霞ケ浦から筑波山へ(その2)

 4月28日(日)に筑波山へサイクリングに出かけた話の続き。

 常磐線ひたち野うしく駅まで電車で輪行し、土浦市まで走って霞ケ浦の湖畔を散策し、かつて土浦駅から出ていたローカル私鉄・筑波鉄道廃線跡を利用した自転車道「つくばりんりんロード」を走りだしたところから。

f:id:peepooblue:20190428225057j:plain

 線路跡が常磐線から分かれて左へカーブし、すぐ川を渡る部分だけ鉄橋が撤去されているので、一般道を迂回し、またすぐ線路跡の自転車道が始まる。

 筑波鉄道は土浦と岩瀬を結ぶ40.1キロの非電化路線で、昭和62年に廃止された後、全区間自転車道に転用され、筑波山麓の筑波駅がちょうど中間地点だった。なので、ここから20キロほどの道のりだ。

 車庫(真鍋機関区)のあった真鍋信号所跡を過ぎて、今もホームの残る新土浦駅跡。単線に片側ホームのある駅だった。

f:id:peepooblue:20190429092255j:plain

 新土浦を過ぎると、国道125号線とクロスするが、廃線後もしばらく道路の踏切跡のレールが残っていた。しかし、それもさすがに消えていた。

 1999年の新土浦駅跡。

f:id:peepooblue:20190429160730j:plain

 廃線からもう32年だ。「昭和」も今までは現代と直結していたが、元号が3日後に「令和」に改まると、間に「平成」を挟んで一段と遠い時代になるわけだ。

 あたりは田園風景に変わってきた。水を張った田んぼや蓮田が広がり、青空を映している。

 新土浦から2キロ余りで虫掛駅跡。対向式ホームだったが、今は上りホームだけが残っている。背後の枯れたヨシ原でオオヨシキリがギョギョシ、ギョギョシと賑やかだ。

f:id:peepooblue:20190429093401j:plain

f:id:peepooblue:20190429094006j:plain

f:id:peepooblue:20190429094044j:plain

 このあたりは海から離れているわりには土地が低く、恐らく縄文時代には海が入り込んでいたのだろう。沖積平野だから起伏もなく、快適なサイクリング。

 コサギがいた。

f:id:peepooblue:20190429094338j:plain

 飛んだ。

f:id:peepooblue:20190429094433j:plain

 オオヨシキリやセッカ、ウグイス、ヒバリ。いろいろな鳥の声を聞きながら走る。

 手前の山の彼方に筑波山

f:id:peepooblue:20190429094556j:plain

 坂田駅跡。右側にホームがあったが、消えた。

f:id:peepooblue:20190429094734j:plain

 その代わり、駅名標が近くに保存されている。でも、字が消えかかっている。

f:id:peepooblue:20190429095018j:plain

 1997年の同じ駅名標。まだ文字がはっきりしていた。

f:id:peepooblue:20190429153854j:plain

 坂田駅跡の横にはカフェができていて、こんなところで休憩するのもいいな、と思ったが、そのまま進む。

f:id:peepooblue:20190429095359j:plain

 遠くに見える雪を被った山々は日光連山だろうか。

f:id:peepooblue:20190429095224j:plain

 常陸藤沢駅跡。このあたりは昔は新治村だったが、今は土浦市に併合された。

f:id:peepooblue:20190429095548j:plain

 1997年の常陸藤沢駅跡。踏切部分にはまだレールも残っていた。

f:id:peepooblue:20190429154040j:plain

 田土部駅跡。

f:id:peepooblue:20190429095751j:plain

f:id:peepooblue:20190429100549j:plain

 八重桜の並木道になった。今が満開。動画で撮影してみた。左手にカメラを持ち、走りながら左手の親指で電源を入れ、録画スタートボタンを押す。当然、片手運転なので、長い距離は撮影できない。

 この映像の中で起点から10キロ地点を過ぎ、つくば市に入る。


つくばりんりんロード

 八重桜と筑波山

f:id:peepooblue:20190429100929j:plain

f:id:peepooblue:20190429101017j:plain

 次の常陸小田駅手前で自転車道国史跡「小田城址」を迂回。南北朝時代南朝方の重臣北畠親房が「大日本ハ神国ナリ」で始まる『神皇正統記』を書いた場所として有名。その城跡を鉄道は貫通していたが、自転車道は迂回している。

f:id:peepooblue:20190429101540j:plain

 常陸小田駅跡。中学生の時、この駅で降りてみたことがある。古い木造駅舎のある典型的な田舎の駅だった。今は駅舎の跡地に「小田城跡歴史ひろば案内所」がある。ちょっとだけ見学。

f:id:peepooblue:20190429101727j:plain

 1999年の常陸小田駅

f:id:peepooblue:20190429154231j:plain

 昔はこのような農村では今頃の季節、たくさんの鯉のぼりが盛大に泳いでいたものだが、すっかり見なくなった。

f:id:peepooblue:20190429102510j:plain

(下の写真は2006年5月の同じ区間。この頃まではまだ鯉のぼりが見られた)

f:id:peepooblue:20190429103447j:plain

 とはいえ、子どもがいなくなったわけでもなさそうだ。地元の小中学生と何度もすれ違ったが、みんなが大きな声で「こんにちは」と挨拶してくれる。散歩のお年寄も挨拶してくれる。こういうのは都会のサイクリングロードにはないことだ。茨城はいいなぁ、と思う。

 田植えの終わった水田に映る逆さ筑波。

f:id:peepooblue:20190429103720j:plain

 つくば市に合併前の旧筑波町の中心集落・常陸北条までやってきた。駅舎のあるホームと島式ホームの2面3線の駅で、自転車道は旧3番線を通っている。駅舎跡地には住宅が建っている。

f:id:peepooblue:20190429104132j:plain

 3年前に来たときは、ここで線路跡を離れ、筑波山への参詣道「つくば道」を登ったが、今回は次の筑波駅まで行くつもり。でも、ちょっと北条の街に寄り道。

 八坂神社。

f:id:peepooblue:20190429104649j:plain

 境内にある天文6(1537)年造立の石造五輪塔。総高201センチ、花崗岩でできている。

f:id:peepooblue:20190429105037j:plain

 十九夜塔。月待信仰のうち、旧暦19日の夜に集まり、飲食を共にし、念仏を唱えるなどして月に祈願したのが十九夜供養。茨城や栃木など北関東中心にみられる十九夜信仰は女人講が多く、おもに安産や子の健やかな成長を願ったという。女子会の元祖ともいえるか。

f:id:peepooblue:20190429105225j:plain

 北条の町から始まる「つくば道」。立派な道標がある。

f:id:peepooblue:20190429110153j:plain

f:id:peepooblue:20190429110312j:plain

f:id:peepooblue:20190429110342j:plain

f:id:peepooblue:20190429110408j:plain

 2006年の女の子。ずっとこの場所で手をあげ続けている。そして、2012年5月6日、この近くを竜巻が通り、北条の町に大変な被害が出た。彼女、台から降りたんだね。

f:id:peepooblue:20190429114548j:plain

 ツバメ。

f:id:peepooblue:20190429110515j:plain

 さて、北条をあとに自転車道に復帰して、筑波駅をめざす。でも、またすぐ脱線。

f:id:peepooblue:20190429110616j:plain

 ヒバリ、ウグイス、キジ、ホオジロなどの声が聞こえる。

 ベニシジミ

f:id:peepooblue:20190429110738j:plain

 桜川の土手上にいたキジ。

f:id:peepooblue:20190429111009j:plain

f:id:peepooblue:20190429110843j:plain

 桜川の土手から望む筑波山。祖父は晩年、山の中腹に家を建てて住んでいた。

f:id:peepooblue:20190429111302j:plain

 筑波山から連なる丘陵の裾を通ったら、オオルリのさえずりが聞こえてきた。それだけでも幸せな気分になる。

 神郡(かんごおり)の集落。大変古い村で、風情のある家並みが残る。

f:id:peepooblue:20190429111621j:plain

f:id:peepooblue:20190429111823j:plain

f:id:peepooblue:20190429124942j:plain

  筑波山麓の田園を走り回って、再び自転車道に復帰。このあたりは筑波鉄道の絶景区間として有名だった。

 僕は筑波の家からこの区間を走るディーゼルカーを眺めたのを思い出す。

f:id:peepooblue:20190429112338j:plain

 筑波駅跡に到着。時刻は13時。

f:id:peepooblue:20190429112622j:plain

 1997年の筑波駅跡。

f:id:peepooblue:20190429154413j:plain

 まだ鉄道が健在だった1978年頃の筑波駅。

f:id:peepooblue:20190429154527j:plain

 上の写真とほぼ同じ場所。今はまさに自転車の駅になっていて、空気入れなども置いてある。

f:id:peepooblue:20190429154800j:plain

 筑波駅も常陸北条と同じく2面3線の駅だった。通常は1・2番線で上下列車が行き違い、3番線には行楽シーズンに上野から直通の臨時列車・筑波号が入線していたものだ。鉄道が健在なら、連休中の今日も筑波号が運転されていたはず。

f:id:peepooblue:20190429155213j:plain

f:id:peepooblue:20190429155244j:plain

f:id:peepooblue:20190429155317j:plain

 筑波駅に停車している筑波号は何度も見たし、乗ってみたいと憧れたものだが、結局、一度も乗るチャンスはなく、走っているシーンも見たことはない。今ならこんな古びた機関車が引く列車、沿線には鉄道ファンが殺到したことだろう。当時はどうだったのだろうか。
(つづく)

 

(きょうの1曲)村田和人/サイクリングに行こう


Kazuhito Murata(村田和人) - サイクリングに行こう