ちょっと愛知県まで行ってきた(その2)

 8月19日に「青春18きっぷ」を使って愛知県方面へ出かけた話の続き。

 東海道本線を西へ向かい、豊橋11時02分発の特別快速大垣行きに乗車。都市化の進む田園といった風景の中を列車は走る。

 蒲郡、岡崎と停車して、次は安城である。安城といえば小学生の頃、「日本のデンマーク」と習ったのを思い出す。日本の中でも先進的な農業が行われ、農業先進国のデンマークになぞらえてそう呼ばれたのだが、改めて調べてみると、安城が「日本のデンマーク」と呼ばれたのは大正から昭和初期にかけてのことらしい。つまり、僕が安城=日本のデンマークと覚えたのはかなり古い情報に基づく知識だったことになる。今も田畑は残っているが、名古屋市近郊で都市化が進み、「日本のデンマーク」の面影は失われている。それでも、そうした歴史をもとにした「安城産業文化公園 デンパーク」が観光スポットになっているようで、駅に大きな広告看板があった。

 ついでに、安城の手前で渡った矢作川も小学生の時に覚えた気がするのだが、なぜだったのかは思い出せない。矢作川から取水した近代的農業用水である明治用水が「日本のデンマーク」たる安城の農業発展に貢献したことからセットで覚えたのかもしれない。

 とにかく、列車は安城を出ると、新幹線と接続する三河安城は通過して、刈谷に11時37分に到着。ここで39分発の各駅停車に乗り換える。刈谷駅にはイメージ通りの真っ赤な名鉄電車も乗り入れている。2両編成というのもイメージ通り。まさに名古屋圏を象徴する鉄道風景だ。

名古屋鉄道三河線の電車)

 刈谷から二つ目の大府で下車。11時45分着。ここで降りたのは、中央本線塩尻を回って東京へ戻るという計画を全面的に取りやめて、名古屋地区のローカル線、JR武豊線に乗ってみようと思ったからである。

 武豊線は大府から武豊に至る19.3キロの路線である。武豊は昭和までは普通に読めばタケトヨだったが、平成以降だとタケユタカと読んでしまうのが普通だろう。しかし、ここではタケトヨである。東京(新橋)と神戸を結ぶ東海道本線(当初は国防上の理由から中山道経由で計画。のちに東海道経由に変更)の名古屋地域の線路建設の際、レールなどの輸入資材を武豊港で陸揚げして輸送する目的で明治十九(1886)年に武豊~大府~熱田間で開業した鉄道が武豊線の始まりで、愛知県内で最初の鉄道。武豊駅は愛知県の鉄道の原点ともいえる存在なのだ。

 武豊線という路線はもちろん知っていたが、今まで「乗ってみよう」とか「乗ってみたい」とか思ったことはなく、乗らずに放置されていた路線である。今回も乗るつもりはなかったが、過去に乗ったことがある中央西線より乗ったことのない武豊線のほうが面白いかもしれない、と急にそんなことを考えて、名古屋まで行かずに大府で降りたのだった。

 大府駅で待っていたのは11時51分発の武豊行きで、313系電車の2両編成。武豊線というと非電化のローカル線だったが、いつの間にか電化されていた(2015年電化)。

 車内はそれなりの乗車率。ローカル線といえども名古屋近郊だから閑散路線ではないだろう。日中は大府と武豊の間をワンマン列車がほぼ30分間隔で往復しているだけだが、朝夕は本数もいくらか増え、名古屋方面との直通列車も走っている。

 定刻に発車した武豊行きは名古屋とは反対方向へ動き出し、東海道本線をオーバークロスして、次の尾張森岡の手前で非電化の貨物線と合流して南へ向かう。武豊は伊勢湾と知多湾、三河湾に囲まれた知多半島の北東部に位置する町で、その北隣の半田市などとともに知多湾北部の衣浦湾に面した臨海工業地帯でもあり、武豊線は旅客輸送だけでなく、東海道本線と臨海部を結ぶ貨物輸送にも利用されている。

 沿線はやはり都市化の波が押し寄せる田園地帯といった風情で、シラサギのいる田んぼも広がっているが、一戸建て住宅やマンション、工場、物流倉庫、そしてイオンモールやカインズ、ニトリといった大型店舗も目につく。線路は単線で、首都圏でいえば相模線のような雰囲気か。

 ところで、武豊線では各列車の列車番号武豊行きが偶数、大府行きが奇数となっている。いま乗っている武豊行きは3624Gである。列車番号は下りが奇数、上りが偶数というのが原則なので、武豊線は普通とは逆に思える。歴史的に武豊が起点だったからだろうか。

 四つ目の東浦駅を出て、貨物線(衣浦臨海鉄道)を左に分岐。高架化工事が行われている半田駅を過ぎ、次の東成岩(ひがしならわ)駅の手前でも右から衣浦臨海鉄道の線路が合流してくる。大府方面から来た貨物列車はここで機関車を反対側に付け替え、スイッチバックで貨物線に入っていくようだ。

 車内はいつしか空席ばかりになって、12時23分に武豊に着いた。片側ホームに線路1本の簡素な駅で、ほかに留置線が2本あるが、使われていないようだ。線路の草むらでキリギリスが鳴いている。

 無人駅で、数人が下車したが、僕以外にも青春18きっぷで乗りに来ただけの人が多いようだった。みんな駅前で写真を撮っている。

 武豊駅からは昔はさらに港まで貨物線が伸びており、そこに貨車の向きを変える転車台が今も保存されているらしい。ちょっと見てみたかったし、武豊の町を少し散策してみたいとも思ったが、6分後に折り返す電車で大府に戻ることにする。

 とにかく、ここまで慌ただしい乗り継ぎで、食事どころかトイレに行く時間もなかなかないので、ここで家を出てから最初のトイレに行っておく。

 12時29分発で折り返す。下り列車を表す奇数の列車番号3629Gだ。Gはここではワンマン列車を意味するようで、車掌が乗務する列車は最後がFになる。

 またこの駅に来ることはあるだろうか。

 武豊を発車した時点で大府行きの車内はガラガラ。しかし、途中からだんだん増えてくる。武豊や半田には名古屋から名鉄も通じているので、そちらのほうが便利なのだろう。

 半田では旧国鉄のDE10にそっくりなディーゼル機関車KE65が引くコンテナ列車と行き違い、さらに武豊行きとも行き違ってから発車。

 亀崎駅では古い駅舎が眼に留まり、なんとなく写真を撮っておいたのだが、明治19年の開業時からある現役では日本最古の鉄道駅舎と言われているらしかった。

 石浜でも武豊行きと行き違い、13時07分に大府に戻る。ここから東海道線を引き返して、浜名湖の北側を回る天竜浜名湖鉄道に乗ってみようと思う。この路線も旧国鉄二俣線時代も含めて乗ったことはない。

大府駅構内には国鉄時代から活躍するEF64の姿も・・・)

 次の上り列車は13時18分発の快速豊橋行き。待ち時間は11分。駅に立ち食い蕎麦でもないかな、と思ったが、なさそうだ。仕方なく、一度改札を出て、売店でおにぎりを買う。この区間は列車本数はそれなりに多いのだが、次の電車に乗らないと、天竜浜名湖鉄道との接続がうまく行かないのだ。この先もずっと忙しい乗り継ぎとなる予定である。帰りは新幹線にすれば、時間の余裕はたっぷり生まれるわけだが・・・。

 とにかく、快速豊橋行きに乗車。名古屋まであと15分ほどのところまで来て、東京方面に引き返す。

 大府を出た列車は刈谷安城、岡崎、蒲郡三河三谷と停車して13時57分に豊橋に到着。

名鉄蒲郡線の電車。ちょっとタイミングがずれた)

三河湾の風景)

 豊橋からは10分の接続で14時07分発の浜松行きに乗り、二つ目の新所原に14時17分着。ここでも大体1時間に1本の天竜浜名湖鉄道の列車が6分後に出る。せめて30分ぐらい待ち時間があると、嬉しいのだが・・・。