筑波山(その2)

 1月9日に茨城県筑波山に登ってきた話の続き。

 筑波山神社に参拝し、神社東側の渓流にかかる白雲橋を渡って、白雲橋コースと呼ばれる登山道に入ったところから。時刻は8時50分。

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 木の階段が整備された登山道はとても歩きやすく、雪もほとんどない。むしろ、山麓の方が積雪が残っていたぐらいだ。

 杉の巨木にシイやカシなどの常緑広葉樹が交じる森の中をスイスイと登っていく。

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 登山道沿いには巨岩がごろごろしている。斑糲(はんれい)岩で、これは日本ではそんなに多くは見られないらしい。

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 そもそも筑波山はどのようにできた山なのか。地上に恐竜が闊歩していた今から7500万年ほど前の白亜紀後期、まだ日本列島がユーラシア大陸の一部だった時代に海底に土砂が堆積した地層の中に地底深くから上昇してきた玄武岩質のマグマが貫入する。このマグマがそのまま地層を突き抜けて地表に出れば海底噴火となったわけだが、噴火には至らないまま、地中深くでマグマはゆっくりと冷えて、固まってしまう。こうしてできたのが斑糲岩である。

 その後、およそ6000万年前に再び地球の内部から別のマグマが上昇してくる。このマグマも地中深くで冷えて固まり、今度は斑糲岩とは成分や性質の異なる花崗岩となる。

 これらの岩体が地殻変動によって隆起して陸地化し、岩体を覆っていた地層は侵食され、さらに風化しやすい花崗岩はボロボロと崩れて、周囲になだらかな傾斜を生み出し、一方、硬くて侵食や風化の影響を受けにくい斑糲岩が取り残されることで、筑波山が生まれたのだという。そのため、筑波山は中腹より上の斑糲岩部分は傾斜が急で、山麓へ行くほどなだらかになるという特徴がある。

 

 さて、そのような筑波山を山頂めざして登っていく。

 周囲に斑糲岩がゴロゴロしているのは、マグマの冷却と収縮の際や地中で凄まじい圧力を受けたり、地下から押し上げられ地表に出て高圧から解放された時に多くの割れ目(節理)が生じ、そこで割れた岩石が度重なる山崩れ、土石流によって転がり落ちた結果である。花崗岩のように粉々になることなく、斑糲岩は大きな塊のまま転がっている。これらの石は筑波石として庭石などに利用されている。そして、うちにも小ぶりな筑波石があるので、実は筑波石=斑糲岩は毎日目にする一番馴染みのある石でもあるのだった。

 

 さて、軽快に登っていくと、やがて、つつじヶ丘方面へ行く「迎場コース」が右に分岐。

 さらに登ると、左手の巨岩の上に小石が積まれ、その上に小さな祠がある。これが白蛇弁天。白蛇が棲んでいるといわれ、見かけると、財を成すという伝説があるらしい。ここまで神社から20分ほど。

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 いた! 違うか。

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 道はだんだん岩場が多くなり、険しさも増してきた。ただ、平坦な部分もあり、まだきつくはない。

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 ヒガラのさえずりが聞こえ、ヤマガラも近くに出てきた。ほかにコゲラも見かける。あとはシジュウカラやウグイスの声もする。ウグイスはもちろんホーホケキョではなく、チャッチャッという地鳴きである。

 巨岩の上に小さな祠が祀られている。至るところに神様がおわす。

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 筑波山神社から1.1キロ、女体山頂へ1.6キロ。

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 スギやモミ、ヒノキなど針葉樹中心の林だったのが、だんだん広葉樹が目立ってきた。少し明るい雰囲気になり、野鳥の声も多くなり、木々の間を飛び交っている。

 森の貴重な彩り。

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 少し雪が増えてきた。気温が上がったせいか、木々の枝に残った雪がザザッと落ちて、それが陽射しでキラキラと輝いている。f:id:peepooblue:20220110163628j:plain

 平坦で気持ちの良い道。珍しいアカガシの純林。

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 筑波山神社から1時間、前方から子どもたちの声が聞こえてきて、つつじヶ丘からの登山道と合流する。ちょっとした広場になっていて、子ども連れのグループが休憩している。昔はここに弁慶茶屋という茶店があった。子どもの頃、休憩した記憶がある。江戸時代からおよそ270年続いたというが、店主の高齢化と後継者不在で2006年に廃業したそうだ。険しい登山道の途中で、車も入れず、商品を運ぶのもお店の人が通うのも大変だったのだろう。

 ここで視界が開けて、霞ケ浦が見えた。はるか彼方には太平洋も見える。そして、気づかぬ間にロープウェイの下をくぐっていて、ロープが下に見える(下写真の画面右下)。

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 ここにも小さな祠。

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 少し休んだだけで、また歩き出し、弁慶茶屋跡を振り返る。

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 ここからが筑波山登山のハイライトで、いきなり最大の見どころともいえる「弁慶七戻り」がドーンと現れる。岩と岩の狭間に巨大な岩が引っ掛かっていて、今にも落ちてきそうなので、あの武蔵坊弁慶も通るのに躊躇して七度も引き返したという話だが、実際は弁慶ですら、もしここを通るとするなら、ちょっとためらうに違いないという想像から生まれた名称だろう。

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 僕は何の躊躇もなく、あっさりと通り抜ける。筑波山には大人になってからも何度も来ているが、ここは小学生の時以来かもしれない。

 そこにあった説明板によれば、「古くから、神々の世界と現生を分かつ場所とされてきた石門」ということだ。

 反対側から。

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 東日本大震災の時、つくば市では震度6弱を観測し、筑波山でも強い揺れに見舞われたはずだが、弁慶七戻りは無事だった。でも、絶対に落ちないのか、と言われれば、絶対落ちないとは誰も断言できないだろう。調べてみて、あの地震の時、筑波山で下山中の女性が頭部に落石の直撃を受けて亡くなったという事実を初めて知った。

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 つづいて現れるのが「高天原」。

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 巨岩の狭間を登っていくと、岩の上に筑波山神社の摂社で天照大神を祀る稲村神社がある。祠の背後にも見上げるような岩壁がそびえている。ここは知らなかった。父と登った子どもの頃は弁慶七戻りは強く印象に残っているが、ここは素通りだったろう。

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 つづいて「母の胎内くぐり」。修験道の行場で、岩の間をくぐり抜けることで、罪穢れのない清らかな心身に立ち返るのだという。ここにも石祠がある。

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 これも上からのしかかる巨岩を下で支える岩が硬い斑糲岩だからこそ、押しつぶされないということなのだろう。僕は何気なくくぐり抜けたが、改めてよく見ると、けっこう恐ろしい。下の石がごろんと転がったら、全体が崩れそうだ。

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 そばにもうひとつあったので、こちらもすり抜ける。

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 こんなことをしているのは僕だけで、ほかの登山者は傍らをさっさと素通りしていく。

 次は陰陽石

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 相反する陰(地・女・月・夜・静・暗など)と陽(天・男・太陽・昼・動・明など)に見立てた二つの巨岩が寄り添うように聳え立っていることから陰陽石。寄り添っているというより、一つの石が二つに割れたのだろうけれど。

 10時に標高750メートル地点を通過。

 ちょっとした鎖場になっている険しい岩の間を登っていくと、尾根上に出て、今度は「国割り石」。遠い昔、この場所に神々が集まり、この石の上に線を引き、それぞれが治めるべき地方を割り振ったという伝説からこの名前。岩に幾筋もの亀裂(節理)が縦横に走っていることから、このような想像が生まれたのだろう。

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 だんだん積雪が増え。しかも凍っている場所もある。一歩一歩、慎重に歩かなくてはならない。

 次に見えてくるのは「出船入船」。石の姿がまるで出ていく船と入ってくる船が並んでいるように見えることからこの名前がつき、航路の安全を守る船玉神が祀られ、昔、修験者がここから聖地である熊野を遥拝したとのこと。

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 渡神社。祭神はイザナギイザナミの間に最初に生まれた御子とされる蛭児命(ヒルコノミコト)。

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 この神社の手前に大黒様の後ろ姿に見えるという「裏面大黒」という岩があったはずなのだが、見逃した。足元に注意しながら歩かねばならないので、この先、岩石ばかり見ているわけにはいかなくなったのだ。女体山頂はもうすぐのはずだが、まだ着かない。

 ということで、つづく。