6月30日(日)に千葉県のローカル私鉄、小湊鉄道の沿線を旅した話の続き。
月崎駅から養老渓谷駅まで歩くつもりだったが、途中区間が土砂崩れで通行止めになっており、中間駅の上総大久保からまた月崎駅方面に別ルートで歩いて戻ることにした。
トンボが飛び交い、水たまりやぬかるみの残る田圃の中の道を抜け、草刈り作業をしている人たちを見ながら山あいにさしかかると、トンネルがある。この区間、小湊鉄道もすぐ隣でトンネルを抜けている。
トンネルを抜けると、山林の中からセンダイムシクイの声が聞こえてきた。今シーズンは御岳山や高尾山でも聞いた記憶がないので、今年初めてだと思う。
それにしても、房総半島に来ると、植物の存在感に圧倒される思いがする。これは東京の奥多摩などでもあまり感じないものだ。日本の国土を支配しているのは人間ではなく、植物たちなのだと思ってしまう。
やがて、道路の右下の谷底に線路が現れた。線路際を水が流れている。いかにも大雨が降るとすぐに止まりそうな、心もとない線路だ。
この区間は昨年の台風でも被災して長期運休となったが、現在、災害復旧のため、7月中の月崎~上総中野間は平日の日中(9時~15時頃)の列車を運休して集中工事を行っているようだ。線路際にコンクリート枕木などの資材が積まれているのが見えたから、線路の強化などが行われるのだろう。並行する道路も土砂崩れで通行止めのため、バスによる代行輸送もないそうだ。土曜休日は工事が休みで、全列車平常運転である。
やがてまた道端に撮り鉄が増えてきた。その様子でまもなく列車が来るのだと分かる。今度の列車は座席指定券(600円)が必要な観光急行の上総中野行きで、上総大久保は通過である。
来た。タラコ色などと言われる朱色のキハ40の2両編成。なぜか「天北」のヘッドマークを掲げている。JR北海道との共同企画で、かつて宗谷本線を走った急行列車のヘッドマークを付けて走らせているらしい。6月までは「天北」、7月は「利尻」、8月が「サロベツ」、9月が「宗谷」となるらしいが、観光急行は現在、運転士や車掌の人員が確保できず、日曜日のみの運行に減便されているそうだ。人手不足がローカル鉄道を窮地に追い込んでいる。
紫陽花の向こうが線路。列車の車窓に彩りを添えるために植えられたのだろう。
小湊鉄道で一番短いトンネル。長さ20メートルだというが、もっと短く見える。
さて、上総大久保から45分弱で月崎駅に戻ってきた。時刻は11時半。今朝、月崎駅で列車を降りたのが8時10分だったから3時間20分ぶりだ。
次の上総中野行きは12時24分だから、まだ1時間近くもある。これなら隣の飯給駅まで歩けるのではないか。列車の飯給発は12時19分だ。なんとか間に合うだろう。
ということで、さらに歩くことにする。月崎と飯給の間を歩くのは初めてだ。
駅前通りを北へ行き、踏切を渡って、永昌寺という寺への坂道を過ぎると、素掘りのトンネルが口を開けていた。房総半島は地質が軟らかいので、人力で掘られたトンネルが多い。これもその一つである。
入口の傍らに説明板がある。トンネル名は永昌寺トンネル。竣工は明治三十一(1898)年、延長142メートル、幅員3.1メートル。すべて素掘りで、断面が将棋の駒のような形状なのは「観音掘り」と呼ばれる日本古来の掘り方だそうだ。
天井から水が滴り、内部に水たまりがあったり、滑りやすい場所があったりするので、足元に注意しながら、トンネルを抜けた。
小湊鉄道では昨年から沿線を歩く「さと山ウォーク」というイベントをやっていて、昨年も興味を持ったのだが、結局、参加しなかった。今年も開催中で、五井~養老渓谷間を6区間に分けて、すべて歩くと52.5キロになるらしい。通年開催で、いつ、どの区間から歩くのも自由で、1区間だけでもOK。スタートしたい駅で300円の参加券を購入し、ゴールまで完歩すると、オリジナルのピンバッジがもらえるということだ。
そのうちの第5区、里見駅~月崎駅(約6キロ)のルートをいま逆に歩いているわけである。ルート案内図が月崎駅に貼ってあったので、それをカメラに収めてきた。ただし、参加券を入手したわけではないし、ゴールの里見駅まで歩くわけでもない。ただ、これはなかなか面白いルートではあった。
しかしながら、通る人はまったくいないし、人家もほとんど見当たらないし、ちょっと心細く感じるような道ではある。
大雨の影響なのか、両側から笹だか竹だかが覆いかぶさる、トンネルのような道を抜けると、小湊鉄道の線路際に出た。
誰もいないことに変わりはないが、ちょっとホッとする。しかし、それも束の間で、すぐにまた線路から分かれて、鬱蒼とした山の中を上っていく。キビタキの声がする。
上総層群の露頭。ここでは地磁気逆転期の地層はずっと下に埋もれているのだろう。
またトンネルが現れた。
これも素掘り。しかし、断面は円形に近く、将棋の駒の形の観音掘りではない。説明板などはなかった(ような気がする)。
久しぶりに人家が見えてきた。小湊鉄道の線路はどこにあるのか、さっぱりわからない。
谷戸田の風景。
崖に謎の横穴。
野仏。真ん中の石塔は寛政五(1793)年の廻国供養塔。「奉納大乗妙典六十六部日本廻国供養塔」と彫られている。法華経を六十六部写経して、全国六十六か国を行脚しながら一国に一部ずつ奉納する巡礼者を供養するものである。「武州安達郡横曽根村」「行者並木長兵衛」の文字が読み取れる。安達は足立と思われ、横曽根村は今の埼玉県川口市あたりにあったようだ。巡礼の満願成就を記念して建てたり、道半ばで行き倒れた者を供養して建てたりしたというが・・・。
その先でまた素掘りのトンネルが見えてきた。
今度は説明板がある。柿木台第一トンネル。竣工明治三十二(1899)年、長さ78メートル、幅3.5メートル。これも観音掘りだ。これが第一ということは、先ほどのトンネルが第二なのだろう。
ここまで全く人に会わなかったが、トンネルの向こうに人の姿が見える。
二組の母子連れのようで、子どもたちは小学校の低学年ぐらいか。恐らく「さと山ウォーク」で里見から月崎まで歩いているのだろう。トンネルの中で「こんにちは」と挨拶しながら行き違う。
踏切が見えてきた。そろそろ飯給駅が近いはずだ。
「踏切注意」の標識が汽車でも電車でもない、パンタグラフなしのディーゼルカーの図柄だ。
柿木台踏切。五井起点28キロ162メートル地点。どちらを見ても、飯給駅は見えない。
線路際のヤブカンゾウにカマキリ。今年初めて見るカマキリだ。
花の写真など撮りながら、のんびり歩いていたら、どこからかディーゼルカーのプォーンという警笛が聞こえてきた。先ほど、上総大久保と月崎の間で見た観光急行が折り返してきたのだろう。この列車は飯給は通過なので、今の警笛は遮断器も警報機もない踏切の手前で鳴らしたものだろう。
いずれにせよ、五井行きの観光急行が近くを通ったということは、飯給の次の里見で僕が乗りたい上総中野行きと行き違うはずだ。とすれば、あと10分ぐらいで列車が来る。
飯給駅をめざして歩いていくと、向こうから年配の夫婦らしき二人連れが歩いてきた。
「この先、通れますか?」
「月崎までですか。通れますよ」
このふたりもきっと「さと山ウォーク」に違いない。僕も「さと山ウォーク」で歩いているのだと思われたのだろう。
それからすぐに車の走る道路に出た。この道は過去に自転車で走ったことがあるので、わかる。坂を下っていくと、飯給駅の脇の踏切に出て、最後はちょっと走って、列車の来る2分前に飯給駅に着いた。ちょっと探検気分も味わえる、なかなか面白い道だった。
まもなくやってきた上総中野行きは今朝、月崎まで乗ったのと同じ車両だったが、先頭車に「新歓」と書かれたヘッドマークを取り付け、行先表示が「修学旅行」になっている。1両目は帝京大学鉄道研究部の貸切なのだった。
2両目に乗車。12時19分発で養老渓谷方面へ向かう。
つづく