碓氷峠を横川から軽井沢まで歩く(その3)

 9月9日(土)に旧信越本線の横川~軽井沢に残る廃線跡を歩いた話の続き。

 かつてギザギザの歯が付いたラックレールに機関車の歯車と噛み合わせて急勾配を上り下りしていたアプト式の旧線跡を歩き続け、横川から6キロ。第十号トンネルの向こうに旧熊ノ平駅跡が見えてきた。ここで「峠の湯」で分かれて以来の新線と合流する。時刻は9時55分

 熊ノ平は横川~軽井沢間が複線化される前、行き違いのために設けられていた駅で、急勾配が続くなか、駅名の通り、わずかに平坦な土地がある場所だった。

 横川方面を見る。

 三つのトンネルが口を開けている。画面右がいま歩いてきた旧線跡(アプトの道)。左の二つが1997年に廃止された新線のトンネルで、左端の上り線(横川方面)はトンネル断面が大きい。新線トンネルはどちらも立ち入れないようにフェンスで封鎖されている。

 僕は完全に見逃していたのだが、実は旧線トンネルのさらに右側にもうひとつトンネルが口を開けていたのだった。それがどういうトンネルであるかは後で書く。

 とにかく、遊歩道の終点である熊ノ平駅跡に着いて、まず視界に入ったのは慰霊碑と神社だった。

 1969年に当時の国鉄高崎鉄道管理局が立てた説明板によると、「この殉難碑は昭和二十五年六月九日早朝突如として山くずれが起こり一瞬にして埋め去られた職員と家族五十のみたまを末長くまつるため、全国の国鉄職員から寄せられた浄財で設立されたものであります」とのこと。

 大雨の影響で前日に最初の土砂崩れが発生し、この時は人的被害はなかったものの、復旧作業中に2度目の崩落が起き、作業員や宿舎が土砂に埋没。さらに救出作業中にも相次いで山が崩れて、被害が拡大したということだ。駅長を含む死者50名と重軽傷21名を出す大惨事だった。
 殉難碑に手を合せ、隣の神社も拝んでおく。

 こちらの神社は熊ノ平神社といい、JR一ノ宮と称している。鉄道が開通する前から国道の前身となる街道沿いに祀られていたらしい。祭神は稲荷大神、宇佐八幡大神大山祇大神だそうだ。

 さて、熊ノ平である。1893年に横川~軽井沢間が単線で開通した時に信号場として開設され、1906年に駅に昇格。1937年には変電所が設置され、1966年には駅から客扱いをしない信号場に降格。1997年の路線廃止とともに役目を終えている。駅だった時代にはホームで「峠の力餅」が売られ、名物になっていたそうだ。

 熊ノ平変電所。昭和の建築なので、レンガの丸山変電所とは造りが全く違う。

 ところで、急勾配区間にわずかに存在する平坦地の熊ノ平。トンネルに挟まれた駅だが、単線時代はちょっと変わった駅であった。

 単線区間で列車が行き違うためには、そこだけ線路が2本に分かれて、行き違いを行うわけだが、熊ノ平では十分な線路の長さがとれなかったため、行き違い区間に列車の編成が収まりきらず、列車交換に支障をきたしてしまう。

 そこで次の図のように上下線それぞれに突っ込み線、引き上げ線を設けたのである。

 たとえば、横川から来た列車が先に到着した場合、列車はAの突っ込み線に乗り入れる。用地の都合でAは行き止まりのトンネルになっている。こうして軽井沢からの列車は支障なく行き違うことができる。その後、列車はバックで発車。Bの引き上げ線(これも行き止まりのトンネル)に入り、それから前進して、Cの本線に出て、軽井沢へ向かったのである。一種のスイッチバックだ。

 上り線にも同様の突っ込み線と引き上げ線が設けられたため、旧線時代の熊ノ平駅は両側に三つずつトンネルが口を開けていたことになる。

 その後、複線化に際して、軽井沢方は旧本線(C)を改修して新下り線に活用、そして上り引き上げ線(D)を改修して新上り線としている。あとで分かったことだが、旧下り突っ込み線(A)は駅と外部(旧国道)を結ぶ自動車用トンネルに転用されている。

 一方、横川方は僕が歩いてきた旧本線の第十号トンネルは廃線。下り引き上げ線(B)も廃止。そして、上り突っ込み線(E)は改修して新上り線に活用され、旧本線との間に新規にトンネルを掘って新下り線としている。

(軽井沢面。旧本線と上り引上線が新線に活用されている。左端に下り突込線トンネル)

 下写真の左側が旧下り突っ込み線のトンネルだが、最初はこれを単線時代の本線だと信じ込んでいた。あとになって、そうではないらしいことが分かり、不思議に思って調べてみて、熊ノ平でどのように列車が行き違いをしていたか理解したのだった。

 とにかく、この旧熊ノ平駅構内のすべてが貴重な歴史遺産として重要文化財に指定されている。

 静かな駅跡にコオロギの声がするほか、赤とんぼがたくさん飛んでいる。

 ところで、めがね橋で10人ばかりの観光客を見て以来、熊ノ平までまた誰にも会わなかったのだが、あとから若者がひとり現れた。僕のあとから「アプトの道」を歩いてきたのか、それとも旧国道を車で来たのかは分からない。その彼が道路へ通じる坂道を下っていった。

 とりあえず線路跡はここまでしか歩けず、この先はすべて立ち入り禁止である。ということで、熊ノ平から軽井沢までバスに乗るつもりだったのだが、そのバスが別ルートに変更になっているらしい。今の彼はどうするのだろう。僕も道路まで階段を下ってみた。

 駐車場があったが、車は一台もとまっていないし、先ほどの彼の姿も見当たらない。車で来て、もう行ってしまったのだろうか。

 そして、ここから軽井沢方面は道路が封鎖され、通行止めになっているのだった。

 「路肩崩落のため旧道国道18号(碓氷峠)は軽井沢方面へ通り抜け出来ません」ということで、「全面通行止」である。

 そこへ若い男二人組が車でやってきたが、道路が封鎖されているのを見て、引き返していった。駐車場にあった周辺案内図をみると、軽井沢行きのバスが走るバイパスは碓氷峠のずっと南を通っていて、ここからではアクセスできない。これ以上進めないのであれば、引き返すしかない。

 僕はカーブの多い旧国道を横川方面へ歩き出したが、100メートルほど歩いて、考え直す。徒歩で横川に戻るのなら、「アプトの道」のほうが距離が短いのではないか。さらに考える。通行止めの原因が「路肩」の崩落なら車は通れなくても、人ひとりぐらい通れるのではないか。

 ということで、駐車場まで戻り、道路封鎖の柵の隙間を通り抜けて、様子をみる。片側車線が泥に埋まり、そこに水が溜まっている。そこを獣が横切ったようで、足跡がたくさん残っている。恐らくシカだろう。イノシシの可能性もあるが、少なくともクマではない。

 いきなりこんな具合だが、なんとか歩けそうな気もする。碓氷峠まで7キロと書いてある。途中でどうしてもダメだったら引き返すつもりで、とりあえず行ってみるか。

 多少不安な気持ちも抱えつつ、僕は通行止めの旧国道を歩き出した。この先は出会うとしたら、動物だけだろう。

 無事に碓氷峠を越えて軽井沢に辿り着けるだろうか。

 

 つづく