初夏の奥多摩を歩く(その5)

 6月12日に奥多摩へ行った話の続き。奥多摩町の中心集落・氷川から青梅街道の旧道「奥多摩むかし道」を歩いてきたが、その旧街道が東京都水道局のゲートで封鎖され、途切れてしまう。その先にはここからは見えないが、小河内ダムのダムサイトがそそり立ち、街道はダム湖奥多摩湖)の底に村とともに沈んでいる。そこで「奥多摩むかし道」はここから枝道に入る。山上の集落へ通じる道だ。奥多摩湖まであと3キロ。時刻は13時半を過ぎたところ。

 ここまでは山歩きだったが、ここからは少し登山ぽくなる。でも、まぁ、大したことはない。

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 まもなく、左の木立越しにダムサイトがちらちらと見え始めた。キビタキがさえずっているが、茂みの中にいるので、姿は見えない。ヤブサメの声も聞こえた。

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 これまでずっと右が山で、左が谷だったが、途中から右が谷に変わった。

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 右手の急斜面に小さな畑が現れた。動物除けの電柵が張り巡らしてある。何やら鳥の声が聞こえたので、よく見たら、ホオジロだった。ほかにカッコウの仲間のジュウイチらしき声も遠くから聞こえた。

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 そして、急に空が広くなって、山の上の中山集落に出る。こんな山の上に人が暮らしているのか、と驚くような光景だが、古くから人が住んでいたのだろう。奥多摩では縄文時代の遺跡も各地で見つかっているが、遠い昔、人々の移動ルートは尾根筋だったから、山の上に集落が形成されたということなのだろう。現代的な観点からは不便そうな場所だが、山間部では最も陽あたりがよく、近くで水さえ得られれば、住みやすい場所だったのだ。もちろん、現在は舗装道路が通じ、車も入れるようになっている。

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 お墓がある。この山上の地で生まれ、一生を過ごし、ここで眠っている人もいるのかな、と思う。

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 集落を抜けて、尾根筋を回る地点で眼下に小河内ダムが見下ろせた。

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 そこで山林の中を登ると浅間神社がある。ここから富士山が見えるのだろうか。

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 ここからは下りになる。またキビタキがさえずっているが、姿は見つかりそうにない。

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 このあたりなら野鳥だけでなく、いろいろな動物も生息しているだろうし、サルとかシカとかカモシカとか、何かいないかなぁ、と足を止めて斜面を見上げてみたりするが、気配はない。クマにだけは出てきてほしくない。奥多摩にはツキノワグマも生息しているのだ。

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 歩いていたら、タヌキのため糞があった。タヌキは一カ所に複数の個体が糞をする習性があり、それが情報交換の手段にもなっているらしい。写真は撮らず。

 道は小さな滝が連なる滝のり沢を渡ると、水根新道と合流する。この先にある水根集落への道は明治37年までは今たどってきた中山経由の道しかなかったが、青梅街道から水根に直結する長さ950メートル、幅員1.8メートル、高低差150メートルの新道が開設されたということだ。滝のり沢沿いに「新道」を下っていけば、今は滝のり沢バス停に出られる。ただ、この120年近く前に建設された新ルートも険しい山道であることに変わりはないし、今は水根まで舗装道路が通じているので、この道を使う地元民はほとんどいないのだろう。

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明治37年に開通した水根新道)

 針葉樹林の中でキクイタダキらしき高く細い声を聞いて、まもなく水根集落に着く。ここが今回のルートの最高地点だろう。

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 ここからは舗装道路に出て、つづら折りの急勾配をぐんぐん下って、奥多摩湖に到着。時刻は14時半。途中でしだくら沢に寄ったり、オオルリ観察に30分近くも費やしたり、昼食休憩をとったりで、昨年より1時間ぐらい余計にかかった。

 水道局の「水と緑のふれあい館」の周囲にダム湖に沈んだ村にあった石仏や石碑が並んでいる。馬頭観音庚申塔などに交じって日食供養塔というのがある。

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 寛政十一年と彫られているから、1799年のもので、もとは湖底に沈んだ恵日山門覚寺の前にあったという。「日食を社会変異の前兆と見て供養したもの」という説明書きがある。昔の人にとっては日食や月食は不吉なものと感じられたのだろう。しかし、調べてみると、この年には奥多摩地方で見られる日食はなかったらしい。ただ、その前年までの4年間で3回の部分日食があり、また13年前の1786年には98パーセントが欠ける日食があったという。こうした体験から今後も起こるであろう日食に対して悪いことの前兆ではありませんようにと祈る気持ちから供養塔がつくられたのだろう。実際、翌年には92パーセントが欠ける日食(房総半島では金環日食)があり、さらに1802年にも80パーセントの日食が起こっているそうだ。

 

 とにかく、奥多摩湖までやってきた。やや水量が少ない気がする。

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 東京オリンピック、本当にやるのかねぇ。

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 向こうの山の中腹に見えるのが水根集落。

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 展望塔にオオルリキビタキの写真があったので借用。

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 ダム周辺を散策して、15時半過ぎのバスで帰る。奥多摩駅まで360円で15分ほど。駅前の土産物店も新型コロナの緊急事態宣言で休業していて、何も買わずに電車に乗る。

 奥多摩で交通費以外の支出といえば、パンとコーヒーを買ったのと、お賽銭少々だけか。

 

 おわり