中央本線・大八回り

 9月10日の信州日帰り旅行。安曇野でサイクリングをした後、松本に戻る。電車が8分遅れたので、14時10分着。この先の予定は未定ではあったが、腹案はいろいろあり、そのうちの一つを実行すべく慌ただしく14時17分発の塩山行きに乗り換える。塩山とは中途半端な行先だが、この電車の塩山着は16時40分で、40分後に立川行きがあり、立川着が18時58分である。つまり、この電車で帰ってもよいわけである。

 しかし、まだ帰らない。電車は塩尻を出て、みどり湖経由でまっすぐ岡谷へ向かうが、ここで辰野経由の旧線が右へ分かれ、岡谷とはまるで違う方向へ遠ざかっていく。あちらも一応、中央本線ということになっているが、幹線らしからぬ単線が山裾に取り付き、山襞に沿ってくねくねと続いているのを見ると、乗りたいなぁ、と思うのだ。すでに今朝、松本行きの電車の車窓から眺めて、そういう気分になったので、これから岡谷、辰野、塩尻と旧線をたどってみようと思う。

 ということで、塩尻峠の下を貫く約6キロの塩嶺トンネルを走り抜けて、塩山行きは14時46分に岡谷に到着。塩尻発が14時35分だったから、新線区間の所要時間は11分であった。

 岡谷からは4分の接続で14時50分発、飯田線直通の天竜峡行きに乗車。

 この電車が辰野までは中央本線の旧線を行くわけだ。今や岡谷~辰野間はほとんど飯田線の一部と化している。

 これから乗る岡谷~辰野~塩尻間は27.7キロあり、1983年に開通したみどり湖経由の新線が11.7キロだから、16キロも長い。なぜこんなに遠回りをするのか。明治時代、東京から名古屋まで中央本線を建設するにあたり、伊那谷経由か木曽谷経由かで熾烈な誘致合戦が行われたが、結局、木曽谷経由に決まった。しかし、伊那出身の代議士、伊藤大八(1858-1927)が政治力を発揮して、線路を伊那の辰野まで引き込むことに成功した。そのため、岡谷から辰野まで10キロ近くも南下した後、また北上するV字形の線形になってしまい、乗客は遠回りを余儀なくされることとなった、というのがよく知られた説明である。そして、この遠回りが伊藤の名にちなんで「大八回り」と呼ばれることもよく知られている。大八回りは辰野に用のない乗客には迷惑でしかないが、辰野にはこの功績により伊藤大八の銅像が立っているという。

 ただ、明治時代に岡谷~塩尻間を現在のような長大なトンネルで一気に貫くというのは非常に困難であり、辰野経由が最も現実的なルートだったと思われる。当時の人々にとっては、鉄道が通りさえすれば、それが遠回りであったとしても、それまでの徒歩に比べて圧倒的に速くて便利であったことは間違いない。

 とにかく、岡谷を出た電車は南南西に向かって走り出した。単線の旧線をはさむように上下の新線の線路が並走し、だんだん両側の線路がせり上がっていき、右へカーブしてトンネルへ向かう。旧線はその下り線をくぐって直進する。

 電車は諏訪湖から流れ出た天竜川を右に見ながら、山間の田園風景の中を走る。色づいた田んぼ、白い花を咲かせるソバ畑。緑豊かな山々と天竜川の清流。のどかな山里の風景が展開する。

 車内に蝶が迷い込んでいる。ツマグロヒョウモンのオスだろうか。ドアの横の窓ガラスに止まっていると思ったら、戸袋の中に閉じ込められているのだった。どうしてあの中に入ってしまったのか分からないが、脱出はほとんど不可能に近いのではないか。

 蝶は2枚のガラスに挟まれた戸袋の中で羽ばたいていたが、そのうち下の方へ降りてしまって、姿が見えなくなった。

天竜峡行きの電車。辰野駅にて)

 辰野には15時01分に到着。隣のホームから15時05分に塩尻行きが出るので、接続は極めて良い。

 この岡谷~辰野~塩尻間がいわゆる「旧線」に落ちぶれてから、この区間に乗るのは確か2度目だと思う。前回は荷物電車を旅客用に改造したクモハ123がたった1両で辰野~塩尻間を行ったり来たりしていた。現在は大糸線と同じE127系の2両編成である。

 もちろん、1983年の短絡ルート開通前は中央本線といえば、このルートしかなかったので、特急「あずさ」も急行「アルプス」もすべてこの線を走っていたのだ。当時、急行は辰野に停車していたが、特急はごく一部を除いて辰野は通過だったから、まったく無駄に遠回りしていたわけである。

(かつては中央本線の主要駅だった辰野も今は閑散。広い構内には草が生い茂っている)

 さて、塩尻行きは辰野を出ると、すぐに右に急カーブを描いて、V字路線を北へ向かう。天竜川の支流に沿って遡る形で、相変わらずのどかな山里を行く。カーブが多く、絶えずレールと車輪が軋み音を発している。当然、速度も遅い。特急「あずさ」であっても、あまり速くは走れなかっただろう。現在の「あずさ」は塩嶺トンネルを最高時速120キロで飛ばし、岡谷~塩尻間は7分しかかからないが、昔は辰野回りで30分前後はかかっていたようである。当時の「あずさ」は鈍足特急として有名だったのだ。

 僕も子どもの頃、家族旅行で松本へ行った際、「あずさ」に乗ったが、辰野付近で大きくカーブして車窓前方に列車の先頭部が何度も見えたことが印象に残っている。確か、父が辰野付近の大回りのことを口にしたのだったと思う。その列車は岡谷も辰野も塩尻も通過で、上諏訪の次が松本だったが、この間に49分かかっていた。現在の「あずさ」は上諏訪~松本間を最速22分である(上りでは21分)。中央本線はこの大八回りの解消だけでなく、各所で改良が進み、高速化が実現したので、新宿~松本間は昔より1時間も短縮されている。

 電車は信濃川島、小野と停車して、善知鳥(うとう)峠越えにかかる。太平洋側と日本海側の分水嶺である。小野の次は終点の塩尻だが、この間は9.9キロで13分かかるから時速46キロほどということになる。

 列車はまもなく1,578メートルの善知鳥トンネルに入り、これを抜けると、下り勾配となり、車窓に東塩尻信号場の跡地が見える。単線で駅間が長いので、列車の行き違いができるように設置されたが、急勾配の途中にあるのでスイッチバック式になっていた。その後、一部列車で乗降もできるようになり、臨時駅という扱いだったが、みどり湖経由の新線開通で廃止されている。実はみどり湖駅からさほど遠くない位置にあるのだ。

 東塩尻で旧線と新線はいったん接近するが、旧線は左へカーブしてからU字を描き、また遠ざかってしまう。眼下に果樹園や田んぼを見ながらだんだん下っていく。下り坂でもカーブがきついので、ちっとも速度が上がらない。そして、改めて新線が接近してくると、ちょうど松本行きの「あずさ25号」が勢いよく走り過ぎていった。


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 新線と寄り添い、移転前の塩尻駅跡を過ぎ、さらに500メートルほど走って、今日3度目の塩尻には15時28分に到着。1分前に到着した「あずさ」はすでに姿がなかった。

 電車が到着した塩尻駅の3・4番ホームの松本寄りにはブドウ棚があり、たくさんのブドウがなっていた。「日本で唯一 ホームのぶどう園」だそうだ。

 ブドウは手を伸ばせば届くが、食べたりはしない。そのかわり、駅の山菜そばを食べる。

 つづく