下北半島へ

 宮古駅に近い末広館ユースホステルを6時過ぎに出発。相部屋なので、同室の人たちを起こさないように布団をたたみ、着替えを済ませ、荷物をまとめて出発の準備をしなければならず、大変だった。

 こんなに早く出発したのは一日4往復しかない宮古線に乗るためだ。

 6時41分発の田老(たろう)行き521Dはキハ52の単行だった。一の渡、佐羽根、田老の順に停車し、トンネルばかりで、海は見えなかった。

 宮古から12.8キロ、6時59分に田老着。海側に巨大な堤防が見える。過去に津波で町がほぼ全滅に近い被害を受けたことがあるそうで、海と集落が高い堤防によって完璧に遮断されているのだ。そのため、家並みを見下ろす高台にある駅からもすぐそこにあるはずの海は見えなかった。

 4分後に折り返す520Dで7時20分に宮古に戻る。

f:id:peepooblue:20190726150844j:plain

 これから下北半島まで行く。次の盛岡行きまで40分もあるので、その間にそばの朝食。

 津軽石が始発の盛岡行き普通623Dは5両編成のディーゼルカーで、そのうちの後部2両は途中の茂市で切り離す岩泉行きだ。

 8時ちょうどに宮古を発車。けっこう混雑している。

 茂市から3両編成となった列車はエンジン全開で閉伊川に沿って山の中へ分け入っていく。

 昨日の岩泉線がすごかったから、山田線の車窓にはもはや驚かないが、それでも確かに山が深くて険しい。

 ほとんど無人の山中を行く路線だから、急行列車の中には茂市から盛岡まで87キロをノンストップで走り続けるものもある。最近では特急でもこんなに長い距離を停まらずに走り続ける列車など滅多にないから山田線の秘境ぶりが分かる。

 それでも時折、駅があり、この鈍行列車はそのひとつひとつにきちんと停まりながら、サミットをめざして登っていく。

 どのあたりだったか、森の中でオシドリのつがいが木に止まっているのが見えた。

 サミットにあたる区界駅には9時40分頃到着。標高744メートルの標識があり、雪も残っており、あたりは高原のような雰囲気だ。

 ここで盛岡発、宮古・釜石・花巻経由の盛岡行き急行「そとやま」と行き違い。始発駅と終着駅が同じという珍しい列車で、盛岡発が8時58分、盛岡着は14時50分である。同じコースの逆回りは愛称が違って急行「五葉」という。

f:id:peepooblue:20190723170733j:plain

 区界を9時47分に発車して、ここからは盛岡へ向かってどんどん下っていく。急勾配と急カーブが連続する。

 そして、次の浅岸、その次の大志田はどちらもスイッチバック駅である。

 浅岸ではまず引き込み線に入ってからバックして駅に到着。盛岡発宮古・釜石回りの花巻行き636Dと行き違いのため、少し長い停車。ホームに降りて深呼吸。

f:id:peepooblue:20190723171207j:plain

 次の大志田でもまず引き込み線に入り、バックして駅に進入。ここでもDE10の牽く貨物列車と交換した。

 北上盆地に下って盛岡には10時47分に到着。一旦、改札を出て、盛岡ステーションデパートで南部鉄瓶の店や書店、レコード店、土産物屋などをのぞいて時間つぶし。

 来年開業予定の東北新幹線の駅の工事中で、駅前はかなり雑然としていた。

 

 次に乗るのは青森行きの急行「くりこま3号」である。急行「くりこま」は仙台~青森間を特急顔負けのスピードで突っ走る日本最速の急行列車として知られる。特に下り1号は仙台~青森間387.4キロを4時間49分、上りの6号は4時間50分で走破し、表定速度が時速80キロを超える。さらに6号は先行する急行列車を「どけ、どけ」とばかりに途中駅で追い抜いてしまったりもする。また、1号と6号は特急「はつかり」ですら自由席車を連結する時代にいまだ全車指定席を貫いてもいるのだ。

 

 さて、急行「くりこま3号」は盛岡を12時32分に発車。混雑していて、座席はほぼ埋まっていたので、デッキに立っていた。

 455系電車はモーター音を唸らせ、突っ走った。停車駅は好摩沼宮内、一戸、北福岡、三戸、八戸、三沢、上北町、そして野辺地。僕はこの野辺地で降りるのだが、このあたりは旅情を感じる駅名が多く、電車急行で突っ走るより客車鈍行でゆっくり行きたい区間でもある。

 昔、蒸気機関車三重連で奮闘した十三本木峠の急勾配も難なく克服して、14時37分に野辺地到着。ここで14時41分発の大湊線に乗り換えだ。

 

 大湊線727Dは3両編成のディーゼルカーで、1両が大湊止まり、あとの2両は大畑線の大畑まで直通する。

 野辺地をあとに下北半島を北上。まもなく左車窓に陸奥湾が見えてきた。曇り空の下、夏泊半島を見ながら寂しい海岸に沿って走り、やがて前方に恐山も見えてきた。

 下北で大畑線と合流し、15時54分に大湊到着。ここで13分停車する間に1両を切り離し、列車番号が727Dから827Dに変わり、下北まで一駅戻って大畑線に入る。

 大畑線に入って二つ目の田名部(たなぶ)で下車。むつ市の中心駅である。ここからバスに乗り、下北半島の北東端にある尻屋崎方面へ向かう。

 駅前商店街にある下北交通のむつバスターミナルから17時発の尻屋行きバスに乗車。尻屋行きの最終便で意外に混んでいた。

 バスはすぐに市街地を抜け、荒涼とした丘陵地帯を行く。

 そのうち眠気を催し、ついウトウト・・・・・・・。

 

 ふと気がつくと、賑やかだったはずの車内はすっかり寂しくなっていた。いつの間にか、ずいぶん遠いところまで来てしまった、という気がした。

 牧場などを見ながら走っていたバスはやがて津軽海峡に面した小漁村に出る。もうあたりは薄暗いし、寂しいところである。

 小さな漁村の停留所に停まっていくうちに乗客は一人また一人減って、ついに僕だけになってしまった。この先に人の住む町があるのだろうか、と暗い海を眺めながら、少し不安な気持ちになる。

 すると、バスがなぜかこんな場所で踏切を渡り、そこから複線の線路が海側に並行するようになった。

 一体何だろう、この鉄道は! 地図でもこんなところに鉄道線路が描かれているのは見た記憶がない。

 寂しさや不安は消し飛んで、少し興奮を覚える。

 まもなく小さなディーゼル機関車がトロッコのような貨車を引っ張って走っているのが見えてきた。ガイドブックには石灰石採石場があると書いてあるから、そこから港までの輸送用の鉄道なのだろう。

 バスは尻屋崎の港も過ぎて、17時55分に尻屋の集落に停まった。

 

 尻屋崎ユースホステルは東京の学生ばかりが泊まっていた。

 夕食後、みんなで映画「エクソシスト」を見ながらトランプをやり、僕が負けたので、すっかりお茶汲みになってしまい、みんなにコーヒーを入れたりするハメになった。まぁ、最年少だし、仕方がない。

 

 翌日は雪。帰りのバスの車中から昨日見た謎の鉄道の写真を撮った。

f:id:peepooblue:20190723223128j:plain

f:id:peepooblue:20190723223152j:plain

f:id:peepooblue:20190723223223j:plain

f:id:peepooblue:20190723223258j:plain

 あとで知ったことだが、日鉄鉱業尻屋鉱業所の専用線で、石灰石を採掘する尻屋鉱山から尻屋崎港まで石灰石を運ぶ鉄道ということだった。(1994年廃止、ベルトコンベヤー化)