午後からサイクリング。
いつものように成城から野川沿いを走り、ダイサギやコサギを見かける。
今日はすぐに野川から離れて狛江方面へ。そして、府中崖線沿いに府中まで行く。
多摩川が何万年もかけて武蔵野台地を削って形成した河岸段丘。多摩川沿いの沖積低地より一段高いのが立川段丘で、その境の段丘崖が府中崖線である。そして、立川段丘よりもう一段高いのが武蔵野段丘。その境が国分寺崖線。野川は国分寺崖線の下からの湧水を集めて流れている。
府中崖線の上には狛江市から調布市、府中市と崖っぷちの道が断続的に続いている。この崖線沿いには旧石器時代から人が暮らしており、旧石器、縄文時代の遺跡も多いし、その後の古墳も多い。奈良・平安時代には武蔵国府が今の府中市の崖線上に置かれた。武蔵総社の大國魂神社の境内とその東側が中央官庁街といえる国衙があった場所である。
というわけで、府中崖線上の道は大変古い。江戸初期に開かれた甲州街道の前身がその南側に並行する品川道で、さらに古い時代の道がさらに南側の崖っぷちのいわゆる「ハケ道」。ハケとは崖を意味するこの地方の方言である。この地域の東西の街道は時代とともに北へ移動し、それに合わせて村落も北へ移った。というわけで、「ハケ道」は古すぎて消えてしまった区間もあるが、府中市内では今もほとんどの区間が残っている。
(崖っぷちの道。崖下が多摩川低地)
神社の脇には今も湧水が健在。昔は大國魂神社の大祭の時の禊の場になっていたそうだ。
この「ハケ道」は東京競馬場の駐車場を造成する時に崖をえぐるように台地が削り取られてしまい、そこで道が消えている。よって、そこで多摩川の氾濫原である低地に下る。今日は競馬開催日なので、場内からレースのファンファーレや実況が聞こえてくるが、素通り。
競馬場前の崖線下には馬霊塔や馬頭観音があり、競走馬の供養碑も多い。
往時の古道も大國魂神社の随神門前を東から西へ抜けて分倍河原に下っていた。
府中本町駅を越え、鎌倉街道に入り、さらに初期の甲州道を通って西府まで行く。ここには府中崖線の湧水が健在。
(府中崖線の湧水)
その後、立川段丘へ再び上がって府中市西府町の武蔵府中熊野神社古墳を見に行く。
7世紀中頃に築造された古墳で、珍しい上円下方墳である。副葬品などからこの地方の有力者が埋葬されていた可能性が高い。律令体制が成立して武蔵国府が置かれて、中央集権体制が強まるなか、都から国司が派遣されてくる前の時代の土着の豪族の墓だろうか。
木々が生い茂る小山だったのが、築造当時の姿に復元されている。
三段構造で、一段目、二段目は正方形、三段目は円形。最下段の一辺の長さは32メートル、上円部の直径はその半分の16メートル。
隣接して展示館があり、横穴石室内部を復元したものもあった。受付でヘルメットを借りて見学。古墳本体の内部ではなく、石室だけを再現した施設。
入口の中に前室、その次に後室、その奥に埋葬空間である玄室がある。木棺が置かれていたようで、たくさんの鉄釘が発見されたそうだ。
巨大な「一反木綿」のようになった送電線鉄塔。
古墳見学のあとは新府中街道を北上。立川段丘を縦断して国分寺崖線下の黒鐘公園、武蔵国分尼寺跡、旧鎌倉街道へ。ウグイスの姿を今シーズン初めて確認。
国分尼寺跡。
鎌倉街道の伝承がある小径。
武蔵国分寺跡。
国分寺崖線下の「お鷹の道」。
崖下に湧く水。野川の水源のひとつ。
農家で野菜や果物を直売していて、キウイフルーツを買って帰る。
走行距離は49.0キロ。