久留里線の旅その2

 2月11日、久留里線の旅の後編。
 臨海工業都市のイメージが強い君津市の内陸部にある城下町、久留里で城跡や町なかを1時間半余り散策し、もっと見たいところがたくさんあったのだが、列車の都合で13時50分発の上総亀山行きに乗車。

 久留里から先は山間に入り、列車本数も大幅に減る。
 地形も険しくなり、房総半島で豪雨などがあると、土砂崩れが起きたりして久留里線が不通になったりする区間でもある。
 線路とつかず離れずの小櫃川もぐにゃぐにゃに曲がりくねるようになる。
 久留里を出てすぐ深い谷にかかる鉄橋を立て続けに2つ渡る。これは小櫃川の旧河道に架かる橋である。
 もともと、この地点での小櫃川はΩ形に曲がっていて、それが自然になのか、人工的になのか、今はΩの両端をショートカットするように流路が変わっているのだ。小櫃川に沿う久留里線の線路はその旧河道を続けて渡るわけだが、あとで地形図で確認すると、2つの鉄橋は250メートルぐらいしか離れていないのだった。
 ちなみに大きく湾曲した旧河道に囲まれた台地は古戦場で、里見氏と北条氏の激戦地となったらしい。
 久留里の次は平山、その次は上総松丘である。上総松丘駅の近くには線路と平行する国道410号線の松丘隧道がある。昨年12月23日にトンネル内壁のモルタル23.5トンが剥落した事故の現場である。たまたま通行中の車がなく、惨事にはならなかったが、このトンネルは僕も自転車で通ったことがあるのだ。トンネルは今も通行止めで、工事が行われているようだった。
 再び、小櫃川の深い谷が近づいてきて、大きく湾曲した流れによって削られた崖の上を列車は通る。車窓から眼下の水面にオシドリの群れが見えた。


 トンネルを2つ抜け、まもなく終点・上総亀山に到着。14時08分。
 この駅にはホームに接した本線のほかに留置線が2本あったが、いつのまにか本線から切り離されて、使えなくなっていた。

 折り返しの列車は14時23分発。時間があれば、小櫃川をせき止めたダム湖亀山湖あたりを散策したいが、その次の列車は3時間後の17時15分までないので、今日はすぐ引き返すことにする。滞在時間は15分ある。


 線路は駅構内のはずれで途切れていて、その前方には山が立ちはだかり、いかにも終着駅らしい。しかし、久留里線は最初から上総亀山をめざして建設されたわけではない。木更津から房総半島を横断して、外房の大原をめざしていたのだ。線路は大原からも木更津をめざして建設されたが、途中の上総中野まで開通したところで工事中断。これが現在の「いすみ鉄道」で、旧国鉄時代は木原線といった。木更津と大原を結ぶ路線という意味である。
 結局、久留里線と木原線が結ばれることはなく、そのかわり、木原線は市原市の五井から外房の安房小湊をめざして線路を伸ばし、やはり上総中野まで開通した小湊鉄道と接続することで、一応、房総横断ルートを形成することにはなったのだった。
 久留里線は自分と結ばれるはずの木原線(いすみ鉄道)が山の向こうで別の相手(小湊鉄道)と結ばれていることを知ってか知らずか、今日も木更津と上総亀山との間を行ったり来たりしているわけである。

(本当はこの先も線路は続くはずだったのだ)

 それにしても、上総亀山は何もないところだ。僕以外に同じ列車でやってきた人たちもほとんどが同じ列車でまた引き返すようだ。

 この様子で、みんなただ久留里線に乗ることだけが目的でここまでやってきたことが分かる。

 ところで、久留里線の時刻表をみると、朝は木更津からの一番列車が7時36分に到着するより前に上総亀山から5〜6時台に3本の木更津行きが発車することが分かる。なので、かつては上総亀山駅の3本の線路に3本の列車が並んで一夜を過ごしていたのだが、そのうち2本の線路が使われなくなったということは、どういうことなのかと調べてみたら、1列車のみが亀山で夜間停泊し、2本は久留里で夜を過ごして、朝、亀山に順次回送されてくるらしかった。

 構内に咲くタンポポ

 水仙

 駅前の猫。





 先ほど乗ってきたのとほぼ同じメンバーを乗せて、列車は上総亀山を14時23分に発車した。
 次の上総松丘との間で見た小櫃川オシドリの写真を撮ろうと思ったのだが、失敗した。
 
 まだ時間はあるし、もうひと駅ぐらい、どこかで降りてみようかとも思ったが、結局、そのまま木更津まで乗り通し、家路についた。