日立電鉄と茨城交通  

常磐線水郡線を乗り継いで、茨城県常陸太田駅までやってきた。今日は日立電鉄茨城交通という2つのローカル私鉄に乗ってみるのが目的である。

 JR常陸太田駅から車が行き交う国道をはさんだ向かい側に日立電鉄の常北太田駅がある。

 日立電鉄は常北太田(常陸太田市)と鮎川(日立市)を結ぶ18.1キロの鉄道で、途中の大甕(おおみか)でJR常磐線と接続している。日立市といえば、日立製作所企業城下町だが、この日立電鉄も日立傘下の鉄道である。だから、経営は安泰か、といえば、全く逆で、乗客の減少が続き、どうやら来年3月末での廃止が本決まりらしい。それで廃止になる前に乗ってみようと考えたわけ。

 さて、常北太田駅は駅舎のあるホームのほかに島式ホームもあり、赤い電車がたむろしている。日中はほぼ1時間に1本の運転で、次は13時17分発。鮎川まで700円の切符を買って、改札を通る。
 車両番号が2215と2006という2両編成の電車に乗り込んで、まもなく発車。乗客は多くないが、ほかにもカメラをもった鉄道ファンらしき人たちがいる。

 まもなく鉄橋を渡って、のどかな田園風景の中を行くが、全くの田舎というわけでもなく、住宅も適度にある。車窓風景としては、まぁ、平凡といえる。

 ところで、この電車は元は東京の地下鉄で走っていた車両だそうだ。車体が赤く塗られているので、丸の内線かと思うが、実は銀座線の車両である。昔の銀座線は駅間で一瞬車内灯が消えるというのが特徴だったが、その時のための非常灯が今も車内の壁面に残っている。ただし、銀座線と日立電鉄では線路の幅が違うので、台車は日比谷線日立電鉄と同じ線路幅)の車両から流用されているらしい。
 そういう電車だが、整備状態は良好とはいえず、窓ガラスは汚いし、外壁の塗装も色褪せ、ペンキが剥げたりしている。今も営団地下鉄のマークが残る扇風機にはどす黒い埃がこびりついている。座席もあちこち破れ、クッションを指先でトントン叩くと、砂埃が浮き上がってきたりもする。まるで“走る粗大ゴミ”だ。
 車内の中吊りも自社広告か公共広告がわずかにある程度。経営の苦しさが至るところに見て取れる。

 小沢、常陸岡田、川中子、大橋、茂宮(もみや)、南高野(みなみこうや)と停まって、常磐線の下をくぐる短いトンネルを抜けると針路を北に向けて久慈浜に着く。電車の車庫がある、わりと大きな駅。日立港に近く、ここからは日立市の市街地を行く。
 久慈浜を出ると、電車は再び常磐線の上を越えて、常磐線との乗換駅・大甕に到着。ホームは常磐線ホームの西側に隣接している。
 大甕を発車すると、またまた常磐線をオーバークロスして海側に出て、水木、大沼、河原子、桜川と停まっていく。このあたりはまさに日立の“城下町”といった雰囲気である。

 終点の鮎川に13時54分に着いた。何もない駅で、駅員の姿もない。すぐ西隣を常磐線が通っているが、あちらには駅はない。特急列車も普通列車も勢いよく通過していく。ちなみに鮎川の位置は常磐線では常陸多賀と日立のちょうど中間あたり。





 

 鮎川に用はないので、14時20分の電車ですぐ折り返し、大甕に14時33分着。これで日立電鉄の旅は終わり。たぶんこれが永遠の別れになるのだろう。
 日立電鉄の廃線跡探訪記

大甕14時47分発の常磐線に乗って勝田15時03分着。次は茨城交通線である。
 常磐線勝田駅から太平洋に面した阿字ヶ浦駅まで全区間ひたちなか市内を走る14.3キロのローカル線が茨城交通湊線。
 勝田駅の乗り場は常磐線上りホームの水戸寄りにあり、そこに切符売り場もある。1日フリー乗車券を800円で売っていたので、これを買う(阿字ヶ浦までの片道運賃は570円)。
 次の阿字ヶ浦行きは15時22分発。キハ37100−03というディーゼルカーたった1両。2002年製造の新型車で、日立電鉄とは比較にならないぐらい清潔で、窓もきれいだ。地元の利用者には好評に違いないが、単なる物好きな旅行者としては味気なくもある。

 列車は発車すると、常磐線から分かれて左へカーブし、すぐ日工前に停車。工場への通勤者のための駅のようだが、駅前には大きなジャスコもある。
 市街地を抜けると、あたりは田園風景に変わっていく。僕は運転席のすぐ後ろの席に座っていたので、前方がよく見える。線路はほぼまっすぐ伸びている。
 金上(かねあげ)、中根と停車して、那珂湊に着いた。この路線の中心駅で、構内には旧国鉄ディーゼルカーなどクラシカルな車両がたくさんあって、古きよき時代の地方駅の雰囲気が漂っている。ちょっと降りてみたくなった。

 勝田から那珂湊まではほぼ南東方向へ伸びてきた線路がここからは大きくカーブして北東へ向かう。
 まもなく、列車の前方を犬が横断し、次に雄のキジが横切った。あとはサルが出てくれば、近くに桃太郎が潜んでいるに違いないが、もちろん出てこない。かわりにキジがもう1羽。
 列車は台地上に上って、殿山、平磯、磯崎と停まり、終点の阿字ヶ浦には16時48分に着いた。


 阿字ヶ浦駅は冬の夕暮れ時というせいもあるけれど、なんとなく寂しげな駅だった。降りたのはほんの数人。
 駅は海岸段丘のはずれに位置し、線路の終端部まで行くと、眼下に太平洋が見える。夏場は海水浴客でにぎわうところで、駅のホームはかなり長く、臨時改札口もある。駅の脇には無料のシャワーまである。かつては上野からの臨時急行「あじがうら」号がここまで乗り入れていた時代もあるのだ。

 構内には古いディーゼルカーが2両。夏場に海水浴客のための更衣室として使用されているようだが、うち1両はチョコレート色の車体に白帯を巻いていて、「羽幌炭鉱鉄道 キハ22 1」と書かれていた。

 すぐに折り返し列車があったけれど、それには乗らず、駅前から坂を下って海を見てきた。


 (追記その1)
 帰りの列車はキハ3710−02という車番で、往路のキハ37100−03とほとんど同形式に見えたけれど、なぜか0が1つ少なかった。ついでに、3710という数字は湊線のミ・ナ・トに因んでいるらしい。

 (追記その2)
 手元にある1979年8月の時刻表を見ると、急行「あじがうら」のダイヤは以下の通り。
 9411D 上野7:35→我孫子8:08→土浦8:33→水戸9:14→勝田9:27→阿字ヶ浦9:58
 9416D 阿字ヶ浦16:08→勝田16:49→水戸16:56/17:02→土浦17:44→我孫子18:13→上野18:49
   (運転日7月25日〜8月5日。茨交線内は普通列車。時刻は終着と上りの水戸駅以外は発車時刻のみ掲出)