12月8日。26年前に亡くなった母方の祖母の誕生日で、健在なら109歳だが、世間的にはジョン・レノンが亡くなって40年というのが話題になっている。あの日、学校から帰宅したら、夕刊のトップで報じられていたという記憶はあるが、当時はジョン・レノンやビートルズについては名前は知っているけど、よく知らない、という感じだったので、それがどれほど大変な出来事なのか、よく理解できていなかった。
そして、この日は79年前、真珠湾攻撃により日米開戦に至った日でもある。その日の父方の祖母の日記が手元にある。あの日は月曜日だったのだね。
「快晴の暖かい日。
歴史上明記さるべき日。日米英宣戦フ告せられる。終日ラジオニュースを聞き緊張の中にすごす
その後に続けて祖母の実家があった静岡から大きくてみごとなみかん二箱が届いて、子供達が大喜びという主婦の日記らしい記述があるが、夜からは警戒管制と書いてある。平凡な日常に戦争が忍び込んできた様子が分かる。
最後に「大岩さんからカニカン四個分けて下さって大変嬉しい」と書き足したのは、祖父か。
ついでに翌9日の日記を見ると、「今朝から波長が変わったのでラヂオが少しも聞こえなくなりがっかりした」と書いてある。あちこちに持って行ったらしいのだが、「放送局の方の加減だからとて持ち帰った。不便この上なし」とのこと。戦争と何か関係があったのだろうか。
その後もラジオを調節してもらったりしたようだが、あまりよく聞こえない状態が続いたようだ。
祖母の日記は3年連用のものが2冊で、昭和11年から16年までが残っている。その後、日記を書くことを止めてしまったのかどうかは分からないが、現存するのは、この年の大晦日までである。
その大晦日はおせち作りや大掃除で「終日働き通した」という記述に続けて「戦争中と云ふのに純白米二斗も配給され不自由なく正月を迎へられる事は誠に有難いことである」と結んで終わっている。