筑波山(その1)

 茨城県筑波山へ行ってきた。昔、祖父が山の中腹に家を建てて住んでいたので、子どもの頃から何度も登った懐かしい山である。祖父の家はもうなくなったが、今でも自転車を使って何度か出かけている。自転車なので、登るのはせいぜい中腹までで、最近は山頂に立っていない。それで今回は久しぶりにちゃんと歩いて頂上まで登ろうと年末から考えていたのである。

 ところが、3日前に東京で大雪が降り、筑波山の山頂にも雪が積もっているのはライブカメラで確認した。それで筑波行きは延期しようかとも考えたのだが、映像で見る限り東京と同じぐらいの積雪だし、天気予報では気温も上がるらしい。まぁ、なんとか登れるのではないか、ダメならケーブルカーやロープウェイを使ってもいいし・・・と気楽に考えて、朝6時過ぎの電車に乗って、とりあえず行ってしまった。

 小田急線、千代田線を乗り継ぎ、北千住からはつくばエクスプレスの快速に乗れたので33分でつくば駅に到着。つくばエクスプレスは本当に速い。

 つくばエクスプレスの車内からも筑波山が見える。

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 ここから山へ直行のシャトルバス。8時の始発便に乗るつもりだったが、バス停に待っていたバスに乗り込んだら7時52分発の臨時便で、すでに座席がほぼ埋まっていて、約40分間立ちっぱなしだった。

 バスは本来、筑波山の東の肩にあたりロープウェイの乗り場があるつつじヶ丘行きだが、本日は路面状況が悪いため、途中の筑波山神社入口までだという。僕は最初からそこで降りるつもりだったので問題はないが、山の上はバスの運行に支障が出るほど雪が積もっているのだろうか。実際、つくばの市街地にも日陰にはまだだいぶ雪が残っている。

 バスは右前方に筑波山、正面に雪をかぶった日光連山を見ながら時速60キロで走り続け、8時半ごろには筑波山神社入口に到着。

 山を登る途中、路上にカラスがいるので、何かと思ったら、車に轢かれた動物が横たわっていた。毛色からするとタヌキでもハクビシンでもなさそうだ。アナグマかな、と思ったが、確かめようがない。バスは避けるように通過した。最近、茨城県に来ると、必ず動物の轢死体を見る。タヌキ、ハクビシン、ネコ・・・。毎日毎日、たくさんの生き物がクルマの犠牲になっているのだ。

 さて、バスを降りると、停留所付近から富士山がうっすらと見えた。広大な関東平野をはさんで、対峙しているようだ。昔、江戸では「西の富士、東の筑波」と並び称されたという。

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 まずは筑波山神社へ。ホテルや旅館、土産物屋、食堂が並ぶ通りはまだひっそりとしている。

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 参道には昔ながらの土産物屋があって、子どもの頃の記憶にあるおじさんとおばさんがそのままおじいさんとおばあさんになって、最近まで店を続けていたが、数年ぶりに来てみたら、お店が跡形もなく消えていた。

 でも、この界隈は本当に懐かしい。

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 子どもの頃、この池でザリガニ釣りをした記憶がある。

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 樹齢800年の大杉。僕が子どもの頃から800年だが、まだ900歳にはならないのだろうか。名物「ガマの油売りの口上」が披露されるようだ。

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 標高270メートルの地にある筑波山神社拝殿。まだ初詣仕様だ。筑波山は山そのものが御神体であり、ここから上はすべて神域である。

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 筑波山の標高は877メートルに過ぎず、さほど高い山ではないが、平坦な関東平野にあたかも独立峰のようにそびえ、恐らくはこの地に人が住み始めた当初から神聖な山として仰がれたと思われる。万葉集にも筑波山を詠んだ歌が25首も収められているなど、古来、人々に崇められ、親しまれてきたが、素朴な山岳信仰から神仏習合の時代には今の神社の位置に筑波山知足院中禅寺という真言宗寺院が建立され、山岳霊場へと発展する。中禅寺は延暦元(782)年に徳一上人により創建されたと伝えられ、長い間、筑波山信仰の中核となり、徳川時代には江戸の鬼門の方角に位置する祈願所として幕府の崇敬と保護を受け、寺は大いに栄えたという。

 ところが、明治時代になると、神仏分離廃仏毀釈の狂乱によって伽藍はことごとく破壊され、中禅寺は廃寺となってしまう。かろうじて難を逃れた本尊の千手観音像だけは地元の信者に保護され、昭和5年に再興された大御堂に安置されたが、昭和13年に発生した山崩れによってお堂ごと埋没。しかし、この時も観音像は奇跡的に無傷で土中から現われたということだ。
 往時の中禅寺境内は筑波山神社となり、かつての本堂の跡地に立派な拝殿が建てられ、今も多くの参拝者を集めているわけだが、旧中禅寺の観音様は神社の西隣にこじんまりと存在する大御堂に奉安されている。鎌倉時代から中禅寺は坂東三十三観音の第25番札所になっており、僕も15年ほど前に札所巡りで大御堂に参拝しているが、当時は目立たない存在で、参拝者も神社に比べれば、ずっと少なかった。しかし、先ほどその前を通ったら、いつのまにか本堂も境内もすっかり新しくなり、通りから立派な石段が通じて、観光客にもその存在をアピールしているのだった。

 

 筑波山神社の拝殿前から隋神門を振り返る。この隋神門は旧中禅寺の仁王門だった。

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 さて、神様に手を合わせ、神社の東側に登り口がある白雲橋コースに入る。ほかにも同じルートを選ぶ登山者が数名、前後を歩いている。登山道に入る前の急坂で雪が凍っていて、みんな足を滑らせている。最初からこんな調子で大丈夫か、と思ったが、そこをなんとか通過すると、雪もほとんどなく、これなら山頂まで行けるかな、という気にはなった。

 「是より女體山」。筑波山男体山(871m)、女体山(877m)の二峰からなり、それぞれの山頂にイザナギイザナミの二神が祀られている。 

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 「売り物件」と書かれた古民家風の空き家がある集落を抜けて、いよいよ登山道に入る。入り口には鳥居がある。コース名の「白雲橋」というのはどこにあるのだろうと思っていたが、先ほど渡った筑波山神社の東側にある橋が白雲橋なのだった。子どもの頃から知っている橋だが、名前は初めて知った気がする。

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 このあたりでツグミの声を聞き、シロハラの姿を見た。冬鳥ウォッチングも楽しみなのだが、どんな鳥に会えるだろうか。

 筑波山神社から女体山の山頂まで約2.8キロ、標高差610メートルだそうである。

 つづく。今回も話が長くなるパターンである。