小湊鉄道の旅2022(その1)

 昨日(6月4日)、また千葉県の小湊鉄道の沿線に出かけて、昭和の鉄道風景がそのまま残る列車に乗ったり、駅間を歩いたりしてきた。

 小湊鉄道に乗るのは3年ぶりだが、この間に新たな車両が導入されるなどの変化もあった。新たな車両といっても、JR東日本から譲渡された中古車で、国鉄時代に製造されたキハ40である。小湊鉄道のキハ200形は1960年代~70年代に14両が製造され、すでに還暦を過ぎた車両もあることから、その置き換え用ということらしい。元々国鉄のキハ10系など老朽気動車の置き換え用に1977年に製造が始まったキハ40が年老いてJRから引退した後、再び若者のような顔をして小湊鉄道にやってきたわけである。

 さて、5時過ぎに家を出て、起点の五井駅には7時半に着いた。JR内房線ホームから跨線橋を渡り、1,840円の1日フリー乗車券を購入し、小湊鉄道のホームへ下りると、急に雰囲気が変わる。毎度のことながら、この感じが好きだ。前回は五井駅で素朴な感じの駅弁を売っていて、今回もそれを買おうと思っていたが、売っていなかった。時間が早すぎたのかもしれない。

 ホームの時計。ナショナルだ。先に「昭和の鉄道風景がそのまま残る」と書いたけれど、過酷な時の流れとともに昭和が遠ざかっていくのを感じさせる風景かもしれない。普通なら交換されているはずの時計がまだ時を刻み続けている。

 小型機関車の後ろにキハ200形が3両。役目を終えた車両だろうか。

 さて、次の発車は8時01分発で、途中の上総牛久までしか行かない。本当は1本前の7時11分発、養老渓谷行きに乗りたかったのだが、家を出るのが少し遅れたせいで、間に合わなかった。

 その上総牛久行きとなる列車は7時40分に到着。いきなりキハ40だ。1両だけの単行列車。

 キハ40が登場した時、それまでのキハ10系やキハ20系などの愛嬌のある顔つきに比べて、謹厳実直な堅物を思わせる風貌があまり好きではなかったが、さすがにデビューから40年以上経過して、今どきの若手とは違う昭和の老役者の味といったものは感じる。でも、化粧直しをしてもらってピカピカだ。

 ちなみにキハ40はまず只見線で使われていた2両が2020年に小湊鉄道にやってきて、21年春から運行開始。さらに秋田地区で走っていた3両が譲渡され、この春から順次運用についているようだ。

(北海道・根室本線のキハ40。1985年3月、厚床駅にて)

 いま目の前に止まっているキハ40-3は元キハ40-2019で、JR五能線などで走っていたらしい。乗ったことがあるかもしれない。

 車内はボックスシート。自動音声で日本語、英語、中国語、韓国語の車内アナウンスがエンドレスで流れていて、ちょっとうるさい。たまたま選んだ座席の真上にスピーカーがあるせいでもあるが。

 ワンマン化はされておらず、車掌が乗務している。珍しく男性の車掌である。

 さて、8時01分に五井を発車。キハ200とはまた違ったエンジン音が何とも言えず良い。車内は空いていて、乗っているのはいわゆる乗り鉄撮り鉄が多い。自分もその一派であるが、あえていえば「歩き鉄」か。沿線にも三脚を立てて望遠レンズで列車を狙う人の姿があちこちに見られた。小湊鉄道とは沿線も含めて、この文化財的な鉄道を中心とした昭和レトロのテーマパークのようになっているのだった。実際、小湊鉄道には大正14年の開業時からほとんど変わらない駅舎などの施設が多数あり、それらは文化財に登録されている。今どき、こんな鉄道は日本中探しても、ほかに見当たらない。それが首都圏にあるのだからありがたい。

 内房線から分かれて、すぐに田園風景が広がり、さて今日はまずどの駅で降りようか、と考える。もともと何か用事があって小湊鉄道に乗っているわけではないので、目的地も何もない。どの駅で降りても、それなりに面白そうではあるので、どこかで降りて、次の列車が来るまでに隣の駅まで歩く、というのがいつものパターンである。

 上総村上駅

 海士有木駅

 手書きの駅名標。すべてが昔のまま。でも、駅は無人化され、昔の賑わいだけがない。

 途中で畦道を歩くキジを見つけたりして、とりあえず、終点の上総牛久まで乗り通した。8時29分着。

 昔の貨物引き込み線にキハ200形が1両留置されている。

 キハ202。14両のうちの第一世代で、1961年生まれの61歳。キハ40の導入で、廃車となったようだ。

 ピカピカのキハ40-3とは対照的に塗装が剥げて、かなり痛々しい姿。

 次の列車は9時21分発。時間があるので、次の上総川間まで歩く。これは毎度のパターンだ。もう一駅、上総鶴舞まで行けるかな、と考えながら、歩き出す。電線でカワラヒワがさえずっている。

 上総牛久はよく夏の猛暑のニュースで「市原市牛久」として耳にする地名だが、小湊鉄道沿線では最も大きな町で、街道沿いにはお店もいろいろある。朝食がまだなので、コンビニで何か買おうかと思ったら、マクドナルドがあったので、そこで朝食にする。店内にお客の姿が見えないので、もう営業時間であることを確かめてから入る。マクドナルドでお客が自分だけという状況は初めてだ。途中でテイクアウトの客が2名来たけれど。

 ということで、時間の都合上、上総鶴舞まで歩くのは諦め、隣の上総川間まで徒歩で一駅。ホトトギスの声を聞きながら丘陵を越えると、緑の田園にぽつんと浮かぶ孤島のような駅が見えてきた。

 踏切注意の標識に「おや?」と思う。昔は踏切の標識といえば、煙を吐いて走る汽車の図柄だったが、今は電車の図柄が多くなっている。でも、この標識の絵には電車であることを示すパンタグラフがない。小湊鉄道は非電化で、走っているのはディーゼルカーであるから、電車の絵はおかしい、などと文句をつけた人でもいたのだろうか。僕も非電化路線に電車の標識というのは多少引っかかるところはあるにせよ、世の中、ディーゼルカーを電車と呼ぶ人はたくさんいるし、まぁ、目くじらを立てるほどのことではないと思ってはいた。しかるに、ここではディーゼルカーの図柄だ。これは貴重なのかもしれないと、一応写真に撮っておく。小湊鉄道の踏切は全部そうなのだろうか。

 その踏切が鳴り出した。この時間にやってくるのは五井行きの列車だ。

 現れたのは、またもやキハ40で、今度は塗色が違う2両連結。只見線から来たコンビで、先頭のキハ40-1(旧キハ40-2021)は小湊カラーのクリーム色と朱色に塗られ、キハ40-2(旧キハ40-2026)は只見線時代のままの塗装だ。


只見線のキハ40系。2004年8月、小出駅にて)

 上総川間。

 単線に片側ホームだけの小さくて何もない駅。

 何もないが、何かはいる。ホームの植え込みにアマガエル。8匹確認。

 いつの間にか、こんなものが作られていた。たくさんのスーツケースがコンクリートの中に塗り込められている。一種のアートなのだろう。

 10分ほど待つと、9時24分発の上総中野行きが来た。今度はキハ200形だ。

 キハ201とキハ214のコンビ。同形式ながら、1961年生まれと1977年生まれ。

 車内は先ほどの列車よりはるかに混んでいた。外国人の姿もある。五井発が8時52分と時間もちょうどよく、しかも終点まで行く最初の列車なので、みんなこの列車を選んだのだろう。

 僕も終点まで行くつもりで、この列車に乗り込んだが、途中で気が変わった。

 

 つづく。