった保線員が1人降りていく。プォンとタイフォンが鳴り、列車はすぐに動き出す。こんなところで何をするのか知らないが、孤独で厳しい仕事である。

 猛然と雪煙を立てて無人の山中を走り続けた列車の車窓にやがて小さな集落が現われた。それが北母子里。昭和53年2月17日に非公式ながら日本最寒気温の氷点下41.2度を記録した酷寒の村である。
 その北母子里は深い雪に埋もれ、静謐に包まれていたが、それでも老人や女子高生が列車を降り、白い風景の中に溶け込んでいった。

 北母子里を出て、まもなく左車窓に奇妙な風景が展開し始めた。広々とした雪原に無数の切り株や枯木が頭を出している。石狩川の支流・雨竜川をせき止め、森を切り開いてつくられた人造湖朱鞠内湖の冬姿だ。凍りついた湖は雪のヴェールの下で眠り、じっと春を待っている。とにかく今は雪という猛烈な支配者がすべてを完全に制圧しているのだ。

 北母子里の次は白樺、その次は蕗ノ台という駅だが、この両駅は現在冬眠中で3月末までは全列車が通過する。しかし、すでに両集落とも事実上、消滅してしまったというから大した影響はないのだろう。この地域は恐るべき過疎地帯なのだ。

 北母子里から23分、ようやく次の停車駅、湖畔に着いた。名前の通り、朱鞠内湖に近く、車窓からダムの堤防が見える。実はこの湖畔駅、国鉄の中央当局からは正式な駅として認可を受けていない、いわばモグリの駅である。従って、全国版の時刻表には載っていない。仮乗降場といって、駅というより停留所といった趣だ。北海道にはけっこう多く、この深名線にもほかに7ヶ所ある。

 さて、終点の朱鞠内には15時58分に着いた。もう少し街かと思ったら、本当に何もないところだ。すでに隣のホームには接続する深川行きのキハ40が2両連結で待っている。つまり深川と名寄からやってきた2本の列車がここで出会い、わずかな時を共に過ごし、またそれぞれに来た道を帰っていくというわけだ。
 深川行きに乗り換えて、ここまで乗ってきた折り返し名寄行きを見やると、運転台の窓ガラスにビッシリと付着した雪を運転士が竹箒で払い落としていた。

 16時02分に朱鞠内を発車。車内はガラガラ。雪は止んだ。ここからは雨竜川に沿って細長い平野を南下する。

(朱鞠内駅を発車)
 車窓に現われる集落はどこも静かで、駅に停まったところで、乗る人も降りる人もいない。しかも、ほとんど無人駅で、すっかり雪に埋まって駅名が見えなかったりする。過疎地の侘しさだけが胸に募る。

(雪に埋もれた添牛内駅)
 それにしても、本当にすべてが冬眠してしまったかのようだ。ひたすら雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪・・・。白い世界がうんざりするほど続く。車窓をよぎる踏切も道路が埋まり、警報機だけが雪の中から頭を出している、といった有様だし、人家の中にも屋根の破れた廃屋が目につく。それでも、沿線の道路上の雪を派手に吹き飛ばしながら除雪車が動いており、人々が暮らしていることだけは確かなようだ。途中一度だけ行き違った列車のポーッと明るい車内にもちらほらと人影が見えたのがなんだか不思議に思われた。

 日が暮れるにつれ、夜の影が忍び寄り、雪景色が澄んだブルーに染まってゆく。この時間帯が僕は好きだ。
 しかし、それも束の間。風景は光を失い、あたりはすっかり暗くなる。
 夜になっても電灯のつく家は少ない。時々、ポツンと水銀灯が点っていたり、踏切の警報機が強烈な赤の印象を残して車窓を掠めたりするばかり。目に映るものすべてが夢の中の光景みたいで、だんだん現実から遠ざかっていくような奇妙な気分に囚われた。

 やがて遥か前方にチカチカと深川市街の夜景が見えてきた。街の明かりが懐かしい。深名線の旅ももうすぐ終わる。
 17時59分、列車はその歩みを止めた。夢から覚めたみたいに伸びをして、深川駅のプラットホームに降り立ち、巻き上げた雪で厚化粧した列車に別れを告げる。冷え込んだ空にまた小雪がちらちら舞っていた。


 札幌へは特急「ライラック20号」で帰る。19時45分着。
 今晩は夜行列車で釧路へ向かう予定で、発車は22時15分なので、まだ時間はある。
 とりあえず街に出た。さほど寒くはない。ぶらぶら歩いていたら大通公園に出たので、その地下にあるオーロラタウンに下りていく。
 地下街はすでに春であった。寂れた豪雪地帯から戻ったばかりなので、その暖かさ、明るさ、華やかさに目を見張る。お店のディスプレイもパステル調の春の色彩でいっぱい。そんななかを颯爽と歩く地元の人たちを目にすると、東京では真冬でもしないほど厚着をした自分がなんとも野暮ったく感じられる。
 オーロラタウンで夕食を、と思ったけれど、目ぼしい店が見つからず、再び地上に出る。ガラス扉を境に春から冬へ逆戻り。やはりちょっと寒い。銀行に設置された気温の電光表示は「−1℃」を示している。
 ポケットに手を突っ込んで少し歩くと、時計台の前に出た。照明に浮かび上がる小さな建物はすでに門を閉ざし、ビルの谷間でひっそりと佇んでいた。
 書店などに立ち寄ってから駅に戻り、どこで夕食をとるか考えながら地下名店街をうろつく。寿司屋などに心を惹かれつつも「ゼイタクは敵」なので、結局は食堂街の一角にあるカレーショップに入った。アルバイトの女の子がまだ新入りらしく、何とも不慣れな感じだったけれど、ショートヘアのちょっと可愛いコだった。まぁ、それはともかく…。

 夜も更けた札幌駅の4番ホーム。ディーゼル機関車DD51に牽かれた釧路行きの急行「まりも3号」が入線してきた。3両の座席車の後ろに寝台車を5両連ねた編成である。
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 「2号車11番下段」。それが券面に指定された今宵の宿である。これから新たに旅に出る気分でベッドに腰掛け、発車を待っていると、早くも車掌が検札に来た。今のところ、僕のコンパートメントにはほかに誰もいない。2年前にこの列車に乗った時は乗り合わせたおじさんたちと遅くまで話し込んで車掌に注意された、なんてこともあったが、今日はちょっと寂しい。
 コーヒーでも欲しいな、と思い、ホームの売店に買いに出ようかと立ち上がったところで、発車ベルが鳴り始めた。
 定刻22時15分。機関車のピィーッという鋭いホイッスルが聞こえ、列車は動き出した。
 次第に加速していく列車の窓に札幌の夜景が流れる。雪明りの街。オレンジ色に輝く街路灯がとりわけ美しく心にしみる。ひとりきりの夜行で少ししみじみとした気分にもなる。
 寝台のカーテンを引いて、枕もとの読書灯も消して、列車の揺れに身を委ねていると、いつのまにか千歳空港駅に到着した。飛行機からの乗り換え客が一人、隣のベッドに来たようだった。
 「まりも」はここから石勝線に入り、ひたすら東へ走る。しかし、まもなく夢の世界に陥り、この日の記憶はここで途切れている。
 
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