4月28日に筑波山へ行った話の続き。
土浦から筑波鉄道の廃線跡「つくばりんりんロード」を走って筑波山の玄関口だった旧筑波駅までやってきた。今は筑波山口というバスの発着場になっている。
ここでもツバメが賑やかだ。
さて、ここから山登り。駅前通りから坂道で、その先に鳥居がある。男体・女体の二峰からなる筑波山(877m)は山そのものがご神体で、古代から信仰を集めた霊峰である。
ギアを一番軽くして登り始める。このような山登りは久しぶりなので、ちょっときつい。でも、まぁ、大した距離ではないので、なんとかなる。のんびり行こう。
北条からまっすぐ登る古い参詣道「つくば道」は激坂の連続で、自転車を押して歩いても恥じることはないが、この登山道路は「つくば道」ほどの急勾配ではないし、しかもクルマやバスが頻繁に通るから、押して歩くのはカッコ悪い。とはいえ、けっこうきつい。汗が目の中に流れ込んで、しみる。そのたびに自転車を停め、タオルで汗を拭く。フーッと一息。
藤の花が咲いている。花を愛でるフリをして休憩。
ようやく筑波山神社入口に着いた。大勢の観光客で賑わっている。
旅館やホテル、土産物屋、食堂などが並ぶ一角からははずれて、昔、祖父の家のあった場所を見たり、散歩したコースをたどってみたり。
この歩道橋は夏の朝、カブトムシを採集にくる場所だった。夜間、街灯に集まったカブトムシが早朝、あちこちにうずくまっていて、捕まえるというよりは拾うという感覚だった。
この歩道橋の場所で道路を横切るのが古道「つくば道」だ。
ロープウェイの駅がある女体山。その山頂が筑波山の最高地点で877メートル。
遠くに東京のビル群も見える。
昔、ホタルの幼虫を見つけた川。
筑波山神社に参拝。標高270メートルに位置する拝殿。本殿は男体山・女体山の両山頂にある。
随神門。神仏習合時代には中禅寺という寺があったので、当時は仁王門だった。茨城県内随一の楼門で、寛永10(1633)年に3代将軍・徳川家光により寄進されたものだが、その後、二度焼失し、現在の門は文化8(1811)年の再建。
境内の池。子どもの頃、ここでザリガニ釣りをした。地元の子が餌用のさきイカを分けてくれたのを覚えている。
樹齢800年の大杉。子どもの頃から樹齢800年だ。
大杉のそばの杉本屋で遅めの昼食。「つくばそば」を注文。地元産の地鶏のつくねなど地元の食材が使われている。
このお店の雰囲気は昔から変わらない。おじさんにこのお店はいつからあるんですか、と聞くと江戸時代から、とのこと。明治初頭のこの付近の地図を見せてくれたが、確かに杉本屋の名前があった。ほかにも知っている店や旅館の名前がいくつもある。
もうすぐ平成も終わるが、ここには昭和の空気がそのまま保存されているような気がした。令和になってもこのままであってほしい。
さて、帰るか。
画面中央を斜めに走るのが旧筑波鉄道の「りんりんロード」。
先ほど登ってきた登山道路を一気に下ってきた。
再び筑波駅跡のホームにて。
帰りはつくばエクスプレスのつくば駅から電車に乗ることにしよう。北条の手前までりんりんロードを戻り、そこから国道125号線で下妻方面へ行き、学園東大通りへ入る道筋で、昔、父の運転するクルマでよく通った道でもある。
途中、ヒツジのいる牧場があった。
ヒバリ。この後、飛び立って、さえずり始める。
筑波山を背に走る。子どもの頃、筑波からの帰りに山がどんどん遠くなるにつれて、寂しい気持ちになったものだが、あの時の気分を思い出す。
子どもの頃、このあたりはまだ研究学園都市の造成中で、原野が広がり、でこぼこの砂利道が続いていた印象だが、すっかり様子が変わった。
学園東大通り沿いに豊かな緑の中、筑波大学や様々な研究施設が並んでいる。
つくば駅に到着。時刻は16時47分。
駅前で自転車の前後輪を外して袋に収納し、17時11分発の快速に乗れば、北千住までわずか35分。そこから千代田線の小田急線直通列車に乗れたので、18時50分には帰宅できた。
今日の走行距離は72.7キロ。