新型コロナウイルスの感染拡大の影響で今年はどこかへ出かけようという気持ちになかなかなれなかったが、そろそろ山を歩きたくなった。ということで、昨日(10月31日)、奥多摩へ行ってきた。目的は前から歩いてみたかった奥多摩むかし道。JR青梅線の終点・奥多摩駅のある氷川から奥多摩湖(小河内ダム)へ通じる青梅街道の旧道である。
夜明けとともに出発し、京王線・南武線を乗り継ぎ、立川から青梅線に乗り換えたが、乗ったのは御嶽止まりの電車。青梅線の電車はふだんドアの開閉が自動ではなく、乗降客が各自でボタンを押してドアを開ける方式だが、いまはコロナ対策で各駅ともすべてのドアが開くようになっていた。都会の電車では当たり前だが、山が近づくにつれて、駅に着くたびにドアが全開になると、外気が流れ込んで、かなり寒い。もう少し厚着をしてきた方がよかったか、と後悔する。
ちなみに今日の東京都心の最低気温は今季初めての一桁で9.2℃。青梅では3.6℃、小河内では3.5℃まで下がり、けっこうな冷え込みだった。最高気温は都心が19.2℃、青梅が18.5℃、小河内が15.4℃。
さて、御嶽駅に着いて、ここで下車して御岳山に登って秋川渓谷方面に下るのも面白いなぁ、などと考えたが、予定通り約20分後の奥多摩行きに乗る。でも、奥多摩までは行かず、終点の二つ手前の鳩ノ巣駅で下車。時刻は8時を過ぎたところ。
鳩ノ巣駅の標高は310メートル。空は快晴だ。
駅前の案内地図を見て、まず鳩ノ巣渓谷を散策して、そのまま多摩川の上流へ向かうことにする。
この付近の青梅線はトンネルの連続で、すっかり山岳路線である。
駅前から坂道を下り、青梅街道を横断すると、すぐに滝がある。双竜の滝。
そのそばに廃業した旅館。玄関の天井板が剥がれかけている。
宿が何軒かあるが、みんな廃墟化していて、滝のある渓谷美と隣り合わせで妙に侘しい景観をなしている。
旅館の廃墟と水神の滝。
いきなり気が滅入るが、気を取り直して渓谷沿いの岩の上に立つ水神様を拝む。
吊り橋から下流側を望む。巨岩がゴロゴロして、荒々しい渓谷美。ここが東京、そしてこれが多摩川とは思えない絶景だ。
上流側。
この清らかな水の大部分は羽村堰で取水され、都民の水道用水となるので、多摩川下流へは行かない。
ちなみに鳩ノ巣渓谷の名の由来は明暦3(1657)年の大火で江戸城の天守閣を含め、江戸の町の大半が焼き尽くされた後、江戸の復興と江戸城の修復のために奥多摩の木材が利用され、丸太が多摩川を流して江戸まで運ばれたが、その時、この付近に人夫を泊める飯場が設けられ、水神の森に鳩が巣を営んでいたことから鳩ノ巣の地名となったという。鳩はキジバトかアオバトだろう。
さて、吊り橋からは右岸を歩く。岩だらけの道で、歩きにくい。対岸の上方には青梅街道(国道411号線)と青梅線が通っているが、遊歩道には誰もいないので、クマが出ないか、と不安になる。奥多摩にはツキノワグマが生息しているので、一応、クマ避けの鈴を持っている。
ゴツゴツの岩場を登ったり下りたりしながら進む。
途中から川岸を離れて、山林の中の急斜面を登る。この先にダムがあるからだ。
白丸ダム。ダムサイトの上から下流側を見る。この右岸側の山林の中を歩いてきた。
渓谷沿いに設けられた階段のようなものは魚道である。登り切ったところで折り返して、トンネル水路を通じて、ダムの上流へ行けるらしい。どれだけの魚が遡上するのだろう。
白丸ダムは東京都交通局が建設した水力発電用のダムだそうだ。1963年完成。高さ30.3メートル。
ダムの上流側にも遊歩道が続いていたが、ここからは青梅街道を歩く。険しいV字谷の中腹を行く道で、色づき始めた紅葉がきれいだが、車やバイクが多く、騒がしい。
それでも、歩行者とも行き会うようになったし、人家も点在しているので、無人の山中を歩いていた時に感じたクマに遭遇する不安はなくなった。そのかわり、交通事故の危険はある。ドライバーを信じるしかない。
やがてバス停があった。昔ながらのこの形状がやはり一番いい。初縄田という停留所名もいい。奥多摩や檜原村には味わい深い地名が多い。これは「しょなわだ」と読むそうだ。
海沢橋からの眺め。
さらに行くと、右手の石垣の上に石仏があり、馬頭観音と双体道祖神だと思ったら、双体の尊像も頭に馬頭がのった馬頭観音だった。このような双体馬頭観音はかなり珍しいのではないか。僕は初めて見た。
今の青梅街道は長いトンネルが建設されているが、トンネルができる前の旧道を歩くと、そこにも石仏が残っている。
「日向の馬頭さま」。憤怒の形相をした三面六臂の馬頭観音。文化11(1814)年造立。
そばでカケスが鳴いていて、姿を探したら、頭上を飛び去った。また、渓谷を見下ろしながら歩いていて、川面を飛ぶ少し大きな鳥がいて、ヤマセミだと思ったのだが、一瞬のことだったし、確証はない。
日帰り温泉施設「もえぎの湯」を過ぎて、まもなく左手にまた石仏。これもよく見ると馬頭観音のようだ。青梅街道は江戸時代に開かれた道だが、石灰や薪炭・山葵など物資の輸送路として栄えたから、荷を積んだ馬が多く行き交い、馬の息災祈願や死んだ馬の供養のために馬頭観音が多く建てられたのだろう。これは宝暦四年だから1754年だ。
新氷川トンネルを抜けてきた青梅街道に合流すると、まもなく奥多摩町の中心集落・氷川だ。時刻はもう9時40分になろうとしている。
ここでまずはビジターセンターに立ち寄り、「奥多摩むかし道」のガイドマップをもらい、奥多摩の自然や地形、地質に関する知識を仕入れる。
さて、ビジターセンターをあとにいよいよ奥多摩むかし道を歩き出すわけだが、まずは奥多摩駅に立ち寄る。この駅の標高は343メートルだそうだ。ちょうど電車が到着したところで、登山やハイキングの客で結構な賑わいだ。トイレには行列ができている。
ということで、つづく。