荒川サイクリング(後編)

 体育の日(10日)に自転車で荒川方面へ出かけ、10時半過ぎには行田市までやってきた。行田は高崎線の駅でいえば熊谷の一つ手前(東京寄り)である。
 荒川のサイクリングロードをあとに行田の街なかを走る。
 JR行田駅は荒川の堤防からすぐの場所だが、そこは市の中心部から離れていて、中心市街はさらに北の方にある。行田駅前の市内案内図を見ていたら、上り電車がやってきた。上野行きではなく東海道線直通の熱海行きというのがいまだに妙に感じられる。
 市の中心部へ向かう大通りを走っていたら交通事故現場に遭遇。交差点の真ん中にワゴン車が横転していて、さらにもう一台が横転していた。警察車両のほか、救急車や消防車が来ていて、人だかりができていたが、乗っていた人がどうなったかは不明。
 さらに行くと、映画化された小説『のぼうの城』(原作:和田竜)で近年にわかに脚光を浴びた忍城址に出た。忍城について詳しくは知らないが、荒川と利根川に挟まれた低湿地に15世紀半ば、地元の豪族・成田氏によって築かれた城である。沼地に点在する島のような微高地や自然堤防を利用して築かれた城塞はまさに難攻不落の城で、幾多の攻防戦をくぐり抜け、戦国時代に関東一円を支配した小田原北条氏の打倒をめざす豊臣軍の総攻撃に際しても石田三成率いる大軍の攻勢にも耐え抜き、小田原陥落の日まで北条方では唯一落ちることがなかったという。この時、三成は秀吉による備中高松城の水攻めに倣い、総延長28キロにも及ぶ長大な堤を築いて、利根川の水を引き込み、忍城を水没させる作戦をとったが、落ちることはなかったことから「忍の浮き城」と呼ばれたそうだ。
 忍城があたかも水に浮かぶような城だったことがわかる。

 往時の沼地の名残である水城公園。

 江戸時代になると幕府の重臣らの居城となった忍城。この時代に建てられた御三階櫓(復元)。

 本丸跡には郷土博物館があり、見学したら絶対面白いと思うのだが、今日はそれより自転車で走りたい気持ちのほうが勝っている。なので、水城公園近くの売店で買った行田名物のB級グルメ、ゼリーフライを食べただけで先に進む。

 ゼリーフライ。1本70円。ゼリーをフライにしたものではなく、おからとジャガイモを混ぜて揚げた、ちょっと頼りないコロッケという感じ。小判形から銭フライと呼ばれたのが変じてゼリーフライになったらしい。

 なかはこんな感じ。食べかけですみません。

 市内に保存されているSL、C57−26。昭和13年製造で昭和46年に引退するまで、おもに東海道本線東北本線で旅客列車を牽引し、地球74周半に相当する2,985,783キロを走行したという。

 忍城址をあとに城下町であると同時に宿場町としても栄え、足袋の生産地として知られた行田の旧市街を走っていると秩父鉄道行田市駅前に出た。
 なかなか味わいのある駅だ。


 駅で見かけたハクセキレイ

 この路線はだいぶ前に一度乗ったことがあるが、今はどんな車両が走っているのだろう。興味が湧いたが、ホームに人影はなく、電車が来る気配がない。ということで、隣の東行田駅へ行ってみる。
 途中で見つけた忍川を渡る鉄橋。ここで電車の写真を撮りたいな、と思うが、相変わらず来る気配はない。

 仕方がないので、ダイサギの写真。時折、魚が飛び跳ねる。

 東行田駅にやってきた。こちらもさらにいい雰囲気。

 すると、なんと行田市方面から電車がやってくるではないか。あと数分、あの鉄橋で粘っていればよかった。
 羽生へ向けて走り去る電車。

 東行田駅の時刻表をみると、5分後に反対方向の電車が来ることが判明。急いで鉄橋まで戻り、どんな構図で撮ろうかと迷った末にこんな構図。

 さて、ようやく正午である。どうしようか。北へ数キロ行くと利根川が流れているので、そこまで行ってみよう。といううことで、自転車を走らせる。道はよく分からないので、勘が頼りだ。
 田圃の中の用水路。眺めていたら、水門をくぐるようにカワセミが飛んでいった。

 ついに利根川の堤防に出た。海から157キロ地点。何やら虫が飛んでいるね。川は利根川の支流・福川。

 関東の大河、利根川。さすがに広い。リカンベントが走りすぎていく。リクライニングシートを倒したような姿勢で漕ぐ自転車。


 この後、自転車道をキジが横切る。写真を撮ろうとしたら飛び立って、どこに下りるかと目で追っていくと、黄金色の田圃の稲穂の波間に飛び込んで消えた。
 この地点からはまっ平らな関東平野を取り巻く山々が見渡せる。その中でも独立峰のような筑波山はよく分かる。手前に写っているのは利根大堰。ここで利根川の水を取水し、武蔵水路を通じて荒川へ流し、水道水として東京都内に供給している。

 これもホレボレするような三連の福川水門。この水門は写真集『恋する水門』(佐藤淳一著)にも出ている。


恋する水門 FLOODGATES

恋する水門 FLOODGATES

 水門に併設の橋を渡ると行田市から熊谷市に入る。利根川の対岸は群馬県だ。

 このあたりの利根川には橋がなく、今も渡し船が運航されている。赤岩渡船。これは一度乗ったことがある。2010年5月に茨城県の古河から自転車で渡良瀬遊水地、足利を回り、ここで利根川を船で渡って、高崎線桶川駅まで走ったのだった。

 船は群馬県側が運航しているので、こちら側から船に乗りたい時は待合所にある黄色い旗をあげる。対岸の船が動き出すのを確認したら旗を降ろして乗船場へ。乗船無料だし、また乗ってみようかと思ったが、やめておく。
 葛和田バス停。本数は多くないが、熊谷駅からバスの便もある。


 2人乗せた船がやってきて、こちらからは自転車3名を含む6名を乗せて群馬県へ渡っていった。
 朝からずっと曇り空だったが、ようやく青空が広がってきた。

 上空をグライダーが飛んでいる。近くに発着場があるのだ。帰宅後に知ったことだが、この日は大学生のグライダー競技会が開かれていて、15時過ぎに1機が群馬県側に墜落、早稲田大学の学生1名が亡くなるという痛ましい事故が起きたのだった。この写真は13時ごろ撮影。

 利根川をあとに熊谷市街へ向かう。あとは帰るだけだ。まもなく走行距離は100キロを突破。

 市街地に入り、どこで昼食をとろうかと考えていたら、山田うどんがあったので、そこで昼食。ここで走行距離は102キロ。
 熊谷駅を経て、再び荒川のサイクリングロードに出た。ここでアブラゼミの声を聞く。今日耳にしたただ1匹のセミ。 走りだすと、ちょっと向かい風。青空が広がったのも束の間、また曇って、もう夕方の気分。まだ熊谷なので、ちょっと焦燥感も。家まで遠いなぁ。


 帰りは大芦橋で右岸に渡る。荒川の川幅は狭いが、河川敷は異様に広く、橋も長い。

 サイクリストのオアシスである吉見町の総合運動公園で休憩し、さらに右岸を下流へ向かって走る。
 まもなく川幅日本一のポイントを通過。2,537メートル! 川幅というのは両岸の堤防の間の長さのことだ。

 この先、また荒川を笹目橋まで走って同じ道を帰るか、別ルートにするか、迷っていたのだが、荒川と入間川の合流地点付近に架かる入間大橋を渡って川越方面へ向かう。
 小江戸・川越の街は大変な賑わいだった。でも、クルマが多すぎる気がする。歩行者スペースから車道にはみ出して歩く人も多く、けっこう危ない。幹線道路なので仕方がないが、なんとかならないものか。



 川越からは勘を頼りに走る。次の目標地点は所沢。思ったより遠く感じた。空は夕焼けが広がることもなく暗くなった。
 ようやく西武新宿線の駅が見えたと思ったら、新所沢駅で、そこから2つ目が所沢。ここからはすっかり暗くなったなか、所沢街道を行く。
 所沢街道で田無に出て、あとは三鷹井の頭公園経由で19時半に家に帰りついた。
 本日の走行距離186.6キロ。ちょっと走りすぎた。疲れた。