ひたちなか海浜鉄道の旅(その2)

 今日は立秋だが、最高気温は東京は最高気温が35.9℃で、年間最多記録を更新する17回目の猛暑日

 さて、8月6日(日)に茨城県ひたちなか海浜鉄道沿線を旅してきた話の続き。

 阿字ヶ浦駅に近い「ほしいも神社」に立ち寄った後、坂を下って阿字ヶ浦の浜辺へ。ここは砂浜海岸で、茨城県を代表する海水浴場のひとつである。過去2回は時季はずれで、浜は人もまばらだったが、今日は海水浴シーズンの只中で、賑わっている。ただ、上野からわざわざ臨時列車を走らせるほどの人出ではない。

 ほしいも神社で「ひたちなか・おでかけガイド」という小冊子をもらったのだが、その中に昭和四十七年の阿字ヶ浦海水浴場の写真が載っていて、当時の阿字ヶ浦は「東洋のナポリ」と呼ばれていたそうで、今よりも砂浜が広く、浜にも海にもものすごい数の海水浴客がいて、びっくりする。これだけ人が集まるなら上野からの直通列車の運行もさもありなんという感じだ。当時に比べれば、今は激減といっていい。最近はテレビで神奈川県・江ノ島周辺の映像をみても、昔に比べて海水浴客の数はだいぶ少なく感じるし、海水浴という文化そのものが廃れつつあるのかもしれない。僕自身、最後に海水浴に出かけたのはいつのことだったか、思い出せないぐらいである。

 浜の北側には常陸那珂港港湾施設があり、その彼方には東海村原子力施設らしき建物が並んでいる。その上空に雲が湧いている。

 さて、過去2回はここでちょっと海を眺めただで引き返したが、今回は阿字ヶ浦の南側の海岸に興味があるので、もう阿字ヶ浦駅には戻らない。

 ということで、海水浴やマリンレジャーを楽しむ人たちを横目に見ながら、砂浜を南へ向かって歩く。

 阿字ヶ浦海水浴場の南には磯崎漁港がある。

 漁港を過ぎて、そのまま海岸沿いに進む前に港を見下ろす高台に神社があり、ちょっと立ち寄ってみた。酒列磯前(さかつらいそさき)神社という。平安時代の斉衡三(856)年創建と伝わる古社である。

 祭神は少彦名命スクナヒコナノミコト)。神話では海の向こうからガガイモという芋の皮の船に乗り、小鳥の皮を着て現れたという小さな神で、大国主命大名持命)の国造りを助けたとされる。また、医薬、酒造り、知恵と学問などの神でもあるそうだ。とすると、こうした当時の先進技術や知識をもたらした渡来人を神格化した存在にも思える。

 平安時代編纂の『文徳天皇実録』の記述に基づく神社の由緒書によると、少彦名命大名持命(オオナモチノミコト)とともに常陸国鹿島郡大洗の海岸に降臨し、塩焼きの一人に神がかりして、「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造り訖へて、去りて東海に往きけり。今民を済わんが為、亦帰り来たれり」と託宣し、少彦名命を祀る酒列磯前神社が現在のひたちなか市磯崎町に創建され、また同時期に現在の大洗町には大名持命を祀る大洗磯前神社が創建されたという。そのため、二つの神社は兄弟のような関係にある。とにかく、酒列磯前神社は古い歴史を持つ由緒正しい神社であり、それに相応しい雰囲気を感じる。

 境内はタブノキやツバキ、スダジイクスノキなどの照葉樹の森に囲まれ、クスノキの周りをアオスジアゲハがひらひらと舞っていた。

 この鬱蒼とした樹叢は茨城県の天然記念物に指定されているとのこと。

 さて、高台に鎮座する神社をあとに、再び海岸に下る。

 途中にあったホテルの看板。

 ホテルニュー白亜紀白亜紀が今回の海岸探索のキーワードである。

 この先の海岸には那珂湊層群という、およそ8000万年前の地層が露出し、その頃の地質年代から「中生代白亜紀層」(平磯白亜紀層)として県の天然記念物にもなっている。

 磯崎漁港を過ぎて、岬を回ると、阿字ヶ浦の砂浜とは一転して、岩がゴツゴツとした磯浜となる。阿字ヶ浦は波も穏やかだったが、こちらは白波が岩に砕けている。

 そして、このあたりの岩は全体として北側に傾いている。

 この白亜紀層(那珂湊層群)は礫や砂、泥が深い海の底で堆積したものである。まだ日本列島が大陸の一部であった時代、海底斜面に堆積した土砂が大地震などの影響で地すべりを起こし、混濁流となって、より深い海底に沈殿する。この時、粒の大きな礫が最初に沈み、小さな礫、砂、泥と上に行くほど粒子が小さくなって降り積もっていく。また、粒子が細かいほど沖合まで運ばれていく。このような堆積物をタービダイトという。

 下の写真の岩だと、帯状に挟まった礫が右に行くほど粒が細かくなるので、右が上位であると分かる。

 丘の上には磯崎灯台。緑の岬の上に青空をバックに聳える白い灯台。僕の大好きな風景である。

 たくさんのミミズが干からびている石段を灯台まで登ってみた。

 灯質は単閃白光、12秒に1閃光。光達距離は17海里(約31.5キロ)。塔高は15メートル。灯高は海面から36メートル。昭和二十六年初点灯。

 灯台と飛行機。

 灯台のすぐ隣に立派なホテルニュー白亜紀があった。

 海岸探索再開。カニやヤドカリ、フナムシなど、生き物もいろいろいる。

 人面石? 側面にはニホンザルみたいな顔も。

 このあたりでは7500万年前に生息していた普通のアンモナイトとは巻き方が異なる「異常巻きアンモナイト」の化石が多数見つかっているほか、ウニやサメ、翼竜の化石なども発見されているという。

 陽射しは強いが、海風は気持ちいい。でも、暑い!

 この鳥は何だろう? 

 さて、この辺りの海岸では地層が北に傾いていると書いた。これは深海底に堆積した地層が地殻変動により地表に現れる過程で傾いたわけだ。

 しかし、なぜか一部だけ南に傾いている場所がある。

 ここだけ、ほかとは向きが違うので、地元では「畜生岩」などと呼ばれたという。また、「逆列」(さかつら)という地名の由来にもなったという。酒列磯前神社の「酒列」も元は逆列だったのが、「逆」という字を避け、また酒造りの神様にちなんで「酒列」になったともいう。

 なぜこのような地層の逆転が起きたのか。地層がまだ未固結だった段階で、海底地すべりを起こし、部分的に地層が変形したものと考えられているそうだ。

 岩の傾きはすぐにまた北下がりに戻る。

 ところで、この白亜紀層(那珂湊層群)は鋸の歯のようにギザギザになった岩の列が並んで、宮崎県日南海岸の「鬼の洗濯板」と似た景観をなしている。これは砂岩と泥岩の互層のうち、比較的軟らかく侵食されやすい泥岩だけが波で削られて、硬い砂岩が残ったために生じたものである。

 今はたぶん潮が満ちているが、干潮の時なら、もう少しよく分かるだろう。

 宮崎県青島の「鬼の洗濯板」。

 日射しを遮るものが何もない海辺の道を歩いていると、何やら祭囃子のような音が聞こえてきた。どこかで夏祭りをやっているようだった。

 つづく