SLばんえつ物語(後編)

 9月8日に磐越西線の観光列車「SLばんえつ物語」に乗った話の続き。

peepooblue.hatenablog.com

 新潟県の新津を10時03分に発車した会津若松行きの「SLばんえつ物語」は津川で給水を行い、阿賀野川に沿って、山峡の鉄路を行く。

 沿線の至るところにいわゆる撮り鉄がいて、三脚を立てて、列車にカメラを向けている。そして、ひと通り撮影を終えると大きく手を振って、列車を見送る人が多い。ほとんどが車移動だから、何度も先回りして、いくつもの撮影スポットで写真を撮っているのだろう。

 最初のうちはチケットで指定された通路側の座席に座っていたが、後半は4号車の展望席(フリースペース)で過ごす時間が長くなる。こちらのほうが景色が楽しめる。

 福島県に入ると阿賀野川阿賀川と名前が変わる。

 ところで、終点まで3時間半というのは現代人にとってはかなりの長時間であり、SLの旅といえども退屈する人がいてもおかしくない。ということで、車内では退屈しのぎ(?)にジャンケン大会が行われた。車掌が各車両を回り、車掌と乗客全員(50人ぐらい?)が1対50でジャンケンをする。負けとあいこはそこで終了。勝った人だけがもう一度車掌とジャンケン。で、最後まで勝ち抜いた1名にオリジナルの缶バッジが贈呈されるという趣向である。べつに缶バッジは要らないけれど、とりあえず参加してみたら、最後の3人まで勝ち残ってしまったが、乗客同士3人でのジャンケンで負けた。

 

 野沢を過ぎて、山都でも再び点検整備のため、しばらく停まる。停車時間を利用してSLをバックに記念写真を撮ってくれるサービスもある。

 山都12時52分発。まもなく明治時代の1910年に喜多方~山都間が開通した当時からある有名な鉄橋を渡る。長さ445メートルの一ノ戸川橋梁。プレートガーダー橋で、中間部だけ上路式ボルチモアトラスという珍しい形になっていて、線路上には構造物が何もないので、鉄橋を渡る列車を何の支障物もなく撮影できるスポットである。撮り鉄がずらっと並んで撮影していた。

 白い花が満開のソバ畑。

 ずっと山間の町を結んで走り続けた列車は会津盆地に下ってきて、13時08分に喜多方到着。

 喜多方といえば蔵とラーメンの町であるが、僕にとっては日中線の起点駅として印象に残っている。喜多方から北へ11.6キロの熱塩へ至るローカル線で、1日3往復しか列車が走らず、「日中は列車が走らないのに日中線」などと揶揄され、1984年に廃止されてしまった。僕は1978年に乗っていて、その乗車記録は当ブログの今のところ最古の記事となっている。

peepooblue.hatenablog.com

 日中線は本州で最後までSL(C11)が旅客列車を牽いていた路線として知られるが、僕が乗った時はディーゼル機関車のDE10がオハ61系を2両牽いていた。


(1978年3月の喜多方駅。暖房用の蒸気を吐く日中線の列車。ホームに荷物が山積みになっている)

 当時は荒れ果てていた熱塩駅が今はきれいになって日中線記念館になっているらしいので、一度訪ねてみたいのだが、今回は時間がない。

 喜多方からは磐越西線も電化区間となり、列車は田圃の広がる会津盆地をラストスパート。といっても、足取りはゆっくりとしたままだ。

 それにしても、平坦区間でもけっこうな煙だ。線路際の家など、洗濯物が煤で汚れるだろう。

 列車の窓ガラスも雨で濡れて、そこに黒い煤が付着している。

 今は土日に1往復ずつ走るだけで、地元の人たちも各地で手を振ってくれるけれど、毎日何本もの列車が煙をモクモクと吐きながら往来することを考えると、昔、日本で鉄道建設が始まった頃、各地で反対運動が起きたというのも理解できるような気はする。


www.youtube.com

 展望室で郡山から来たという父子と話をしたりするうちに列車は会津若松市街にさしかかり、新津から111キロ、3時間半余りかかって会津若松に13時36分に到着。

 昨日の上越線で水上から長岡まで向かい側の席に座っていて、この列車でもまた乗り合わせた彼と別れの言葉を交わして、僕は一度改札口を出た。

 

 あと1回つづく

peepooblue.hatenablog.com