4月9日に筑波山へ行ってきた話の続き。
つつじヶ丘から登り始めて、標高877メートルの女体山に登頂したところから。
女体山をあとに男体山との鞍部にある御幸ヶ原へ向かう。ロープウェイやケーブルカーで来た人たちもこの区間は大抵は歩くので、老若男女、行き交う人も多くなる。1月に来た時はここですら雪と氷でけっこう難儀したが、雪さえなければ歩きやすい道である。
ガマ石。江戸時代には「雄竜石」と呼ばれ、その尾は霞ケ浦まで達していたといわれているそうだ。つつじヶ丘から登ってくる登山道は「おたつ石コース」というが、この石にちなんだ名称だったわけだ。
石を投げて、うまくガマの口に入ればご利益があるらしく、女性3人組が小石を拾っては投げていたが、一つも入らなかった。
途中のせきれい茶屋の傍らに大きな錨。昔、筑波山を目印として漁をしていた千葉県銚子漁港の漁師たちが筑波山を信仰し、明治初期に「奉納品」として数百人で高さ2メートルの錨を麓から山頂まで運び上げたのだそうだ。もとは女体山頂付近の祠に納められていたが、その後、現在地に移されたのだという。
御幸ヶ原の近くには「カタクリの里」の幟がはためいている。柵で囲われた一帯にカタクリがたくさん咲いていた。
珍しい白花もある。
これはキクザキイチゲ。
御幸ヶ原に到着。時刻は10時40分。
筑波山中で最大級のブナ。樹齢は数百年とか。
紫峰杉。高さ約40メートル。幹回り約7メートル。推定樹齢800年だそうだ。
男女川(みなの川)の源流。竹筒から湧水が流れ落ちている。
小倉百人一首に収められた陽成院の「筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる」の男女ノ川である。
道興准后も『廻国雑記』の中で陽成院の歌に心を寄せつつ一首詠んでいる。
みなの川は此の山のかげにながれ侍り。恋ぞつもりてと詠ぜし歌をおもひいでて、
筑波ねのもみぢうつろふみなの川、淵より深き秋の色かな
ここにソウシチョウがいたが、写真を撮る前に逃げられた。外来種だが、きれいな鳥だとは思う。ヒガラやウグイスに交じって、よい声でさえずっているのがソウシチョウだろうか。かなりたくさんいるようだ。
さて、御幸ヶ原の茶屋でなめこ蕎麦の昼食。
御幸ヶ原には昭和天皇の御製を刻んだ歌碑もある。
はるとらのを ま白き花の 穂にいでて おもしろきかな 筑波山の道
昭和天皇は昭和60年4月26日につくば科学万博を視察された際に筑波山にも行幸され、この歌を詠まれて、翌年正月に発表されたという。この歌碑は「昭和の日」施行に合わせて平成18年に建立されたそうだ。
今度は男体山に登る。
スミレとカタクリ。
標高871メートルの男体山。山頂に男体山御本殿が鎮座し、伊弉諾命が祀られている。
1月には富士山や浅間山、御幸ヶ原からは日光連山がよく見えたが、今日はすべて春霞の彼方。
筑波山測候所。
さて、御幸ヶ原から下って行こう。今日は筑波山の麓まで歩いて下ろうと思っている。
まだ正午前である。
つづく。
(おまけ)カキツバタが本日開花。
フリージアも昨日から咲き出した。