天竜浜名湖鉄道

 8月19日、名古屋から中央西線中央東線を回って東京に戻るという計画を立てて出発したにもかかわらず、途中で気が変わって、愛知県の大府(おおぶ)駅を起点とするローカル線、武豊線を往復し、再び東海道本線を引き返し、静岡県湖西市新所原駅で下車。ここから浜名湖の北側を通って掛川に通じる天竜浜名湖鉄道に乗る。

 天竜浜名湖鉄道(通称:天浜線)は旧国鉄二俣線で、昭和十年から建設が始まり、掛川新所原の両駅から路線を伸ばして、昭和十五年に全線が開通している。これは浜名湖付近で海岸近くを通る東海道本線が敵軍の攻撃で不通となった場合のバイパスとしての軍事的要請もあっての建設で、実際に米軍の艦砲射撃で東海道線が不通となり、二俣線がバイパスとして利用されたことがあったそうだ。

 昭和六十二年に国鉄から静岡県や沿線自治体などが出資する第三セクターに転換し、天竜浜名湖鉄道として再出発して、現在に至っている。全線67.7キロの非電化路線である。

国鉄時代のキハ20を思わせるカラーの気動車。その向こうに東海道線の車窓で気になった露岩がそびえている。「立岩」というらしい)

 さて、新所原では6分の待ち合わせで14時23分発の掛川行きがある。券売機で掛川までの切符を買う。1,470円。新所原から掛川まで東海道線なら990円で1時間もかからないが、天浜線だと運賃は約1.5倍、所要時間は2倍以上かかる。つまり、新所原から掛川へ行く人が天浜線を利用することは常識的にはありえない。改札で駅員に何か言わるかと思ったが、普通に改札印を捺された。こういう普通ではない客に慣れているのだろう。ただ「掛川まで途中で降りませんね?」とだけ確認された。この切符では途中下車できないし、途中下車するならフリー乗車券を買ったほうが割安なのだろう。今回はずっと乗りっぱなしである。とにかく、連日の猛暑のせいで、今日はひたすら冷房の効いた列車に揺られる旅なのだ。

 駅では鰻弁当を売っていて、食指が動きかけたが、さっき大府駅で買ったおにぎりを食べてしまったので、買わない。

 1両だけのディーゼルカーは両端部がロングシートで、中央部がボックスシート。観光客や地元客でそれなりに席は埋まっていた。ロングシートに座る。

 列車は東海道本線から左に分かれて、夏の緑の中を進む。

 次のアスモ前駅ではドアが開くとトンボが車内に入ってきて、Uターンして出て行こうとした寸前にドアが閉まった。閉じ込められたトンボは最初は窓ガラスに何度もぶつかりながら、バタバタしていたが、そのうちおとなしくなった。

 車内の花や虫のイラストと本物のトンボ。トンボは最終的に見失ってしまったが、たぶん終点まで「乗車」したのでないか。

 しばらくはのどかな田園地帯を走るが、三つ目の知波田あたりから右車窓に浜名湖がちらちらと見えるようになる。浜名湖は海と繋がった汽水湖だが、いくつもの湾や入り江に分かれていて、最初に見えたのは松見ヶ浦。東海道線から見るのとは趣が異なる眺め。湖面に浮かぶ養殖筏はカキだろうか。

 トンネルを抜けると、現在は浜松市編入された旧三ケ日町に入る。ミカン畑が目立ってくるが、今はミカンはまだ葉っぱと同じ色で目立たない。

 浜名湖と狭い瀬戸で区切られた猪鼻湖を見ながら列車は走り、三ヶ日に到着。ここで新所原行きと行き違い。国鉄時代の雰囲気を残す構内で、昔はここから名産のミカンが列車で各地へ送り出されたのだろうか、と想像する。

 浜名湖佐久米駅は名前の通り、浜名湖の岸辺にある駅。ただし、湖に橋脚を立てて東名高速道路が通っているので、眺めはよくない。

 冬にはこの駅周辺をユリカモメが群れ飛ぶらしい。いかにも温暖そうな土地柄で、冬にも訪れてみたいと思う。

 列車は短いトンネルをくぐっては湖を望み、駅に停まる。

 線路の上に覆いかぶさるように樹木が茂り、緑のトンネルになっている区間も多い。

 寸座からは浜名湖北西部の引佐細江と呼ばれる浦に沿って走る。

 浜名湖が見えるのは気賀あたりまでで、あとは茶畑や田んぼが広がる里山の風景を見ながら走る。

 金指駅で2度目の列車交換。湘南電車を思わせる塗装の列車と行き違う。

 ところで、途中で気がついたのだが、この鉄道は二俣線として開業した当時から残る各駅の駅舎やホーム、その他の施設の多くが国の有形文化財に登録されている。金指駅でも駅上屋及びプラットホーム、高架貯水槽が登録されている。列車内のラックにあった沿線ガイドによれば、全線で30の物件が国登録有形文化財となっているようだ。

 小湊鐡道でも駅舎や鉄橋、トンネルなどの施設が登録文化財になっているが、ほかにも各地の老舗の店舗や旅館の建物などでよく見かける。この国登録有形文化財は1996年に始まった制度で、国指定文化財に比べるとランクは低いが、貴重なものなので、みんなで大切に守っていきましょう、というような建造から50年以上経つ物件が登録される。指定文化財は国が財政的にも手厚く保護してくれるが、登録文化財は財政支援は限られている反面、釘一本自由に打てない指定文化財に比べると、ある程度の改装や修繕はできるので、現役で利用している店舗や施設を保存していく上では有効である。また、文化財登録することで、観光価値を高める点でも、この制度を積極的に利用する動きが出ているのだろう。

 

 浜松からまっすぐ北上してくる遠州鉄道と接続する西鹿島を出て、天竜川を渡ると、二俣本町。この辺りは徳川家ゆかりの史跡も多いらしい。

 次がこの鉄道の本社もある中核駅、天竜二俣国鉄時代の駅名は遠江二俣だった。到着寸前、旧国鉄のキハ20と20系寝台車が留置されているのが見えた。15時34分に着いて10分停車。降りる人も多いが、乗ってくる人も多い。

 ここで3度目の列車交換。NHK大河ドラマとタイアップしたラッピング車両だった。

 この駅も文化財だらけで、駅本屋、上り下りの各上屋とプラットホームのほか、機関車の転車台や扇形機関庫、さらに運転区の高架貯水槽、揚水機室、事務室、休憩所、浴場が文化財登録されていて、転車台や機関庫の見学ツアーも実施されているらしい。

 沿線の景色もいいし、史跡も多いし、天竜浜名湖鉄道をじっくりと時間をかけて旅してみたいと思った。

 天竜二俣の発車は15時44分。茶畑や田んぼののどかな風景の中を行き、あまりにのどか過ぎて、少し退屈にもなってくる。

 森の石松の出身地とされる遠州森で4度目の列車交換、桜木でも新所原行きと行き違い、終点の掛川には16時32分に着いた。新所原から2時間9分の旅だった。

 

 掛川からは16時37分発の熱海行き(浜松始発)があり、熱海には18時43分着。

 熱海からは18時55分に宇都宮行きがある。ここからJR東日本で、いきなり15両編成なので、ガラガラだった。19時18分着の小田原で下車。ここで夕食をとって、小田急で帰ろうかと思ったが、小田急の急行より先に小田原始発の湘南新宿ラインの電車が19時44分に出るので、これに乗る。新宿到着予定は21時08分。今朝は4時起きなので、眠くなってきたが、寝るわけにはいかない。この電車は新宿経由の高崎行きなのだ。目が覚めたら群馬県にいた、なんてことにもなりかねない。

 読みかけの本を取り出して、眠らずに過し、無事に新宿で下車。小田急で帰る。

 先日のひたちなか海浜鉄道の旅では3万歩以上歩いてしまったが、今日は7,227歩。

 

 普通の人からすれば、この人は愛知県まで一体何をしに行ったのか、と思われるような旅だった。