4月20日(土)に荒川沿いをサイクリングした話の続き。
埼玉県戸田市の笹目橋で荒川サイクリングロードに入り、上流へ向かって走り、熊谷市までやってきた。ここでサイクリングロードを離れ、土手を下って街なかへ。
荒川ではあちこちでウグイスがさえずっていたが、街に入ると選挙のウグイス嬢が賑やかだ。明日は統一地方選挙の投票日である。選挙カーから僕に手を振られても困るので、知らぬ顔して走り過ぎる。
行田駅の西側でJR高崎線の踏切を越え、国道17号線(中山道)に出る。なんとなく熊谷方面へ。
そろそろどこかで昼飯を食べたいと思いながら走り続けると、上越新幹線の高架をくぐり、前方に秩父鉄道の線路が見えてきた。それでこのローカル線に沿って走ってみようという気になった。
秩父鉄道の踏切を渡る時、踏切名を確認すると「持田No.20踏切」だ。現在いる場所は持田駅と熊谷駅の間のはずで、持田から20番目の踏切という意味だ。ローカル線の駅の雰囲気が好きなので、持田駅を訪ねてみよう。自分のホームページで「自転車で訪ねた駅」というリストを作っているので、そこに持田駅を加えたいという魂胆もある。
線路に沿って踏切を数えながら東へ向かう。農地と住宅が混在する平坦な土地だ。
まもなく駅が見えてきた。想像していたより味気ない、単線にホームを添えただけの簡素な駅。しかし、踏切の数からしてまだ持田駅ではないようだ。
ホームの駅名標を確認すると「ソシオ流通センター」。こんな駅名は知らない。あとで調べてみると、2017年4月1日に開業した新駅だった。
ホームで数人が待っていたから、まもなく電車がやってくるのだろう。
再び走りだし、次の持田駅をめざすと、まもなく踏切が鳴り出し、持田方面から電車がやってきた。
持田駅が見えてきた。その裏手にお寺があった。
本堂前に一遍上人像があるので、時宗の寺だ。持田山阿弥陀寺。鎌倉時代の1294年に創建されたそうだ。
まもなく近くの踏切が鳴り出し、持田駅に上り下りの電車がほぼ同時にやってきた。
なぜか右側通行で行き違い。
阿弥陀如来像が安置されている本堂に手を合わせ、改めて持田駅を訪ねる。いい雰囲気の駅である。
無人駅ではなく、ちゃんと駅員さんがいた。
持田駅をあとに線路沿いにさらに行くと公園があり、ここで少し休憩。藤の花が咲いている。
その後、再び国道17号線に出て、東京方面へ走り、途中、鴻巣市内の回転ずし店で昼食。店を出たのが14時過ぎ。あとは帰るだけだ。
さらに中山道の旧道を行き、高崎線の北鴻巣駅の東側で武蔵水路にぶつかったので、ここからこの水路沿いに荒川に出た。
利根川から取水した水を荒川に流すのが武蔵水路。そして、水は荒川の秋ヶ瀬取水堰で取水され、東京都民の水道用水となる。武蔵水路は都民にとって死活的に重要な水路なのだ。
下の写真は武蔵水路の終点。前方の堤防の向こうが荒川。
再び荒川サイクリングロードを今度は下流へ向かって走る。往路はほとんど風がなく、これなら帰りが向かい風なんてことはないだろうと安心していたのだが、いつのまにか風が出て、しかも向かい風である。疲労もあって速度が上がらない。まぁ、のんびり行こう。
往路にも写真を撮ったネモフィラ。
帰り道は遠く感じる。北本市内で走行距離が100キロを突破。
この場所でモズの姿を見る。
榎本牧場まで戻ってきた。あと45キロ。
午前中も見た牛。
国道16号線北側の通行止め区間。往路は堤内の一般道を迂回したが、復路は堤外(河川敷)の道を行く。ほとんどがゴルフ場内だった。
田植えを終えた田んぼ。
数人のドラマーが駐車場でドラムソロを繰り広げている秋ヶ瀬公園を抜け、さくらそう水門までやってきた。
彩湖の夕景。
夕陽と水門と鉄塔と飛行機雲と。
18時頃、笹目橋で荒川と別れ、あとは自宅へ突っ走るだけ。あと19キロ。これがけっこう長いのだ。
本日の走行距離152.5キロ。久しぶりの長距離で疲れた。
(きょう見かけた鳥)
ヒバリ、ツバメ、ホオジロ、キジ、ツグミ、シロハラ、コサギ、アオサギ、トビ、オオバン、カルガモ、コガモ、モズ、ヒヨドリ、ハクセキレイ、カワラヒワ、ムクドリ、スズメ、カラス、キジバト
(声だけ聞いた鳥)
ウグイス、ガビチョウ、エナガ、カケス、センダイムシクイ、コジュケイ