日中線

 上野を前夜23時49分に発った急行「ばんだい5号」は夜明け前の会津若松に5時ちょうどに到着した。中学校の友人F君との2人旅。ともに初めての夜行列車の旅でもあった。会津へやってきた理由は特になく、強いて言えば、東京発の周遊券で一番安いのが「福島・会津磐梯ミニ周遊券」だったということぐらい。

 さて、会津若松駅へ降り立った我々はまず4番ホームへ向かった。日中線というローカル線に直通する列車に乗り換えるためだ。これが都会の電車しか知らない僕らにとっては驚くべき列車なのだった。
 跨線橋の階段を下りた時、そこに待っていたのは、床下からモクモクと蒸気を吐いているチョコレート色の古めかしい客車。その車内は電灯もついておらず真っ暗なのに、よく見ると、すでに人が乗っている。
 手動式の扉を自分で開けて、恐る恐る乗り込むと、次に驚いたのは座席の背もたれがクッションのない、ただの板張りであること。しかも、ブラインドは木製の鎧戸だ。オハ61系客車との初めての出会いであった。

 車掌さんが来て、ようやく電灯がついた621列車は乗客も少ないまま5時17分に発車。
 DE10-49というディーゼル機関車の後ろにオハ61とオハフ61の2両編成。相変わらず白い湯気を吐きながら走っている。これが暖房用の蒸気であることは後で知った。
 外は朝靄の田園地帯。その向こうに連なる山々は淡いオレンジに染まった空をバックにして、まだ色彩を持たない。

 途中、塩川に停車しただけで、5時40分に喜多方に着く。ここで磐越西線から日中線に入るが、その前に32分も停車。その間、この風変わりな列車や、あとから来たキハ55系新潟行きの写真を撮ったり、改札を出て駅のスタンプを押したりして時間を過ごした。
  
(621列車を引くDE10-49)

(暖房用蒸気がモクモクと立ちのぼる)

(あとから隣のホームへ着いた磐越西線新潟行きキハ55)

 日中線・熱塩行きはすっかり明るくなった6時12分に喜多方を発車。ゴトゴトとポイントを渡って、ゆっくりとした速度で日中線に入る。「日中は走らないのに日中線」などと言われる通り、朝1往復、夕方2往復の合計3往復しか走らない11.6キロの超ローカル線である。
 会津若松付近にはなかった雪が線路際に現われ、やがて、あたり一面の雪野原となった。真っ白な山々も朝日に輝き、白銀の中を走る列車内が明るくなった。

 最後尾のデッキに立つと、左右のドアは開けっ放し。後部の貫通路も開けっ放し。つまり三方開放の“展望室”になっていて、後方に流れる線路がずっと見える。ドアを開けたまま走るなんて都会では考えられないが、ここではまるでお構いなしだ。
 
 会津村松、上三寄、会津加納と停まって、終点の熱塩には6時41分に着いた。

 熱塩は終着駅なのに駅員もいない。屋根が優美な曲線を描く欧風の駅舎も今は幽霊屋敷そのものだ。枯葉だらけの待合室。窓のガラスはみんな割れている。駅の事務室を覗くと、赤く錆びたストーブやバケツ、ヘルメット、電話機などが放置され、見るも無残に荒れ果てている。こんな駅は初めてだ。駅の外に出ると、雪が腰のあたりまで積もっていた。


(荒れ果てた駅舎内)

 何もない駅周辺をぶらついているうちに、機関車が側線を通って喜多方寄りに付け替えられ、7時02分に上り始発622列車として熱塩を出発。ガラガラの車内で持参の弁当を食べたり、車掌さんと話をしたりするうちに、7時38分、喜多方に到着。帰りはここが終点だ。
 すぐに会津若松行きに乗り換え。これも4〜5両の古い客車列車で、機関車は日中線からそのままDE10-49が連結され、車掌さんも同じ人だった。機関車と乗務員だけが会津若松に戻り、日中線の客車は夕方まで喜多方駅の片隅に留置されるらしかった。