房総半島横断の旅(その2)

 6月18日(日)に千葉県のいすみ鉄道小湊鉄道を乗り継ぎ、房総半島を横断してきた話の続き。いすみ鉄道国吉駅で途中下車して、隣の上総中川駅まで歩き、10時49分発の大多喜行きに乗ったところから。

 乗車したのは、いすみ350形(351)。2013年に登場した車両で、外観はいすみカラーながら旧国鉄ディーゼルカーを思わせる風貌が特徴。座席はロングシートで、ワンマン運転だったが、運転士による車窓ガイド付き。

 途中、大多喜城が見える城見ヶ丘に停まって、10時56分に大多喜到着。

 大多喜はいすみ鉄道の中心駅で、歴史のある城下町でもある。戦国時代に真里谷氏が城を築いたのが始まりとされ、その後、徳川四天王の一人、本多忠勝が城主となったことで知られる。現在の城は江戸時代の図面をもとに1975年に再建されたもので、内部は博物館になっているらしい。

 駅の出入り口の上にはツバメの巣がある。

 また、大多喜駅前には天然ガス記念館というのがあった。次の列車まで時間があまりないので立ち寄らなかったが、大多喜は日本の天然ガス事業発祥の地なのだそうだ。千葉県から東京の下町にかけての地下には膨大な量の水溶性天然ガスが地層の中に存在し、南関東ガス田と呼ばれているが、最初に天然ガスが発見され、採掘が始まったのが大多喜なのだ。今も地元では地産地消天然ガスが供給されているそうだ。かつては東京でも天然ガスを採掘していたが、すさまじい地盤沈下を引き起こし、現在は都内での採掘は行われていない。過去には自然に湧き出すガスによる爆発事故なども起きているが、100年前の関東大震災でも地震の揺れで天然ガスが漏れだした影響で火災が激化し、被害を大きくしたとの説もある。ただ、真偽のほどは分からない。

 天然ガス記念館は入館無料だそうで、ちょっとだけでも入ってみればよかった。

 とにかく、11時18分発の大多喜始発の上総中野行きに乗車。今度は国吉まで乗ったのと同じ300形(302)で、ボックスシート。女性の車掌さんが乗務している。

 大多喜駅ではいすみ鉄道職員が手を振って見送ってくれる。乗客もみな手を振り返す。観光らしい乗客が多く、車掌さんが車掌業務とともに観光ガイドもしてくれる。

 構内で休んでいる旧国鉄キハ52-125。JR西日本から来た車両で、昔、大糸線で乗った。

 夷隅川大多喜城夷隅川は激しく蛇行しながら流れているので、いすみ鉄道夷隅川を何度も渡る。房総半島は地質が比較的若いので、まだ地層が完全には岩石化していないようで、川の流れが川床を掘り下げて谷は深いが、そのわりにたとえば奥多摩のようなゴツゴツした岩の間を清らかな水が流れる渓谷とはだいぶ趣が違う。 

 沿線に植えられた紫陽花。ほかにも桜並木があったり、菜の花畑があったり、季節ごとに線路際を花々が彩り、観光客を呼び寄せている。

 列車は次第に山の中に入る。大多喜から三つ目の久我原駅は周囲にほとんど何もない小駅で、車掌兼ガイドさんによれば、東京から一番近い秘境駅とも言われているそうだ。


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 終点の上総中野には11時42分着。折り返しは大多喜まで普通列車で、そこから急行になる。でも、往路も大多喜からずっと「急行」の表示を出したまま走っていた。

 上総中野は小湊鉄道との接続駅だが、乗り換え列車の姿はない。次の五井行きは12時51分発で、まだ1時間以上もあるのだった。

 駅以外にほとんど何もない上総中野で列車を待つより、次の養老渓谷駅まで歩いたほうが面白いかもしれない。小湊鉄道は終点の上総中野だけが大多喜町に属し、あとは全駅が市原市である。そのため、上総中野~養老渓谷間は山越え区間で、駅間距離も4.2キロと最も長い。道路は線路より遠回りで、5キロ以上はありそうだ。とにかく、歩いてみよう。

 いすみ鉄道の列車も11時52分に折り返していき、ほとんど誰もいなくなった上総中野駅をあとに養老渓谷方面に向かって歩き出す。ホトトギスの声が聞こえてくる。

 支柱に停留所名を書いた円板と時刻表だけというシンプルなバス停は都会ではほとんど見なくなった。

 1キロほど歩いて、小湊鉄道の踏切を渡る。この自然と一体化した感じが素晴らしい。ジブリ的世界。

 紫陽花の咲く道。クルマを止めて写真を撮っている人がいる。

 大地をコンクリートで塗りつぶす道路に比べて、鉄道は自然に溶け込んでいる。

 北に向かって傾いた上総層群の地層。第三紀鮮新世から第四紀更新世(280万年前~50万年前)にかけて海底で堆積した砂や泥の層で、一応、砂岩や泥岩というが、関東山地の1億年以上前の砂岩や泥岩に比べると、だいぶ軟質に見える。千葉県はこうした未固結の

地層が大部分を占め、硬い岩石が露出しているのはごく限られた地域のみで、「石なし県」とも言われるそうだ。

 海底で水平に堆積した地層が傾いているのは、関東地方が中心部で沈降し、周辺部で隆起する地殻変動を受けているからだ。沈降の中心は茨城県古河市付近や東京湾北部などいくつかあるが、中心部が沈み込んでいるため、地層が傾き、房総半島も南部に行くほど標高が高くなっている。そして、半島に降った雨の大部分はその傾きに従って北西方向に流れ、東京湾に注いでいるわけだ。夷隅川は太平洋に注ぐ川だが、むしろ例外的といっていい。

 上総層群は東京都心部では地下深くに潜っていて、さらに西の多摩丘陵で再び地表に現れている。

 さて、小湊鉄道の線路を右に見ながらしばらく歩き、再び踏切を渡る。その時に何げなく撮った上の写真を改めて見て、画面奥に鹿が写っていることに今気がついた。

 ここから道は線路とは離れて、山の中へ入って行く。道幅も狭くなり、山越え区間に入ったようだ。ホトトギスの声に加えて、キビタキの声も聞こえてくる。ホオジロもさえずっていた。

 道端の草むらではたびたびカサカサという音がして、姿は見えないが、トカゲらしかった。1匹だけトカゲがクルマに轢かれいて、ほかにジムグリもぺちゃんこになっていた。

 人家もなく、クルマがたまに通る以外、人の姿も見えず、この道は本当に養老渓谷駅に通じているのだろうか、と不安になる。こういう時は現在地を簡単にスマホで確認できるのだが、あえて確認しない。不安なまま歩くほうが旅は面白い。

 誰もいない山の中だが、太陽光発電のパネルが並んでいる。最近、旅をしていると、このソーラーパネルが本当に増えた。自然エネルギーで環境にやさしいというが、緑の大地を真っ黒なパネルで覆い尽くすことが環境にやさしいとはどうしても思えないのだが・・・。

 この区間は連続雨量150ミリを超えると通行止めになると書いてある。

 特に景色がいいわけでもない道をひたすら歩き続け、上総中野駅から40分近くかかって、ようやく大多喜町から市原市に入る。現在の時刻は12時35分。

 上総中野12時51分発の列車は養老渓谷駅を13時01分に出る。これにはたぶん間に合わないが、その次が養老渓谷始発で13時51分発。これに乗るつもりだから、時間的には余裕がある。

 それにしても、誰もいない。

 歩き出して1時間が経つ頃、地蔵尊や墓地が現れ、集落が近いのが分かる。

 馬頭観音とともに牛頭観音もある。

 馬に乗っている観音様。

 集落にさしかかるが、駅がありそうな気配はない。

 知っている地名が現れると、ホッとする。ここを左折すると、駅がありそうだ。県道32号線から81号線に左折して、まもなくプォンという列車のタイフォンが聞こえた。13時01分発の五井行きが養老渓谷駅を発車したようだ。

 小さな不動堂に手を合わせたりして、まもなく見慣れた風景が現れ、養老渓谷駅には13時09分に到着。上総中野駅からのんびり歩いて1時間10分ほど。

 次の列車まで40分ほどあるので、駅前の食堂で昼食。