小湊鉄道沿線を歩く(その3)

 6月30日に千葉県の小湊鉄道の沿線を旅した話のつづき。月崎駅で下車して、市原市田淵の養老川沿いの崖に露出したチバニアンの地層(地磁気逆転地層)を見学したところから。

 チバニアンビジターセンターをあとに月崎駅とは逆方向に歩き出す。このまま養老渓谷駅まで歩くつもりである。

 草刈り作業が行われている畑の中の道を行くと、県道81号線に出た。ここを右折して、南へ行けば、養老渓谷駅に出る。

 実はこの道は過去に自転車で走ったことがある。まだ東京湾横断道路(アクアライン)が開通する前の1997年6月にまだ健在だった川崎と木更津を結ぶフェリーを使って、木更津から上総牛久へ出て、小湊鉄道に沿うように上総鶴舞、里見を経て養老渓谷まで行ったのだ。養老温泉で日帰り入浴をした後、上総亀山に出て、久留里線沿いに木更津に戻り、フェリーで帰った。154.9キロの日帰りツーリングだった。

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 あの時はこの付近はただ黙々とペダルを踏み続けた感じで、あまり印象に残っていないのだが、とにかく房総半島の内陸部らしい丘陵と谷が入り組んだ地形で、起伏が多い。ホトトギスの声が聞こえる。

 房総半島というのは深い海の底で堆積した地層が激しい地殻変動によって急速に隆起してできた大地である。そのため、地質がまだ若く、硬い岩石になる前に地上に現れ、陸地化すると同時に激しい侵食によって削られることにもなった。

 房総半島の特徴というと、山間部でも河川がまるで平坦な低地のように激しく蛇行しながら流れているということだ。陸地化した当初は平地だったはずで、だから河川は少しでも低いところを求めつつ曲がりくねって流れていたのだが、その土地が急速に隆起して、しかも、地質が軟らかいので、蛇行したまま、下へ下へと谷を刻み込み、曲がりくねった峡谷という不思議な地形が出来上がったわけである。Uの字や時にはΩの字を連ねたような蛇行ぶりで、養老川だけでなく、小櫃川夷隅川にも共通した特徴である。

 そして、たとえば、Ωのように曲がりくねった流れの両端部が自然に繋がったり、人為的に開削して繋げたりということも行われ、その痕跡もあちこちに残っている。地質が軟らかいからこそ、そのようなことも可能だったのだろう。そして、水が流れなくなった蛇行部分は水田として利用されたりした。

 田淵蛇行跡。下の写真の奥へ続く田圃の部分が縄文時代の養老川の蛇行の跡。まさにΩ形に続いている。現在の養老川の川床よりも30メートルほど高いところを流れていた。

 田淵蛇行跡の上流側。

 養老川の本流、旧流路、支流・・・。いずれも深い谷になっていて、山というよりは丘陵地帯なのに、地形は険しく感じる。

 2日前の大雨で土砂が崩れたのか、ブルーシートで覆われた箇所もある。

 こうして雨が降るごとに大地が侵食され、一方で大地震が起きれば、地盤が大きく隆起するということも繰り返されている。大正時代の関東大震災の時も房総半島は2メートルほど隆起している。房総半島が世界的に見ても異例の速さで隆起しているのは、大地の下にフィリピン海プレートが潜り込み、さらにその下に太平洋プレートが潜り込むという特異な場所にあるからである。

 今年の元日に能登半島地震で地盤が4メートル近くも隆起して、人々を驚かせたが、あれは決して異常な出来事ではなく、普通のことである。日本列島そのものがそのようにして出来上がった土地なのである。

 

 先ほど見たチバニアンの地層は正確には上総層群の国本層と呼ばれる地層だが、その名前の由来となった国本の集落に馬頭観音があった。これは見覚えがある。27年前に自転車で通った時にも写真を撮ったはずだ。

 三面六臂馬頭観音。宝暦四(1754)年の造立。

 畑にバナナ。

 国本から坂を下っていくと、養老川沿いの三叉路に出たが、そこから先の養老渓谷方面が通行止めだという。ツーリングらしいバイクの一団が警備員に止められている。警備員は僕に対しても、両手でバツを作り、「ここから先は土砂崩れで通れません」という。

 そこに迂回路の地図があるが、養老渓谷方面へ行くには一旦久留里に出て、亀山を回らねばならないようだ。大変な遠回りで、とても歩ける距離ではない。ただ、この近くに上総大久保駅があるはずだ。ということで、養老渓谷駅まで歩くのは断念し、列車に乗ることにしよう。

 橋の上から見た養老川。流れは平常に戻りつつあるように見えるが、確かに向こうの崖が崩れているようだ。

 橋を渡った先で左に曲がり、坂を上っていく。ヤマユリが咲いていた。今年初めて見る。

 上総大久保駅まではすぐで、10時25分に着いた。駅の時刻表を見ると、次の養老渓谷方面の列車まで2時間も待たねばならないことが分かった。

 トトロがいる駅。地元の小学生が描いたもの。実際、小湊鉄道の駅の中でも一番トトロがいそうな雰囲気の駅である。

 この駅で夕方から夜にかけての時間を過ごし、夜の列車で帰るというのを一度やってみたいと思っているのだが・・・。

 上総は「かずさ」と書くはずだが・・・。

 時間があるので、県道以外にも養老渓谷方面に通じる裏道があるのではないかと探ってみたが、別ルートもやはり通行止めになっていた。あとで分かったことだが、県道が通行止めになったのは2日前(28日)の豪雨のせいではなく、6月19日に発生した土砂崩れのせいだということだから、ずいぶん長く通れないのだった。地元の人たちにとっては相当不便なことだろう。

 

 ところで、大久保駅付近にはいわゆる「撮り鉄」が何人もいて、三脚に立派なカメラをセットして列車を待っていた。小湊鉄道に乗っていると、特定の場所に多くの撮り鉄が集まっているのをよく見る。要するに定番の撮影スポットがあるわけだ。ここもそのひとつらしく、下の写真の緑のトンネルのようになったところに列車が顔を出すところを狙うようだ。たぶん。

 撮り鉄というのはクルマ移動がメインで、あまり列車に乗らない人たちでもあるようだ。道端にクルマが何台も止まっている。

 次に来るのは五井行きの上り列車である。撮り鉄に交じって、「トホ鉄」も安物カメラで動画撮影してみた。周りの人間が写らないように撮影するのはアングルが限られて、なかなか難しい。


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 さて、ここで2時間待ってもいいのだが、トホ鉄なので、月崎駅まで別ルートで歩くことにする。前に歩いた時はシカが出た道である。


  つづく