伊勢原から厚木まで歩く(その1)

 昨日(2月12日)の話。多摩丘陵あたりを歩いてこようと思って小田急線に乗り、途中で気が変わって伊勢原まで行く。ここから日向薬師まで歩き、さらに厚木市の七沢方面に抜けて、本厚木駅まで歩いてみようと思う。

 伊勢原駅から日向薬師までは8キロ弱あり、普通はバスで行く距離だが、歩いても1時間半ぐらいだろう。過去にも歩いたことはあるので、まぁ、大したことはない。

 伊勢原の街なかのスーパーで昼食用のおにぎりや飲み物などを買って、津久井方面へ通じる県道を行く。見上げる大山は先日の雪で白くなっている。

 沿道には梨などの果樹園が多い。ホトケノザオオイヌノフグリナズナなどが咲いている。菜の花畑もある。

 菜の花畑を目にした瞬間からキャンディーズの「あなたのイエスタデイ」の脳内再生が始まり、無限ループ状態。


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 菜の花畑を吹きくる風はあなたの窓にも届くでしょうか♪

 新東名高速道路をくぐって、西富岡日向薬師方面に左折。だんだん山里の雰囲気になってくる。

 道祖神があった。道祖神というと信州安曇野が有名だが、数でいえば神奈川県が最も多いらしい。この地域では一緒に五輪塔やその残骸が並んでいるパターンが多いようだ。この文字だけの道祖神は昭和三十九年一月十四日建立。小正月道祖神の祭りが行われたのだろう。

 また道祖神

 前方に見える歩道のトンネルの上は古墳である。鎧塚古墳群の1号墳。当初は道路拡張で墳丘が削られるはずだったが、保全のためにこのような形になったらしい。

 鎧塚1号墳。六世紀末の築造と推定される円墳。周溝の内側の直径は21メートル。高さは3メートル。盗掘の痕跡があったようだが、横穴式の石室から直刀や小刀、鉄鏃、玉類などの副葬品が見つかっている。

 ここに合わせて6基の古墳が現存している。

 沿道に石材店が多くなり、店先に安曇野風の道祖神

 一般受けのする信濃道祖神は神奈川県内でも増えつつあるが、こういうところから出ていくのか。

 また石塔がある。ひとつは二十三夜塔。もうひとつは「埴山毘賣神」と彫られている。これは「ハニヤマヒメノカミ」と読み、イザナギイザナミの間に生まれた土の神であるという。文久二(1862)年建立。

 このあたりからミカン類など農産物の無人販売所が多くなる。

 日陰の道端に夏みかんや野菜、切り干し大根などを並べた傍らにお婆ちゃんが寒そうに座っていて、そこでネーブルを購入。4個で200円。ちょっと荷物が重くなる。

 動物注意。

 ヤギ。前回通った時は5頭ぐらいいたが、今日は1頭しかいなかった。ちょっと寂しそうに見えた。

 双体道祖神庚申塔。背後の松は源頼朝日向薬師に参詣した際、休憩し、馬を繋いだという「駒繋ぎの松」の二代目らしい。

 典型的な相模の道祖神だが、白いカビに覆われている。

 日向薬師まであと0.9キロ。最大10パーセントの上り坂が続く。

 大山の山懐に抱かれた日向の里の入口。

 大山の頂上をズームアップ。左端に見えるのが、ご神木のブナかな。

 日向川にも春光る。

 熊出没注意の標識が立つ日向薬師のバス停には正午過ぎに到着。伊勢原のスーパーのレシートに印字された時刻が10時34分なので、ちょうど1時間半で着いたことになる。熊出没注意。

 ここにも双体道祖神。そして五輪塔の一部。

 日向神社白髭神社とも呼ばれ、熊野神社を合祀している。白髭神社の祭神は高麗王若光。唐と新羅に滅ぼされた高句麗の王族で、日本に亡命し、大磯に上陸したという。この地を流れる日向川も現在は相模川に通じているが、昔は高麗山の麓を流れ、大磯の海に注ぐ花水川に繋がっていたという。朝鮮半島からやってきた人々はその水系を辿って、この地に到達したのかもしれない。

 相模国を開拓した若光たちはその後、武蔵国に土地を与えられ、彼らの居住地に高麗郡が置かれている。

 また、霊亀二(716)年に日向薬師霊山寺を開いたとされる行基がこの地で薬師像を彫ろうとした際に熊野権現と白髭明神が現れ、霊木を与えたという伝説がある。行基も渡来系である。

 現在の参道は日向神社の東側にあるが、西側が昔の参道で、源頼朝北条政子も参詣している。旧参道の入口に庚申塔と道標がある。

 寛保二(1742)年建立の道標には上部に「庚申供養」とあり、「右やくし道 左一之沢道 大山ミち」と彫られている。

 日向薬師への参道。

 「ニホンザル追い払い隊」と書かれたオレンジ色のジャケットを着た人が二人、山の上を見上げながら歩いている。前回、日向薬師の参道で猿の群れに遭遇したので、今日もちょっと期待していたのだが、この地域では野生猿による農作物への被害が悩みのタネらしい。ミカン栽培が盛んらしいから、それは狙われるだろう。農地には電気柵が張り巡らされている。


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 仁王門。

 仁王門をくぐり、参道を登って行くと、平坦な土地に出て、今では珍しい茅葺きの本堂がある。

 ここが日向薬師の宝城坊である。奈良時代の創建から千三百年以上の歴史を持つ日向山霊山寺は多くの僧房を有する大寺院だったが、明治の廃仏毀釈で破壊され、唯一残ったのが宝城坊なのだ。往時はどれほど大きな寺だったのだろう。

 まずは本堂(薬師堂)にお参り。十二神将に守護された薬師如来を中心に千手観音や弘法大師行基菩薩、役行者の像が並んでいる。本尊である平安時代のノミの彫り跡が残る鉈彫りの薬師三尊は宝殿(収蔵庫)の厨子に納められていて、ふだんは拝観できないが、上野の国立博物館で展示されているのを拝んだことがある。

 宝殿を拝観する前に休憩所でおにぎり休憩。

 

 つづく

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