身延線の旅(その3)

 8月18日に身延線沿線を旅した話の続き。

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 身延山久遠寺に参詣して、バスで身延駅に戻ってきた。改札口の上に「おつかれさまでした」とある通り、すっかり消耗してしまった。菩提梯の石段も大変だったが、何よりも猛暑にやられた。

 すでに13時を過ぎていて、昼食をとりたいのだが、駅前の食堂は「準備中」のままだし、次の列車まで時間もあまりない。仕方がないので、駅の待合室の自販機でパンを買って空腹を満たす。あとで駅の中に立ち食い蕎麦があったのに気づいたが、そこもシャッターが閉まっていた。

 久遠寺では外国人はほとんど見かけなかったが、身延駅前になぜかたくさんいた外国人旅行客がみな13時31分発の静岡行き特急に乗り込んでいき、僕は13時45分発の甲府行き普通列車の乗客となる。乗客といっても「青春18きっぷ」だから、JRにとっては大した客ではない。

 かなり汗をかいたので、温泉でさっぱりしたい。そんな時に最適な温泉がある。下部温泉。一度行ったことがあり、昔ながらの温泉宿の日帰り入浴を利用したのだが、とてもぬるいお湯で、その時は晩秋だったので、少し温度が低すぎるぐらいだったが、真夏だったら最高に気持ちがいいのではないか。今回、身延線に乗ろうと思った時、身延山より先に下部温泉のことが頭に浮かんだのだった。

 ということで、身延から3つ目の下部温泉駅で13時58分に下車。身延駅よりも多くの人が降りたようだ。やっぱり寺より温泉か。

 前回この駅に降りたのは1990年11月のことだから34年ぶりだ。当時は下部駅といったが、いつのまにか駅名に温泉がついた。駅のすぐ裏に新しい日帰り入浴施設ができていたが、とりあえず、温泉街のほうへ歩き出す。

 駅をあとに下部川に沿って東へ歩く。同じ列車から降りた人たちはほとんど駅の反対側の温泉施設へ行ったのか、僕と同じ方向へ向かう人はほとんどいない。この先に「武田信玄隠し湯」といわれ、大変古い歴史をもつ下部の温泉街があるのだが、まるでひっそりとしている。

 やがて、ぽつぽつと建物が現れるが、人の気配がなく、ほとんどが営業していない。休みというのではなく、廃業しているようだ。廃墟と化した旅館もある。入口にロープが張られていたり、「営業しておりません」「閉館しました」といった貼り紙があったりする。植物に飲み込まれつつある建物もある。

 SAISONというパブハウスだったらしい。

 かなり立派なホテルも廃墟化していて、普通の住宅も廃屋が目立つ。前回訪れた時はそれなりに賑わっていた記憶があるのに、一体どうしてしまったのだろうか。

 温泉街の中心部にさしかかっても、誰もいないし、営業していそうな宿や店はほとんど見当たらない。ゴーストタウンという言葉が浮かんでくる。

 あとで調べてみると、何軒かは営業中の宿もあるらしかったが、車は何台か通ったものの、通りを歩く人の姿を全く見ないまま、途中で引き返してきた。前回入浴した宿もどこだったか分からなかった。

 何も見るものがないので地層を見る。下部温泉街の地層。砂岩や泥岩かな。南に傾いている。

 実は下部には双体道祖神がたくさんあるらしく、ひとつでも見つけられたら、と思っていたのだが、発見できなかった。

 下部温泉駅に近い下部川の対岸には湯之奥金山博物館というのがある。下部の山奥にあった戦国時代からの金鉱(武田信玄の隠し金山)に関する資料を展示しているようで、博物館に通じる橋は人が渡ると童謡のメロディが流れる仕掛けらしい。ちょうど渡っている人がいて、音楽が流れていたが、何の曲だったか忘れた。

 博物館よりは温泉に入りたいので、駅の向こうの温泉施設「Healthy Spa サンロードしもべの湯」へ行く。ここは盛況である。

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 前回浸かった下部温泉の風呂は湯温が30℃ぐらいだったようだが、ここは泉温49.4℃のしもべ奥の湯高温源泉と20.9℃の雨河内温泉の2種類の源泉からお湯を引いているらしい。とりあえず、今はあまり熱いお湯には浸かりたくない。

 限りなく水に近いぬるま湯で汗を流し、露天風呂など、いろいろなお湯に浸かったが、一番気に入ったのは歩行浴。温度計によれば湯温は36℃で、深さは1.1メートル。長方形の回廊式浴槽をぐるぐる回るのがなんとも気持ちがよかった。気温36℃だと暑いが、湯温36℃だと気持ちがいいのはなぜだろう。

 お湯から上がって、休憩フロアでしばらくボーッとしてから、1,080円(身延町内在住者は750円。入湯税込み)を払って駅に戻る。

 小さな温泉郷を取り巻く山々の向こうにモクモクといい感じの雲が湧いていた。

 ところで、駅のホームで甲府方の線路のカーブを目にして、34年前にここで撮った写真の記憶が蘇った。入線してくるのは急行「富士川6号」。この列車で富士へ出て、東海道線経由で帰ったのだった。

(1990年11月の下部駅)

 駅名が変わったり、ワンマン運転用のミラーが設置されるなど、駅の施設はだいぶ変わったが、山の姿は変わらない。

 下部温泉15時58分発の甲府行きは5分ほど遅れてやってきた。下部温泉も今は無人駅なので、ホームに流れた列車遅れのアナウンスはこの駅を管理する身延駅からの遠隔放送なのだろう。

 とにかく、甲府行きの普通列車身延線を北上する。引き続き山間の鉄路をトンネルの連続で進み、16時26分発の鰍沢口あたりから甲府盆地に入る。車窓に田んぼや畑のほか、果樹園が目立ってくる。

 車窓前方に積乱雲が湧いている。あの下では雷雨になっているのかもしれない。

 あとは列車で帰るだけだから、少しぐらいの雨なら構わないが、20年前に中央本線で大雨のために列車が運転見合わせになったことがある。ああいうのは困る。

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   結局、甲府には17時17分頃に着いた。定刻より2分遅れ。

 駅前の武田信玄銅像を眺め、駅で早めの夕食をとり、18時06分発の高尾行きで帰る。19時44分着の高尾から特別快速で新宿まで行き、21時頃帰宅。 

 自宅前からみた月。

 おわり