4月28日(日)に筑波山へサイクリングに出かけた話の続き。
常磐線のひたち野うしく駅まで電車で輪行し、土浦市まで走って霞ケ浦の湖畔を散策し、かつて土浦駅から出ていたローカル私鉄・筑波鉄道の廃線跡を利用した自転車道「つくばりんりんロード」を走りだしたところから。
線路跡が常磐線から分かれて左へカーブし、すぐ川を渡る部分だけ鉄橋が撤去されているので、一般道を迂回し、またすぐ線路跡の自転車道が始まる。
筑波鉄道は土浦と岩瀬を結ぶ40.1キロの非電化路線で、昭和62年に廃止された後、全区間が自転車道に転用され、筑波山麓の筑波駅がちょうど中間地点だった。なので、ここから20キロほどの道のりだ。
車庫(真鍋機関区)のあった真鍋信号所跡を過ぎて、今もホームの残る新土浦駅跡。単線に片側ホームのある駅だった。
新土浦を過ぎると、国道125号線とクロスするが、廃線後もしばらく道路の踏切跡のレールが残っていた。しかし、それもさすがに消えていた。
1999年の新土浦駅跡。
廃線からもう32年だ。「昭和」も今までは現代と直結していたが、元号が3日後に「令和」に改まると、間に「平成」を挟んで一段と遠い時代になるわけだ。
あたりは田園風景に変わってきた。水を張った田んぼや蓮田が広がり、青空を映している。
新土浦から2キロ余りで虫掛駅跡。対向式ホームだったが、今は上りホームだけが残っている。背後の枯れたヨシ原でオオヨシキリがギョギョシ、ギョギョシと賑やかだ。
このあたりは海から離れているわりには土地が低く、恐らく縄文時代には海が入り込んでいたのだろう。沖積平野だから起伏もなく、快適なサイクリング。
コサギがいた。
飛んだ。
オオヨシキリやセッカ、ウグイス、ヒバリ。いろいろな鳥の声を聞きながら走る。
手前の山の彼方に筑波山。
坂田駅跡。右側にホームがあったが、消えた。
その代わり、駅名標が近くに保存されている。でも、字が消えかかっている。
1997年の同じ駅名標。まだ文字がはっきりしていた。
坂田駅跡の横にはカフェができていて、こんなところで休憩するのもいいな、と思ったが、そのまま進む。
遠くに見える雪を被った山々は日光連山だろうか。
常陸藤沢駅跡。このあたりは昔は新治村だったが、今は土浦市に併合された。
1997年の常陸藤沢駅跡。踏切部分にはまだレールも残っていた。
田土部駅跡。
八重桜の並木道になった。今が満開。動画で撮影してみた。左手にカメラを持ち、走りながら左手の親指で電源を入れ、録画スタートボタンを押す。当然、片手運転なので、長い距離は撮影できない。
この映像の中で起点から10キロ地点を過ぎ、つくば市に入る。
八重桜と筑波山。
次の常陸小田駅手前で自転車道は国史跡「小田城址」を迂回。南北朝時代に南朝方の重臣・北畠親房が「大日本ハ神国ナリ」で始まる『神皇正統記』を書いた場所として有名。その城跡を鉄道は貫通していたが、自転車道は迂回している。
常陸小田駅跡。中学生の時、この駅で降りてみたことがある。古い木造駅舎のある典型的な田舎の駅だった。今は駅舎の跡地に「小田城跡歴史ひろば案内所」がある。ちょっとだけ見学。
昔はこのような農村では今頃の季節、たくさんの鯉のぼりが盛大に泳いでいたものだが、すっかり見なくなった。
(下の写真は2006年5月の同じ区間。この頃まではまだ鯉のぼりが見られた)
とはいえ、子どもがいなくなったわけでもなさそうだ。地元の小中学生と何度もすれ違ったが、みんなが大きな声で「こんにちは」と挨拶してくれる。散歩のお年寄も挨拶してくれる。こういうのは都会のサイクリングロードにはないことだ。茨城はいいなぁ、と思う。
田植えの終わった水田に映る逆さ筑波。
つくば市に合併前の旧筑波町の中心集落・常陸北条までやってきた。駅舎のあるホームと島式ホームの2面3線の駅で、自転車道は旧3番線を通っている。駅舎跡地には住宅が建っている。
3年前に来たときは、ここで線路跡を離れ、筑波山への参詣道「つくば道」を登ったが、今回は次の筑波駅まで行くつもり。でも、ちょっと北条の街に寄り道。
八坂神社。
境内にある天文6(1537)年造立の石造五輪塔。総高201センチ、花崗岩でできている。
十九夜塔。月待信仰のうち、旧暦19日の夜に集まり、飲食を共にし、念仏を唱えるなどして月に祈願したのが十九夜供養。茨城や栃木など北関東中心にみられる十九夜信仰は女人講が多く、おもに安産や子の健やかな成長を願ったという。女子会の元祖ともいえるか。
北条の町から始まる「つくば道」。立派な道標がある。
2006年の女の子。ずっとこの場所で手をあげ続けている。そして、2012年5月6日、この近くを竜巻が通り、北条の町に大変な被害が出た。彼女、台から降りたんだね。
ツバメ。
さて、北条をあとに自転車道に復帰して、筑波駅をめざす。でも、またすぐ脱線。
ヒバリ、ウグイス、キジ、ホオジロなどの声が聞こえる。
桜川の土手上にいたキジ。
桜川の土手から望む筑波山。祖父は晩年、山の中腹に家を建てて住んでいた。
筑波山から連なる丘陵の裾を通ったら、オオルリのさえずりが聞こえてきた。それだけでも幸せな気分になる。
神郡(かんごおり)の集落。大変古い村で、風情のある家並みが残る。
筑波山麓の田園を走り回って、再び自転車道に復帰。このあたりは筑波鉄道の絶景区間として有名だった。
僕は筑波の家からこの区間を走るディーゼルカーを眺めたのを思い出す。
筑波駅跡に到着。時刻は13時。
1997年の筑波駅跡。
まだ鉄道が健在だった1978年頃の筑波駅。
上の写真とほぼ同じ場所。今はまさに自転車の駅になっていて、空気入れなども置いてある。
筑波駅も常陸北条と同じく2面3線の駅だった。通常は1・2番線で上下列車が行き違い、3番線には行楽シーズンに上野から直通の臨時列車・筑波号が入線していたものだ。鉄道が健在なら、連休中の今日も筑波号が運転されていたはず。
筑波駅に停車している筑波号は何度も見たし、乗ってみたいと憧れたものだが、結局、一度も乗るチャンスはなく、走っているシーンも見たことはない。今ならこんな古びた機関車が引く列車、沿線には鉄道ファンが殺到したことだろう。当時はどうだったのだろうか。
(つづく)
(きょうの1曲)村田和人/サイクリングに行こう