篠ノ井線のスイッチバック

 9月10日の信州日帰り旅行の話の続き。

 中央本線の辰野支線に乗って、塩尻駅に着いたところ。この後、篠ノ井線で長野まで行き、最後は新幹線で帰ろうと思う。青春18きっぷ普通列車専用で、新幹線を利用する場合は特急券だけでなく乗車券も買わなくてはならない。ということで、塩尻駅で長野から東京までの特急券と乗車券を購入。合計7,810円。

 それから15時57分発の松本行きで16時14分に松本着。16時34分発の長野行きに乗り継ぐ。またもE127系の2両編成である。

 松本を出ると、篠ノ井線は次の北松本までは大糸線の線路と並行するが、北松本は大糸線だけの駅で、篠ノ井線は素通りである。ここで大糸線と分かれるが、大糸線が南北に細長い松本盆地の西寄りを北上するのに対して、篠ノ井線は盆地の東縁の山裾を北上する。左下に千曲川の支流・犀川が流れている。日本列島を東西に分断す大断層、糸魚川静岡構造線が南北に走っているのもこのあたりのはずである。

 松本から8.3キロ、9分走って、ようやく最初の田沢駅に着く。ここまで来ても大糸線の豊科駅から東へ4キロほどしか離れていない。次の明科の手前で線路はようやく右にカーブして針路を北から北東に変え、明科に到着。明科も先ほどサイクリングした安曇野穂高からさほど離れていない位置にある。

 明科を出ると、ようやく篠ノ井線犀川と離れ、筑摩山地に分け入り、上り勾配が続く。明科と次の西条との間にはスイッチバックの潮沢信号場があったが、この区間が地すべり多発地帯ということで、トンネルが連続する新線に切り替えられ、スイッチバックも解消されている。ただし、複線用のトンネルが掘られたものの、線路は1本しか敷かれていない。

 僕が初めてスイッチバックを体験したのはこの篠ノ井線で、1975年3月の家族旅行でのことだ。当時の普通列車には80系電車が使用されていて、僕が実際に乗った唯一の80系の列車ということになっている。写真が残っていないのが残念だ。

 聖高原には17時06分着。かつては麻績(おみ)駅といい、駅名が印象に残っているが、1976年4月に現在の駅名に改称された。山に囲まれた田園という感じで、高原という雰囲気ではないが、駅のホームに立派な観音像があった。

 聖高原の次が冠着(かむりき)。標高676メートルで、篠ノ井線の最高地点に位置する。ここから356メートルの篠ノ井までひたすら急勾配を下っていく。この間にはもともと3カ所のスイッチバックがあったが、冠着姨捨間の羽尾信号場が廃止され、現在は2カ所である。かつては潮沢信号場も含めてスイッチバックが4つもあったわけだ。

 冠着を出ると冠着トンネルに入る。長さ2,656メートルで、1900年に開通した当時は日本最長の鉄道トンネルだったが、1903年中央本線の笹子トンネルが開通し、1位の座を譲っている。

 トンネルを抜け、羽尾信号場跡を気づかぬうちに通過して、いよいよスイッチバック姨捨駅だ。本線から左に分かれたところに駅があり、17時20分に到着。ここで降りる。次の長野行きは18時17分発なので、この駅で1時間ほど過ごすことができる。

 電車は運転士が後部運転席に移動することもなく、バックで発車。本線を横切り、松本方の引き込み線へと入っていく。急勾配の本線に対して、駅の発着線と引き込み線は水平である。引き込み線に入ると、列車はすぐ前進に転じ、本線に復帰して長野方面へ急勾配を下って行った。なぜこんな面倒なことをするかといえば、もともと鉄道は勾配に弱く、急坂の途中に駅を設置すると、坂道発進が難しく、停止するにも制動距離が長くなってしまうので、本線から外れた場所に極力水平な線路を敷き、駅を設置したのである。現在は電車の性能がアップして坂の途中でも発進できるようになり、かつてはスイッチバック駅がたくさんあった中央本線などはすべて解消してしまったが、篠ノ井線には残っている。ほとんど単線で、貨物列車が行き違いなどで停車することがあるからだろう。

 姨捨駅の標高は551メートル。冠着から5.9キロで125メートル下ってきたことになる。駅からはさらに200メートルほど低い長野盆地善光寺平が一望でき、日本三大車窓のひとつとされる景勝地である。三大車窓の残り二つは北海道の根室本線狩勝峠(旧線)と九州・肥薩線矢岳越えだが、旧根室本線は新線に切り替えられ、すでに絶景は失われ、肥薩線は災害による不通が続き、存続の危機にある。現状では姨捨からの善光寺平が日本一ということになっているが、どうだろう?

 眼下に千曲川が流れ、長野市方面まで見渡すことができる。新幹線の高架橋も見分けることができる。姨捨から善光寺平に続く斜面には棚田が作られ、水田に月が映る「田毎の月」として有名だ。今は田んぼに月が映ることはないだろう。

 駅には僕のほかにも人がいて、立派なカメラを用意しているから撮り鉄かと思ったが、そうではない。今日は十五夜中秋の名月をここから撮影しようということらしい。

 姨捨駅には木造の駅舎があるが、無人駅である。

 17時42分発の長野発大月行きがやってきた。篠ノ井方面から坂を上がってきて、いったん引き込み線に入り、バックで姨捨駅に進入してくる。駅に着くと車内から大勢が降りて、善光寺平の風景を撮影している。その間に名古屋発長野行きの特急「しなの」が本線をまっすぐに下って行った。続いて大月行きが発車して、本線を松本方面へ上って行った。


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 空がだんだん暗くなり、眼下にも街の明かりが瞬き始める。虫の音が高らかになってきた。エンマコオロギのほかにマツムシもいるようだ。

 18時を過ぎて、また列車がやってきた。18時07分発の長野行きで、始発は大糸線南小谷。全車指定席の快速「リゾートビューふるさと」号というらしい。見慣れない車両で、HB-E300系というハイブリッド気動車の2両編成。普通のディーゼルカーとは異なり、ディーゼルエンジンで発電し、搭載した蓄電池と合わせて電力でモーターを駆動して走るそうだ。2010年にデビューというから、けっこう前から走っているのだ。

 列車はスイッチバックして長野へ向けて18時07分に発車。しかし、ホームにいる人たちは列車にほとんど興味を示さず、松本方面のホームから暮れなずむ善光寺平を眺めている。満月が昇ってくるのを待っているのだろう。

 僕もここで月見をしたいところだが、そろそろ長野行きの列車がやってくる。

 構内踏切が鳴り出し、18時17分発の長野行きがやってきた。東京の高尾を14時09分に出た列車である。

 あとは長野まで下って、新幹線に乗るだけだ。

 列車はバックで動き出し、引き込み線に入って停止。そして前進して本線に入り、善光寺平へ向かってぐんぐん下っていく。

 列車が停まった。次の稲荷山駅に着いたのかと思ったが、ドアは開かない。そして、列車がまたバックしだした。またスイッチバックだ。桑ノ原信号場である。対向列車の行き違いがあるのだろう。列車が引き込み線に入って停止。僕は連続スイッチバックを喜んでいるけれど、日常的に利用する地元民にとっては、まだるっこしく思うだけだろう。しばらくすると、名古屋行きの特急「しなの」が通過していった。ようやく長野行きも動き出す。

 すっかり日が暮れた長野駅には18時53分に着いた。乗るつもりにしている19時08分発の「あさま630号」がホームに停車しているのが見える。夕食用の駅弁でも買おうと思っていたのだが、新幹線ホームの売店にはおにぎりがいくつか売れ残っているだけだ。夕食は東京に着いてからでもいいか。

 ということで、列車に乗り込んだ。

 東京到着は20時52分の予定。あとは猛スピードで運ばれるだけだ。

 途中、佐久平付近で窓の外に中秋の名月が見えた。姨捨駅からはどんな風に見えているのだろう。

 軽井沢も出て、列車は長いトンネルの中を突っ走る。碓氷峠の急勾配を補助機関車EF63の力を借りて上り下りした時代が懐かしい。あれがあるとないとでは旅先としての長野県のありがたみが違う気がする。地形に逆らわず、地を這うように進む鉄道の魅力を再認識した今回の旅だった。