新緑の御岳山(その1)

 先日、高尾山に行ったばかりだが、また新緑の山歩きがしたくて、5月4日に奥多摩の御岳山に行ってきた。混雑は覚悟の登山。

 家を出て、駅まで歩く途中、なんとキビタキのさえずりが聞こえてきた。渡りの途中で立ち寄ったのだろう。自宅周辺では初めて聞いた。

 京王線南武線青梅線を乗り継いで、7時45分頃、御嶽駅に着いた。電車から降りた大勢の行楽客、登山客とともに改札を出て、みんなはバス乗り場へ向かうが、僕は駅から歩く。御岳橋から眺める多摩川の渓谷がきれい。朝の澄んだ空気の中で、清らかな瀬音を聞くだけで幸せな気分になる。

 対岸の吉野街道に出て、御岳山は右だが、ちょっと左へ曲って寄り道。2年前に奥多摩を歩いた時、旧青梅街道の数馬隧道を通り、晩年を奥多摩で過ごした画家・川合玉堂の「二重石門」という作品を思い出した。

 大正十二年開通の数馬隧道。

 川合玉堂の「二重石門」(昭和二十七年)。

 素掘りのトンネルの雰囲気はよく似ているが、作品中のトンネル(石門)はタイトル通り二つ連なっている。あとで調べてみると、御嶽の玉堂美術館の近くに御岳トンネル、払沢トンネルという二連のトンネルがあることが分かった。玉堂が居を構えていた場所の近くである。今は新しいトンネルになっているが、急に思い出したので、ちょっと見てこよう。

 渓谷沿いの玉堂美術館を過ぎて、まもなく長さ25メートルの払沢(ほっさわ)トンネルと89メートルの御岳トンネルが連なっていた。トンネルそのものはすっかり新しくなり、道も舗装、拡幅されているが、作品が描かれた昭和二十七年当時は素掘りだったと思われる。ここが作品のモデルとなった場所だろう。帰りに玉堂美術館にも訪れたいのだが、今日は御岳山から山の向こうの養沢方面へ下ってみようかと考えている。

 さて、吉野街道を御岳山へ向かう。ウグイスやホオジロキビタキなどの声が聞こえるが、それらをかき消すほどの騒音をまき散らしながら、クルマやバイクが行き交う。この道は子どもの頃、家族でドライブしたことがあって、その時に父が運転しながら川合玉堂の名を口にしたのが、僕が玉堂という画家を知った最初だったと思う。

 野鳥の声を聞き、草花や石仏などに目を留めながら、1キロ余り歩くと、赤い鳥居があり、ここを左折。ここから上り坂。

 満員のバスに何度か追い抜かれ、折り返してくる回送バスと何台もすれ違いながら、のんびり歩いていくと、「15%」の勾配標識。けっこうな急坂だが、山登りだから、このぐらいは普通だ。

 外来種のガビチョウの姿を目撃したりイカルの声を聞いたりしながら歩き、まもなくオオルリの声が聞こえてきた。

 オオルリ発見。でも、真下から見上げる形なので、青い鳥ならではの美しさは分からない。でも、バスに乗っていては絶対に気づかないので、歩いてよかったと思う。この先でも出会えるだろう。

 御嶽駅から2.5キロほどでケーブルカーの滝本駅に着いた。ここからはケーブルカーに乗るつもりだったが、当然ながら大行列ができている。歩くか。

 ということで、そのまま歩いて登ることにする。昔の人は歩きが当たり前だったし、しかも、自宅から遠い道のりをずっと歩いてきたのだ。

 ここで標高はすでに400メートルを超えていて、山上の御岳山駅の標高は831メートル、御嶽神社のある山頂は929メートルである。

 禊橋を渡ると、右手に滝本駅の由来であるらしい小さな滝がある。昔はここで禊をしてから登ったのだろう。御岳山はその名前の通り、古くから信仰の山であった。

 「御嶽神社」の額が掛かる鳥居をくぐり、参道に入る。ここから山頂の神社まで3キロ余りだそうだ。

 参道の杉並木。江戸時代初期に整備されたもので、青梅市の天然記念物に指定されている。説明板では樹齢300年以上とか350年以上などと書かれているが、昭和四十三年指定なので、もう400年近いのかもしれない。

 舗装された道は急斜面をつづら折りで、ぐいぐい上っていく。高尾山の1号路と似ているが、もっと細くて険しい。山上集落で暮らす人たちの車がたまに通り、郵便配達のバイクも上っていった。

 昔の人は急坂を登る時、勾配を緩和するためにジグザグに歩いたそうだ。僕も自転車で峠越えをする時など、通るクルマがなければ、ジグザグ走行をすることがあるが、ここでも江戸時代の旅人に倣ってジグザグに歩き、ヘアピンカーブでは勾配の緩い外側を回る。こうすると、脚への負担がだいぶ少ない。

 キクイタダキらしい声が聞こえたり、アオゲラの声が響いたり。ほかに聞こえる音といえば、ケーブルカーの音ぐらい。臨時ダイヤでピストン輸送しているようだ。今の時間は上りは満員、下りはガラガラだろう。ケーブルカーなら山上の駅まで6分だそうだ。

 ケーブルカーの下をくぐり、滝本駅から30分ほど歩くと、「団子堂」という名の地蔵堂がある。昔、参拝者が団子を供えたことから団子堂と呼ばれるようになったという。今は新しいお地蔵さまが安置され、団子ではなくロールパンが1個供えられていた。

 山の上からツツドリの声が聞こえてきた。ポポ、ポポ、ポポ、ポポという鳴き声が竹筒を叩く音のようだということから筒鳥と名づけられたカッコウの仲間。夏鳥である。

ポポ、ポポと二音ずつではなく、時々、ポポポと三音をはさんで鳴いている。この声は山でないと聞けない声だ。


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 ツツドリの声に耳を傾けながら歩き、「大黒の尾」という地点を過ぎる。説明板によると、ずっと急坂だったのが、ここで尾根を横切り、この先は勾配が緩やかになって、気を楽にして歩けるのは大黒様のおかげということで「大黒の尾根」と称するようになったというのだが、なぜ大黒様なのか、そして、なぜ尾根が尾になったのかは不明。「お」にも尾根や稜線という意味があるようだけれど。この先もそんなに坂が緩やかになるわけではなかったが、頂上はもうすぐだ、と気分的に楽になったのは確かだった。

(「大黒の尾」を過ぎても急坂が続く)

 道端に咲く小さな花に目を留めたり、野鳥の声に耳を傾けたりしながら歩き続け、やがて人の多い登山道に合流。ケーブルカーの御岳山駅から御嶽神社へ通じる道の途中で、まもなくビジターセンターがあったので、ちょっと立ち寄って休憩。ここまで滝本駅から50分ほどだった。

 ここからは宿坊などが並ぶ御師集落を行く。ケーブルカーで登ってきた人の流れに合流したので、格段に賑やかになった。

 ムササビの巣箱。使った形跡はあるが、いま入っているのかどうか。御岳山ではムササビの観察会もたびたび開かれている。

 推定樹齢千年という神代ケヤキ。その姿から長い年月の間にさまざまな苦難を経験してきたのだろうと想像させる。

 土産物屋兼食堂の並ぶ通りを抜けると武蔵御嶽神社。時刻は9時50分。御嶽駅から2時間ほどで到着。初夏の陽気で汗だくである。

 石段を上り、隋神門をくぐり、標高929メートルの社殿の前に着く。参拝の行列ができている。

 本殿の裏にはいくつもの小さな社がある。一番奥にある大口真神社(おおぐちまがみしゃ)は山の守護神である狼を「大口真神」、「おいぬさま」として祀っている。

 伝承によれば、日本武尊が東征の際、御岳山の山中で魔物に遭遇したところを狼に救われ、日本武尊は狼に対し、この山に留まり、魔物からこの地を守るようにと仰せられたので、それ以来、狼は山の守護神となり、「おいぬさま」として御嶽大神とともに武蔵国を中心とする関東一円の信仰を集めるようになったという。

 しかし、結果的に我々日本人がその狼を絶滅に追いやってしまったわけで、結局は我々こそが魔物であったということなのだろう。

 大口真神社の裏手には「奥宮遥拝所」があり、彼方にいかにも神様が宿っていそうな山が望まれた。

 遥拝とは遠くから拝むことであるが、実際に奥宮まで行くとすれば、相当に険しい道が待っているのだろう。

 つづく