初夏の奥多摩を歩く(その3)

 6月12日に奥多摩へ行ってきた話の続き。青梅街道の旧道「奥多摩むかし道」で奥多摩駅から3.7キロ、奥多摩湖まで6.4キロの地点にある境集落から。時刻は11時18分。

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 ここからまた未舗装の道になる。でも、歩きやすい。

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 少し行くと右手の崖上に白髭神社がある。石段を登ると、石の鳥居があるが、これは石灰岩だろうか。

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 なにしろ、白髭神社は社殿にのしかかるように斜めにせりだした石灰岩の崖が印象的な神社で、この「白髭大岩」こそが古代から祭祀の対象になっていたらしい。

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 奥多摩といえば、北に連なる秩父とともに石灰石の採掘が盛んな地域であるが、はるか南の熱帯の海でサンゴや貝の死骸が堆積して形成された石灰岩がプレートの移動によって北上し、この地方の岩盤となっているところが面白い。

 その石灰岩の岩脈を多摩川が侵食したため、対岸の崖にも石灰岩が露出しているのが見える。

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 ここでは若い男女5人組が先にいて、写真を撮っていた。そして、僕のあとにも女子1名が石段を登ってきて、そのあとにはおじさん3人連れがやってくるという具合で、今まであまり人に会わなかったのが、急に賑やかになってきた。

 白髭神社をあとにすると、すぐに「弁慶の腕ぬき岩」。

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 続いて、「耳神様」。

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 昔、耳だれや耳の痛みがある時、穴の開いた石を見つけて、ここに奉納し、快癒を祈願したのだという。

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 白髭神社のたつ石灰岩の岩脈を長い白髭トンネルで貫いてきた青梅街道が右手に姿を現し、そのずっと上には廃線跡も姿を現す。ここまでは多摩川本流はあまり見えなかったが、ここからは深い峡谷を見下ろせる区間が多くなる。

 いろは楓の巨樹。江戸時代から道行く人々の目を楽しませてきた。

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 まもなく、急斜面にへばりつくような梅久保の集落。

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 去年、途中の無人直売所で手作りのよもぎ大福を売っていて、それがとても美味しかったので、またあったら買おうと思っているのだが、それがこのあたりの集落だったはず。でも、今年は直売所はなかった。もともとガレージにテーブルを出して、大福や柿やキウイフルーツ、こんにゃくなどを売っていたので、売り物がなければ、直売所もないのだろう。ちょうどおばさんが出てきて、「こんにちは」と挨拶を交わしたのだが、この人が直売所のおばさんだったような気がする。

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 しばらく人家は途切れるが、また数軒の家がかたまってある。

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 急斜面につくられた畑に何げなく目をやると・・・。人かと思ったら、案山子のようだった。きっとサルとかシカとかイノシシとか、いろいろ出るのだろう。畑は大体フェンスやネットなどで囲われている。

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 川合玉堂の時代からさほど変わっていないのではないかと思われる山村風景。

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 惣岳の成田不動尊不動明王が祀られているのに鳥居があるのは神仏習合の名残か。

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 そばに観音様。

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 惣岳渓谷と呼ばれる急峻な谷に沿って行くと、「がんどうの馬頭様」が落石防止のネットで覆われた崖の下にひっそりとある。「がんどう」は「厳道」で、細く険しい道で背に荷物を積んだ馬が崖から転落して命を落とすこともしばしばだったらしく、そんな馬たちを供養するために馬頭観音が建立されたということのようだ。

 ただ、この「がんどうの馬頭様」は損壊してしまったのか、台座以外は見当たらなかった。

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 そして、まもなく一度に2人までしか渡れない吊り橋「しだくら橋」がある。しかし、ここでまた白髭神社にいた5人組に追いついてしまった。3人が対岸にいて、2人が橋を渡っている最中である。みんな渡って、またこちらに戻ってくるまで、時間がかかりそうだ。

 もちろん、素通りしてもいいのだが、僕ももう一度体験してみたい。橋の袂にある説明板によると、いまは吊り橋になっているが、かつては「巨岩から巨岩をつなぐように直径約二十センチメートル程の杉丸太を四、五本ずつ藤蔓で結び架橋していました」とのこと。正確な絵が頭に浮かばないが、川合玉堂の作品に危なっかしい橋で峡谷を渡る杣人の姿を描いたものがあったな、と思い出す。

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川合玉堂「翠溪帰樵」、昭和25年)

 この作品に描かれた橋と説明にある橋が同じようなものかどうかは分からないが、いずれにせよ、現在の吊り橋よりもはるかに危険でスリリングな橋だったのだろう。事故も多かったのではないか。

 さて、5人組がいなくなった。

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 「3人以上で渡らないで下さい」と書いてあるが、以前は違った。

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 とにかく、一人で渡る。

 眼下の惣岳渓谷。

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 長さ67.15メートルで、奥多摩町内では最も長い吊り橋だそうだ。

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 震度5ぐらいの揺れ具合で、渡り終わってもまだ地面が揺れているような感覚が残る。

 対岸には何もないのかと思いきや、小さな祠があるほか、送電線の「No.6鉄塔」への作業路がつけられていた。東京都交通局のマークがついている。小河内ダム直下の多摩川第一発電所は交通局の管理で、そこから6番目の送電線鉄塔がこの先の山の上にあるということだろう。道といっても、人間という動物が作った獣道といった程度の踏み跡にすぎず、道に迷わないように木に目印のテープが巻いてある。下を流れる沢からミソサザイの声が聞こえてきた。踏み跡を伝って急斜面を水辺まで下りてみた。ヤマメかイワナのような魚の影が見えたが、すぐに岩の陰に隠れてしまった。

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  沢から急斜面を登って、再びしだくら橋を渡る。よく見ると、老朽化が進んでいるのがよく分かる。

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 さて、地面が揺れているような感覚を引きずったまま、奥多摩むかし道をさらに歩き出す。時刻は12時06分。

 境集落からまだ48分しか経っていないが、続きはまた明日。一体、いつまで続くのか?