札幌ライオンズユースホステルで迎える朝。ここは1972年の札幌オリンピックで日本勢(笠谷・金野・青地の3選手)が金銀銅メダルを独占したあの70メートル級ジャンプ台のすぐ下にあり、もとはジャンプ選手の宿舎として建設されたらしい。それがオリンピック後にユースホステルとなったのである。
この宿の名物は朝食である。「北海道産のジャガイモをゆで、バターをたっぷり、塩、コショウを加えてつぶす。そして、オーブンで焼いて作るジャーマンポテト」と「脂肪分3.4~3.7%の濃い牛乳にバナナを入れ、ミキサーしたバナナミルク」。
ジャーマンポテトは食べ放題で、過去には20個も食べた人がいたらしいが、男でも大体5個が精一杯といったところで、僕は4個でやめておいた。
今日は夜の列車で釧路方面へ向かう予定なので、それまでは札幌周辺にいるつもり。時間はたっぷりあるので、朝食後、ひとりで散歩に出た。もちろん、めざすのはジャンプ台である。
誰もいないので、着地斜面の脇の凍った雪の階段をゆっくり踏みしめながら登り、そのままジャンプ台の上まで登ってみた。てっぺんにたどり着くと、スロープの急勾配と高さに思わず足がすくむ。はるか眼下に札幌の市街も見渡せる。選手はこんな高い所から滑走してジャンプするのか、と驚いた。
(画面右上の札幌市街。ずいぶん空気が汚れているように見える)
僕はもちろんジャンプはせずに同じ階段を歩いて下って、宿に戻る。すでにほとんどの人が出発していて、館内はガランとしていた。
宮の森シャンツェ前からバスと地下鉄を乗り継いで札幌駅に出て、大きな荷物はコインロッカーに預け、午前中は北海道大学まで行ってポプラ並木を歩いたり(雪解け道で靴がどろどろになった)、街なかの時計台や北海道庁旧庁舎を見物。
(北海道庁旧庁舎)
それから札幌13時17分発の札沼(さっしょう)線、新十津川行き629Dに乗り込んだ。
札幌の次の桑園で函館本線から分かれ、札幌郊外の住宅地を北へ向かう。
石狩平野を行くので、風景は単調だが、積雪はかなり多い。
釜谷臼(かまやうす)と石狩太美の間で石狩川橋梁を渡る。長さ1,074メートルもあり、北海道の鉄道橋では最長である。
石狩当別を過ぎるあたりから、人家もまばらになってきた。
知来乙(ちらいおつ)、札比内(さっぴない)、晩生内(おそきない)、札的(さってき)といったいかにも北海道らしい名前の駅に一つ一つ停車して、14時59分に浦臼に着く。ここで札幌行きと行き違い。浦臼までに乗客はほとんど降りて、ここでもさらに減る。4分停車の間に車両も一部を切り離して、ここからは2両編成となった。切り離した車両は行き違う札幌行きに増結するのだろう。
わずかに残った客を乗せたディーゼルカーは終点をめざして走り出す。左側の車窓に増毛山地が迫ってきた。
全国版の時刻表には載っていない於札内(おさつない)仮乗降場付近で車掌が乗客に行先を尋ねて回る。降りる人のいない駅は通過するのかと思ったが、結局、全部の駅に停車した。
南下徳富(みなみしもとっぷ)、下徳富、中徳富と続くが、北海道では地名に東西南北や上中下、新などを冠した駅名が多い。
札幌から78.1キロ、2時間9分かかって終点の新十津川に15時26分着。新十津川という地名は明治時代に大水害に見舞われた奈良県十津川郷の被災者が当地に移住して開拓したことに由来する。
その新十津川はあまり終着駅らしさを感じさせない駅だ。というのも、もともと札沼線は名前の通り、札幌と留萌本線の石狩沼田を結ぶ路線(1935年全通)だったが、利用者の少ない新十津川~石狩沼田間が1972年に廃止されて、この駅が終点になったのだ。
とにかく、新十津川は終点で、また札幌まで折り返すしかないように思えるが、実は函館本線の滝川駅まで石狩川をはさんで、さほど離れておらず、歩いても1時間はかからないはずだ。それで歩き出したのだが、方向が分からなくなって、駅に引き返し、結局、バスに乗ることにした。この区間を走っているのは国鉄バスで、僕が持っている周遊券で乗れる。次の滝川行きは16時32分である。
粗末な待合所でバスを待っていると、小学校低学年ぐらいの男の子がやってきて、「鉄道好きか?」と聞いてきた。「好きだよ」と答えると、「よーし!」と偉そうに言う。
その子の相手をしていたら、東京の地下鉄にやけに詳しいので、「東京に行ったことあるの?」と問うと「ないよ!」と答えた。
バスが来た。「となりにすわってもいい?」と聞くので、「いいよ」と言って一緒に座る。
バスは新十津川駅をあとに、僕が考えていたのとは逆の方向へ走り出した。
「どこに住んでいるの?」
「みどり団地」
北海道の国鉄全線乗り放題の周遊券を見せてあげたりするうちに緑団地の停留所に着いて、男の子は降りていき、バスが見えなくなるまで手を振ってくれた。もちろん、僕も手を振り続ける。
男の子の姿がカーブの向こうに見えなくなると、また一人旅になった。
石狩川を渡ると、すぐに滝川市街にさしかかり、新十津川から15分余りで滝川駅前に到着した。
これから函館本線の「上砂川支線」に乗ろうと思う。
10分ほど待って乗った旭川発小樽行きの客車列車は真っ赤な最新型51系だった。滝川で8分停車する間に、根室を9時20分に発ってひたすら根室本線を走ってきた札幌行きの急行「狩勝2号」に道を譲って17時07分に発車した。
空知川を渡って、次の砂川で下車。17時15分着。乗り換え時間が2分しかないので、古くて長い跨線橋を走って渡って、構内のはずれにある上砂川線のホームへ急ぐ。
本線のホームと上砂川線のホームの間には何本もの貨物側線が並んでいて、ひと昔前までここに“黒いダイヤ”を満載した石炭車と蒸気機関車がひしめき、活気にあふれていたのだろう。
蒸気機関車はすでに去り、今ではディーゼル機関車が何台かいるだけだが、駅自体が煤けていて往時の面影を残している。
そもそも砂川と上砂川を結ぶ7.3キロのこの路線は正式には函館本線の一部ということになっており、この区間だけの独立した名称はないのだが、便宜上、上砂川支線とか上砂川線などと呼ばれている。言うまでもなく、炭鉱路線で、三井砂川炭鉱から石炭を積み出すのが主な役目であり、石炭列車の合間に運転される旅客列車は石炭輸送の邪魔にならぬように砂川駅の片隅に発着ホームが設けられ、駅舎からは長い跨線橋を渡らねばならない。このホームのことを宮脇俊三さんは著書『時刻表2万キロ』の中で「旧家にたとえれば厠の位置である」と書いている。
さて、17時17分に上砂川行きは発車した。キハ40‐189とキハ22‐78の2両編成。上砂川線には1日8往復の旅客列車があり、これが6番目である。
夕闇が迫るなか、列車は下鶉(しもうずら)、鶉、東鶉とかわいらしい名前の駅に停まり、17時33分に終点の上砂川に着いた。寂れたとはいえ、まだ細々と石炭輸送は行われているようで、構内には石炭車がたくさん並んでいた。
5分の停留の後、わずかな乗客とともに列車は砂川に戻った。17時51分着。
あとは札幌に戻るだけだが、砂川には停まらない特急に乗るため、逆方向の18時06分発普通121列車旭川行きで滝川へ戻り、18時15分着。この古びた客車列車は函館を朝6時20分に出て、倶知安・小樽経由でここまで来た道内最長距離鈍行で、旭川には19時46分着である。函館から旭川まで13時間半もかけて函館本線全区間を走破するわけだ。
滝川から18時20分発の特急「ライラック14号」に乗車。列車は今日これまでに乗った列車とは格段に違うスピードで突っ走り、途中、岩見沢に停まっただけで19時23分にはネオンのきらめく札幌に到着した。
今夜乗る釧路行きの急行まではまだ3時間近くあるので、街に出た。さすがに空気が冷たい。
昨夜、ユースホステルの観光案内のスライド写真で見た夜の時計台を見に行く。昼間も訪れたが、今はひっそりとして、照明に白くて小さな姿を浮かび上がらせていた。
それから宿でもらったテレビ塔の割引入場券があるので、夜景でも眺めようと大通公園のテレビ塔へ行ってみたら、冬季は18時までで、もう閉まっていた。
仕方なく、大通公園の地下のオーロラタウンにあった紀伊国屋書店でしばらく立ち読みなどして時間をつぶし、アンドレ・ジッドの『狭き門』を買って札幌駅に戻った。
駅の待合室の脇のミカドという食堂で750円のハンバーグ定食を食べ、自宅に電話して無事に旅を続けていることを伝え、あとは待合室で買ったばかりの文庫本を開いて、時間を過ごす。
列車の発着案内板から上り下りの最終「ライラック」の表示が消え、21時25分発の稚内行き夜行急行「利尻」の文字も消えると、かわりに22時10分発の釧路行き急行「まりも3号」と22時15分発の網走行き急行「大雪5号」の表示が出た。
乗車ホームに急ぐと、4番線に「大雪5号」、5番線に僕が乗る「まりも3号」と2本の客車列車がDD51を先頭に並んで発車を待っていた。ホームでは夜の長旅に備えて買い物をする人などで、あわただしい雰囲気だ。
B寝台車6両、A寝台車1両、グリーン車1両、普通車2両(指定席・自由席各1両)がずらりと並ぶダークブルーの車体の床下から暖房用のスチームが濛々と立ち上るその姿にはこれから夜を徹して最果てをめざす夜汽車ならではの風格を感じさせる。
僕はB寝台券を東京で購入済みで、指定された席は6号車16番下段である。車内は思いのほか空いていて、僕のいる3段式の狭い寝台が向かい合った6人用のコンパートメントには僕ひとりであった。
札幌駅のホームに発車のベルが鳴り、やがて機関車のホイッスルが聞こえると、ガクンという振動とともに急行「まりも3号」はゆっくりと動き出した。
昨年乗った釧路行きの夜行は「狩勝7号」と名乗り、函館本線を滝川まで行って、根室本線に入ったが、昨秋、札幌と帯広・釧路方面を短絡する石勝線が開業したため、ルートと列車名が変わった。実質的には同一列車である。
列車はイルミネーションの美しい札幌の街をあとに千歳線に入り、近郊住宅街の夜景を横目に見ながら南へ下る。
検札も終わり、狭いベッドに横になっていると、あっという間に眠りに落ちてしまい、千歳空港駅に停車して石勝線に入ったこともまったく知らなかった。
(翌朝6時15分に釧路駅に到着した「まりも3号」)