凶弾に倒れる

 朝、英国のジョンソン首相が政権および保守党内で相次いだスキャンダルが原因で辞意を表明したというニュースに接して、数々のスキャンダルに見舞われながらも、責任を「痛感」するだけで責任を取るということをしなかった我が国の元総理のことを考えたりしたのだったが、その数時間後には信じられないようなニュースが飛び込んできた。

 奈良市で選挙応援の演説中だった安倍晋三元首相が多くの人々の眼前で銃撃を受け、亡くなるという衝撃的な事件。41歳の元海上自衛隊員の男がその場で現行犯逮捕される。

 それからメディアはこの事件の報道一色となる(テレビ東京はアニメ番組を放送していたけれど・・・)。海外でもジョンソン首相の辞意表明を吹っ飛ばすほどの衝撃的なニュースとして伝わっているようだ。

 個人的には好きな政治家ではなかったし、支持もしていなかったが、政界の主役兼悪役兼道化役のような存在で、総理辞任後も存在感は大きかったので、それが突然いなくなってしまったという拍子抜けのような奇妙な空白感が生じたように感じる。安倍氏を賛美していた人も批判していた人も、いきなりその対象が消えてしまったわけだ。現政権にとっても重石のようにのしかかっていたものが急になくなったといえるかもしれない。

 この10年の安倍時代、何が成果なのか、いまだはっきりしないし、後遺症が出てくるのもこれからだと思うが、あまりにも突然の終焉。

 安倍氏は領土問題や拉致問題の解決、憲法改正などを実現して歴史に名を残すということに強いこだわりを持っていたのではないか、と想像していたが、本人が予想だにしない形で名前が残ることになってしまった。

 戦前は政治家へのテロが相次ぎ、それは時代を象徴するような出来事だったわけだが、今回の事件があくまでも例外的な出来事であり、これからの日本の行く末を暗示するようなものではないことを願うばかり。

 現時点では当然だが、追悼ムード一色で、毀誉褒貶がありながらも憲政史上最長の政権を担った安倍氏の功績を称える論調が目立ち、世間的にもこの悲惨な事件に対する怒りと悲しみが渦巻いているが、安倍晋三という政治家の歴史的な評価は事件とは切り離してなされるべきことだろうし、それがどのようなものになるのかはまだ分からない。

 とにかく、あさっては参議院議員選挙の投票日だ。