銚子で2億年前の岩と300万年前の崖をみる

 昨日、日向灘地震をきっかけに南海トラフ地震臨時情報が出されたが、さっそく海水浴場の閉鎖、花火大会の中止などの影響が広がり、該当地域の鉄道でも減速運転が行われている。小田急線まで本厚木~小田原間で減速運転を実施しているが、夜になって緊急地震速報にびっくりさせられる。神奈川県西部で震度5弱。マグニチュードは5.3とのこと。神奈川県西部というと国府津松田断層あたりかなと思うが、まだ確かなことは分からない。南海トラフ地震の想定震源域の外側ではあるが、南海トラフに続くプレート境界が神奈川県西部を通っていることも確かである。

 東京23区は震度3だったようだ。確かにその程度の揺れがあったが、揺れよりも緊急地震速報に驚かされる。

 

 さて、8月4日に千葉県銚子市まで出かけた話の続き。銚子電鉄の終点、外川駅に着いたところから。

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 外川駅が終点なのはここが大地の突先だからで、駅前から坂道を下ると、すぐ海に出る。外川漁港である。

 前回はここから左へ行って、長崎鼻を訪ねたのだが、今日は右へ行く。

 漁港に沿って歩いていくと、やがて「千騎ヶ岩」というのが見えてきた。外川漁港の西端にある岩山である。突堤を挟んで港の反対側は砂浜で、海水浴場になっている。

 千騎ヶ岩は「せんきがいわ」ではなく「せんがいわ」と読むらしい。源義経の軍勢、千騎が身を潜めたというが、信じられない。千人も隠れきれないし、敵兵に包囲されたらおしまいである。銚子周辺には義経伝説が多く残るが、銚子が西国と奥州を結ぶ海上交通の要衝だったことから、このような伝説が生まれたのだろう。

 現地にあった解説板によれば、「千騎ヶ岩は高さ約18m、周囲約400mの巨大な岩体で、かつては島でしたが、現在は堤防ができ簡単に見学することができます。江戸時代の地誌『利根川図志』には仙ヶ岩屋として『天狗が住むといわれているため渡る人が少ない』と紹介されています」とのこと。

愛宕山(高神愛宕山)、犬岩と同じ砂岩・泥岩からなる2億年前ごろにできた関東平野で最古の地層になります。ここではブロック状になった砂岩・泥岩が混じりあう様子をよく観察することができます」

 2億年前ということは恐竜がいた中生代ジュラ紀である。東京都内だと奥多摩でこの時代の地層を見ることができるが、関東の海岸部で見られる地層としては際立って古い。

 犬吠埼の層状に積み重なった白亜紀の地層よりはるかに古い千騎ヶ岩は確かにブロック状に割れた岩の塊となっている。これらの岩が砂岩や泥岩であるということは、海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込む海溝に分厚く堆積した砂岩や泥岩がプレートと一緒に潜り込むことができずに剥ぎ取られて、陸地側に押し付けられ、しかも凄まじい力によって地層がめちゃくちゃに破壊され、ごちゃ混ぜになった結果ということのようだ。それがその後の地殻変動により、この場所で地上に露出したわけだ。

(千騎ヶ岩と洋上風力発電所

 この千騎ヶ岩で目につくのは岩山にある洞穴である。波の力で生まれた海蝕洞で、砂岩より侵食されやすい泥岩の部分に穴が開いているという。穴はいくつかあり、いずれも海面から数メートルの高さにある。今より海面が高かった縄文海進期(7,000年~6,000年前)に形成され、その後の海面の低下と地盤の隆起によって、高い位置に洞穴が残されたというわけだ。

 外川漁港。向こうの高台の上に外川駅がある。

 千騎ヶ岩をあとにさらに行くと、すぐ西側に「犬岩」がある。一目見て、すぐに「なるほど犬岩だ」と思う。

 友人にこの写真を見せて、この岩の名前は何岩でしょうと聞いてみたところ、「猫岩」という答えが返ってきたけれど。そして、実際に近くに猫がいた。

 これも千騎ヶ岩と同様にジュラ紀の岩で、約2億年前の海底に堆積した砂や泥が固まってできた岩からなっている。

 義経が奥州に逃れる際に残していった愛犬が主人を慕って七日七晩鳴き続けた末に岩になったという伝説があるらしいが、もちろん、ただの伝説である。

 犬岩のそばの岬(犬若岬)に海蝕洞があった。これも犬の形といえなくもない?


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 犬若岬に咲くハマカンゾウ。ここは地上から富士山が見える最東端の地でもあるらしい。この日は見えず。

 犬岩付近からは北西方向に長く連なる赤茶色の崖が見えてくる。有名な屏風ヶ浦で、僕は初めて実際に目にした。

 崖上には多数の発電用の風車が並んでいる。

 あの崖の下まで行ってみよう。

 海岸を埋め立てたらしい殺風景な道を歩いていくと、銚子マリーナという観光施設があり、海水浴客で賑わっている。もちろん、みんなクルマで来ているのであって、こんなところまで暑い中、歩いてくる物好きはほとんどいないだろう。このあたりではイルカ・クジラウォッチングもできるらしい。

 マリーナの敷地内には「伊能忠敬銚子測量記念碑」というのがあり、「富士山可視東端の地」と書かれている。

伊能忠敬測量隊は、享和元年(一八〇一)七月十八日から九日間銚子に滞在しました。銚子は太平洋に突き出た東端の地で、富士山・筑波山・日光の山々を目視できます。特に富士山の方位測定は、測量の正確さを確かめるために重要でした。忠敬は七月二十六日の測量日記に『晴天、此早朝日出に犬若岬に於て(中略)富士山を測り得たり其の悦知るへし(下略)』と記しています。忠敬は此の地で測量の精度を確認し自信を深めました」

 マリーナの北端から屏風ヶ浦の遊歩道が始まる。

 現地の解説板。

 屛風ヶ浦は、千葉県銚子市犬若から緩やかに湾曲しつつ、旭市刑部岬まで続く海食崖に沿って広がる海域です。水平線を遮るものが何一つなく洋々と海域が広がり、海食崖の断崖に打ち寄せる激しい波とせめぎ合う海浜が生み出す自然景観をみることができます。

 この自然景観は、下総台地の隆起と侵食という大地のダイナミックな活動によって形作られています。約10㎞続く海食崖は、下総台地の東端にあたり、約300万年前から40万年前(屛風ヶ浦でみることができるのは約300~100万年前)に海で堆積した犬吠層群と、その上に不整合で接する10万年前ごろ沿岸の環境で堆積した香取層、関東ローム層からなる露頭です。比較的軟らかく、激しい波浪の影響により常に侵食が続く崖で、犬吠層群と香取層の色彩的なコントラストを見ることができ、「地層」の代表として教科書にも掲載されています。

 

 国の名勝および天然記念物にも指定されている屏風ヶ浦は江戸時代から景勝地として知られ、鹿島神宮香取神宮に息栖神社(茨城県神栖市)を加えた東国三社を巡拝した後、利根川を下って銚子周辺の「磯めぐり」をするのが旅の定番コースになっていたようだ。今日の僕と同じようなことを江戸時代の人たちもやっていたということだ。僕は電車利用だが、当時は江戸と香取や鹿島、銚子は水上交通でつながっていた。

 歌川広重も『六十余州名所図会』の中に「下総銚子の濱 外浦」と題して犬若岬から屏風ヶ浦にかけての風景を描いていて、遠景に真っ白な富士山もしっかり描かれている。ただ、夕景のようなので、富士山は本当ならシルエットになるはずである。

 約10キロに及ぶ屏風ヶ浦の海食崖でも犬若岬に近いほうが地層が古く、犬吠層群のうちの名洗層と呼ばれ、約310万年前~200万年前に堆積した地層である。人間からみれば、十分に古いが、地球の歴史全体からすれば、ごく最近の地層といえる。すでに日本列島はほぼ現在の形になっており、沿岸の海底で堆積したものが隆起したのだろう。

 2億年前の岩石と300万年前の崖が隣り合っているところが面白い。上の広重の絵だと左の崖が2億年前、右奥の崖が300万~100万年前である。

 屏風ヶ浦の崖はまだ地質的に新しいので、完全に岩石にはなりきっておらず、波の力でどんどん侵食され、絶えず地層の内部から新しい面が現れていた。波に削り取られた土砂は沿岸流に乗って南へ移動し、九十九里浜に砂を供給し続けていた。しかし、崖の侵食を防ぐため、防波ブロックの設置などの対策が取られるようになると、侵食は抑制されたが、九十九里浜では砂の供給が減り、砂浜の縮小につながっているという。

 波によって削られた窪み。波食窪。

 崖の上部に関東ローム層がのっているのが分かる。絶えず侵食を受けていた時代は崖は赤く見えたというが、今は侵食が収まって、植物が育ち、緑の崖に変わりつつある。

 断層。地層中に250万年前の火山灰層が含まれているという。

 アオサギ

 クロサギ。次々と魚を捕まえていた。

 海水浴場から「15時を過ぎました。現在の気温32度、水温28度」という放送が聞こえてきた。気象庁の公式データによれば、この日の銚子の最高気温は30.8℃だった。

 遊歩道の終端まで歩き、川が流れ込んで、崖が途切れている地点で海岸を離れ、名洗という集落に入る。外川駅からは3キロ近く歩いたのではないかと思うが、もう一カ所行ってみたい場所がある。ということで、もう少し歩く。暑い!

 

 つづく

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