茨城県のローカル線旅(その1)

 9月3日、上野6時31分発の常磐線に乗り、茨城県ひたちなか市にある勝田駅に8時32分着。ここから14.3キロのローカル線「ひたちなか海浜鉄道」に乗るのが今日の目的である。

 この路線には過去に一度乗ったことがあるが、その時は茨城交通湊線といった。その後、廃線の危機に陥りながら第三セクターとなって生き残り、現在の名前に変わったのである。前回はただ一往復しただけだったが、今回はこの魅力的なローカル鉄道をじっくりと味わいたい。

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 勝田駅の1番ホームへ行くと、そこに切符売り場があり、1日フリー切符を購入。1,000円のはずが、ただいま割引キャンペーン中で600円だった(ひたちなか市の補助事業によるそうだ)。勝田から終点・阿字ヶ浦までの片道が570円だから大変お得である。

 さて、どんな列車がやってくるか、と思っていたら、パッと見ただけではなんだかよく分からない奇抜なデザインの車両が1両で到着。どうやら、ひたちなか市にある小松製作所茨城工場とタイアップしているようだ。

 キハ3710-02。この車両には前回も乗ったが、外観がまったく変わっている。ちなみに車両形式の3710はミ・ナ・トに由来する。

 僕のようないわゆる「乗り鉄」や親子連れ、そして、地元の客を乗せて、8時42分に発車。

 常磐線から分かれて、左へカーブすると、すぐに工機前に到着。この駅はかつては日工前だった。日立工機の工場前に従業員専用駅として設置されたのが始まりで、その後、一般客も利用できるようになり、会社名が工機ホールディングスに変更されたことで、2019年から現在の駅名になったとのこと。

 次の金上(かねあげ)までは住宅街を走り、そこから林の中を抜け、坂を下って田園風景の中へ。田んぼはすっかり色づいて、稲刈りも行われている。

 中根を過ぎ、「高田の鉄橋」という名の新しい駅を出て、まもなく中核駅の那珂湊に8時56分頃到着。駅構内には古い車両がいろいろあり、前回も降りてみたかったのだが、時間の都合もあり、下車できなかった。一度降りてみたかった駅である。

 駅員にフリー乗車券を提示して、改札を出る。

 古い木造駅舎で、大正2(1913)年の開業時からのものだそうだ。

 線路に沿って阿字ヶ浦方面に歩き、踏切を渡って、駅の裏側に回り込むと、そこにお目当ての車両がいた。

 日本初のステンレス製のディーゼルカー、ケハ601。1960年にデビューして、1992年に引退。すでに台車も外され、線路の上ではなく地面に車体が置かれているだけだが、何とも言えない愛嬌のある顔だ。前面の二枚窓の上の眉毛のような小窓がいい味を出している。

 そのそばにはこれも古い車両。塗装が剥げて、かなり痛々しい姿の旧国鉄キハ20-429。1961年に製造され、主に広島県内の国鉄路線で走った後、1984年に鹿島臨海鉄道に譲渡され、1991年に茨城交通にやってきた。茨城交通ではキハ203として走っていた。鹿島移籍時にライトの位置が変更されている。

 駅のまわりを一周して、次の阿字ヶ浦行きに乗るため、改札を通り、ホームに横付けされている車両もチェック。

 ミキ300-103。兵庫県三木鉄道で走っていた車両で、1998年製造。2008年に三木鉄道が廃止され、その翌年、ここへやってきて、塗色も車番も変えずに走っているという。

 そのミキ300に連結されているのが、キハ205。1965年に製造された旧国鉄キハ20-522で、1989年、水島臨海鉄道に譲渡され、1996年に茨城交通にやってきた車両。今も現役で走る貴重な旧国鉄キハ20である。今日はお休みのようで、乗れないのが残念。

 9時48分の列車で阿字ヶ浦へ向かう。今度の車両はキハ11-5。JR東海から移籍した車両で、1989年製造。

 この車両、地元名産の干し芋にちなんで「ほしいも列車王国」と銘打ったラッピングトレインで、車内には干し芋の製法やサツマイモの品種についての解説などの掲示があり、なんとつり革が干し芋になっているのだった。

 触ってみると、ちょっと軟らかくて、本物の干し芋のような触感だった。

 列車は那珂湊を出ると、左へカーブして北へ向かい、台地上へと上っていく。車窓にはサツマイモ畑が広がる。

 ほしいもの王様?

 殿山、平磯と停まり、その次に美乃浜学園という新しい駅ができていた。この地域の小中学校が統合されて、市立の小中一貫校が新設され、その最寄りとして昨年3月に開設されたそうだ。その新駅を過ぎると、磯崎、そして終点の阿字ヶ浦には10時ちょうどに到着。

 駅は台地の末端に位置し、駅からは木立に遮られて見えないが、すぐ下に阿字ヶ浦海水浴場がある。かつて国鉄時代には夏に上野から直通の臨時急行「あじがうら」がここまで乗り入れていたこともあり、長いホームがあるが、今はその一部が使用されているだけだ。

 ところで、春のネモフィラや秋のコキアが丘一面を彩り、今や大変な人気観光地となっている国営ひたち海浜公園は阿字ヶ浦のすぐ北側にある。車窓からもサツマイモ畑の彼方に大観覧車が見えた。そこでこの鉄道も阿字ヶ浦から公園までの延伸が認可されたらしい。この鉄道斜陽の時代に、こうした新線計画が現実化するとすれば、異例中の異例といえる。

 

 さて、阿字ヶ浦駅にも貴重な車両が保存されている。キハ222とキハ2005。そして、紺と白に塗られたキハ222の前にはレールで作られた鳥居が立ち、「ひたちなか開運鐡道神社」の赤い幟がはためいているのだ。うーむ。

 この「御神体」となっているキハ222は1962年に製造され、北海道の羽幌炭礦鉄道で走っていたのが、1970年の同鉄道廃止により翌年、茨城交通が購入。以来、2015年まで無事故で走り続けたものだという。寒冷地向け車両ならではの円形の旋回窓がついているのが貴重だろう。

 その後ろには旧国鉄準急色に塗られたキハ2005。1966年製造で、北海道の留萌鉄道で使われ、1969年に茨城交通に転入。2015年に廃車となっている。

 さて、車両見物はこれぐらいにして、阿字ヶ浦海岸へ行ってみよう。