2月23日、小田急線の黒川(川崎市麻生区)から多摩丘陵に残る古道「布田道」を歩いて、町田市の古い宿場町、小野路までやってきた。
午後は小野路周辺の里山を散策。
まずは小野神社前から南西に伸びる旧大山道(小田原道)の旧道にある一里塚。徳川家康の御尊櫃が通る際に御成道整備で築かれたものだ。榎が植えられているが、これは何代目かの木だろう。
この道を通って家康の亡骸は日光へと運ばれていった。
次は小野神社の西方の山裾にある万松寺へ。
地蔵尊や供養塔など石仏、石塔が並んでいる。「六地蔵」ということになっているが、7体ある。
これも六地蔵。六角柱の各面に一体ずつお地蔵さまが彫られている。
小野山万松寺。臨済宗建長寺派の禅寺で、創建は鎌倉末期の元徳二(1330)年。本尊は薬師如来。
昭和20年5月25日に米軍機の焼夷弾攻撃を受けて焼失し、仏典仏具などすべてを失ったが、品川区の鈴ヶ森国民学校から集団疎開してきていた児童らは皆、無事に避難したそうだ。都会からの疎開先に選ばれるほどの田舎だったが、それでも空襲を受けたということだ。近くに軍事的な何かがあったのだろうか?
本堂の賽銭箱の横に抽斗があり、その中に御朱印などが入っていて、代金を賽銭箱に納めるようになっている。御朱印は百円。当然ながら日付は入っていない。
万松寺の後は小野路宿の西側の山に分け入る。
山の上に小さな牧場があった。
山の上からは横浜のビル群が見える。それがなんだか奇妙に思える。小野路を歩いていると、ここも東京都内なのに、自分が東京から遠く離れた知らない土地にいるような錯覚に陥る。この不思議な感覚は布田道を歩いてきたことの心理的効果でもあるのだろう。
同じように散策を楽しむ人が多くはないが、それなりにいる。
小野路城址。西隣の小山田荘を本領とした桓武平氏の流れをくむ小山田氏が小山田城の支城として平安末期に築いたのが始まりだという。小野路を重要な街道が通っていたことから、監視のための城だったようだ。
文明八(1476)年に関東管領上杉氏に対して家臣の長尾景春が反乱を起こすと、小山田城とともに上杉方の拠点となったが、翌年、小山田城が長尾勢に攻略されるのと同時に小野路城も陥落したと考えられるとのこと。
この一帯は「東京における自然の保護と回復に関する条例」により「図師小野路歴史環境保全地域」に指定されている。図師は小野路の南西に隣接する町である。自然の保護だけでなく、回復にも力を入れてもらいたいものである。
とにかく、山道は霜が解けてぐちゃぐちゃになっていて、滑るので歩きにくい。早く山から抜け出したいのだが、いま自分がどこにいるのかさっぱりわからなくなってきた。まぁ、遭難することはないので、面白かったけれど・・・。
冬でも緑が美しい竹林。竹はタケノコを採るだけでなく、さまざまな日用品を作る素材として里山の生活に欠かせないもので、竹林は大切に守られてきた。
ようやく山から下りてきた。小野路の反対側だ。ここに奈良杯谷戸というのがある。
谷戸の奥へまた入っていく。
ジョウビタキ♀。糞で汚れているから、お気に入りの場所なのだろう。
ダイサギ。
ほかにモズ、アオジ、ウグイスなど。
炭焼き小屋。
谷戸のあちこちに湧き水があり、それが水田を潤し、池やヨシ原となり、多様な自然を作り出している。
こういう場所は暖かくなれば、マムシにも注意しなければならない。
でも、緑の季節にもまた来てみたい。