旧甲州街道

 朝6時37分に山梨県東部を震源とするM4.8の地震が発生。大月市震度5弱の揺れを観測。東京は震度3。

 当ブログで11月23日に高尾山から小仏峠にかけて山歩きをした話を書いていて、フィリピン海プレートが大陸プレートの下に潜り込み、南の海からやってきた火山島の丹沢山地伊豆半島が相次いで本州に衝突したという話にも触れたが、今朝の地震はまさにそのプレートの境界での地震だった。震源の深さは19キロということだから、大月付近ではそのぐらいの深さで二つのプレートが接しているということなのだろう。北西ー南東方向に圧力軸をもつ逆断層型の地震ということだ。富士山も同じ圧力を受けているので、山頂を中心に北西ー南東方向に噴火口が並んでいる。

 さて、その山歩きの話の最終回。高尾山に登り、小仏城山、小仏峠まで尾根道を歩き、旧甲州街道を下ってきたところから。

 舗装道路となった旧街道を東へ歩くと、まもなく左から景信山登山道が合流し、すぐに小仏トンネルから中央自動車道が顔を出す。山の中で人家もないせいか、防音対策も不十分で、車の音がうるさい。

 ヘアピンカーブを二つ曲がって、沢沿いの道を下っていくと、右手に小佛山寶珠寺がある。15世紀に創建されたという臨済宗南禅寺派の寺で、東京都指定天然記念物のカゴノキがあるそうだ。

 苔むした石仏群が並ぶ石段を登っていくと、途中左上にカゴノキがそびえていた。

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 カゴノキという植物は初めて知ったが、クスノキ科の常緑高木で、カゴノキとは樹肌に鹿の子模様があるので、鹿子の木だそうだ。

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 本堂の奥の不動堂も拝んで、寺をあとにする。

 寺のすぐ下で二つの沢が合流し、そこに南浅川の上流端と書かれた標識がある。渓流には小仏層群の地層が露出している。

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 まもなく小仏バス停。高尾駅行きが2台、高尾山口駅行きが1台、発車を待っていて、車内には登山客の姿がちらほら見える。座席にはまだ余裕がありそうだ。しかし、ここでバスに乗ってしまうのはつまらない。もう少し歩きたい。高尾駅まで歩いても5、6キロだろう。ということで、バス停は素通り。

 まもなく、左手のお宅に「明治天皇御小休所跡」と彫られた自然石の碑があった。昔、ここは小仏宿で、旅籠があったらしい。明治13年の山梨巡幸の時、天皇はここまで馬車で来て、この先の険しい峠道は板輿で越えたということだ。

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 碑の写真を撮っていると小仏を発車したバスが走り過ぎていった。

 さらに行くと、右手に中央本線の線路。ちょうど小仏峠の下を貫く小仏トンネルから出てきたところだ。すぐにトンネルを抜けてきた新宿行きの特急が通過していき、続いてこれからトンネルに向かう普通列車がやってきた。

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 小仏トンネルは現在上り線用となっているのが明治34年開通で長さ2,574メートル、下り線用の新小仏トンネルはこの区間が複線化された昭和39年開通で2,594メートルである。

 鉄道と高速道路に挟まれた旧街道を行く。このあたりが昔の小仏宿だろう。人家があるから中央道にも防音壁が設置されていて、騒音もさほど気にはならなくなったが、景観を著しく破壊しているのは確かである。

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 南浅川。

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 やがて道は中央本線のレンガ造りの橋の下をくぐる。

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 ずっと渓流沿い。何やら魚がいる。ニジマスか?

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 小仏城山から下ってきた日影沢林道と合流し、日影のバス停を過ぎると、右手に浅川国際マス釣場がある。何が国際なのかは不明。

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 釣り人に交じってダイサギもじっと水面を見つめている。

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 だんだん人家が増えて、摺差(するさし)という集落にさしかかる。ちょうど高尾山の裏側で、山上に展望台らしき建物が見える。

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 摺差には峰尾豆腐店というのがあり、けっこう知られた店らしい。観光客がおからドーナツを買っている。僕も買おうかなと思ったが、そのまま通り過ぎる。あとで知ったことだが、城山茶屋のなめこ汁の豆腐もこの店のものだそうだ。

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 前方には高速道路の目障りすぎるほどの巨大ジャンクションがある。この場所で中央道と交差する圏央道がここから高尾山の真下をトンネルでぶち抜いているのだ。高尾山の貴重な自然が破壊されると反対運動が巻き起こったが、すでに道路は完成している。

 霊場・高尾山の水行場である蛇滝を通る登山道が右へ入っていく。その分岐点に「高尾山道」の碑がある。

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 高尾山トンネルの影響で山中の地下水脈にも影響が出始めているという。蛇滝や琵琶滝もいずれ枯渇なんてことになるかもしれない。罰当たりなトンネルだが、いずれ人類が滅びれば、トンネルも崩落し、高尾山の地質の一部となるのだろう。

 圏央道の高架をくぐると、まもなく「湯の花トンネル列車銃撃空襲供養塔」というのがあり、街道から逸れて行ってみた。

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 昭和20年8月5日、新宿発長野行き419列車が湯の花(猪の鼻)トンネルに差し掛かった時、米軍戦闘機の機銃掃射を受け、警視庁の調べで52名(実際は60名以上)が犠牲となり、133名が重軽傷を負うという悲惨な出来事があったのだそうだ。その5年後に建立された供養塔と平成4年に建てられた慰霊碑が線路際にひっそりとあった。

f:id:peepooblue:20211203233738j:plain(現在は上り線として使われている湯の花トンネル)

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 荒井バス停のそばに地蔵尊庚申塔などが並び、古道らしい風情を感じる。

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 ずっと下り基調だった道が上りに転じると、そこに「甲州街道念珠坂」の石碑があり、ほかに石仏、石塔が並んでいる。

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 念珠坂を過ぎると、道は平坦になり、駒木野宿。

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 駒木野には小仏の関所もあった。戦国時代、小仏峠に設けられた関所を戦国末期にこの地に移したのだという。関所破りは磔刑と定められ、付近には処刑された人を埋葬した首塚もあるという。

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 駒木野宿跡を過ぎると、再び下りになり、道はだんだん山里から町の雰囲気に変わってきて、現在の甲州街道国道20号線)に合流。

 まもなく、中央本線をくぐる。小仏トンネルや湯の花トンネルでは旧線が上り線用となっていたが、この架道橋の橋台は下り線側が古そうに見える。

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 この中央本線の下で甲州街道は両界橋で南浅川を渡る。ここから上流側を眺めると、渓流が岩の間を流れ、古くから「小淵」と呼ばれ景勝地として知られていたらしい。

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 露出している岩は砂岩であるようだ。

 橋の北側に石仏がひっそりとある。

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 中央本線をくぐるレンガ造りのトンネル。

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 16時半ごろ、高尾駅に着いた。ずいぶん歩いた。

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