町田市成瀬の天狗道祖神を訪ねる

 町田市成瀬にあるという天狗道祖神を見に行く。しかも、成瀬に3体あるというのだ。

 道祖神というと、最近、長野県の安曇野や神奈川県の藤沢市茅ヶ崎市などで見た男女二神の双体像がまず思い浮かぶが、天狗というのは珍しい。成瀬という土地に限って、なぜ天狗を主尊とする道祖神が祀られているのかはよく分からないが、修験関係の人物がいて、その影響下で、ということなのだろう。とにかく、実際に拝みに行ってみた。

 町田から横浜線で一つ目の成瀬駅で下車。成瀬中央通りを東へ歩き、町田市立総合体育館のそばに架かる成瀬中央橋で恩田川に出る。その右岸を下流へ向かって歩くと、成瀬クリーンセンター(下水処理場)があり、その南側に回り込むと、石仏・石塔が集められた一角がある。

 手前に馬頭観音が並び、奥に地神塔と道祖神が並んでいる。

 翼があり、右手に葉団扇、左手に錫杖をもつ天狗(烏天狗)が浮き彫りにされ、「奉建立 道祖神 武州成瀬 東光寺村 惣氏子」と刻まれている。

 説明板によれば、成瀬の中村に薬師堂があり、そこを拠点とする修験者たちが祈祷を業としながら造塔信仰を広めたといい、住民と修験者の深い関わりの中から天狗童子像を主尊とする道祖神が村の守り神として建立されたと考えられるとのこと。
 隣にある地神塔は東京都内では町田市域に際立って多く、幕末の1800年代に集中的に建立されたが、その信仰を広めたのも原町田を拠点とする修験者であったという。

 地神塔の前には中央に穴が開き、亀裂の入った饅頭形の石が置かれ、これが「地神様の本尊石」だという。毎年小正月(1月14日)の「だんご焼き」(どんど焼き、せいと焼きなどともいう)の際にこの石を火の中に置き、この火で焼いた団子を食べると、風邪を引かないなど一年間元気に過ごせるという御利益があり、行事が終わると、また地神塔のそばに安置して来年の小正月まで御利益を蓄えるのだそうだ。正月の門松やしめ飾りなどを村人が持ち寄って燃やす行事は道祖神の祭りとも言われ、道祖神信仰と地神信仰と修験道が互いに結びついているのが分かる。

 なお、東光寺村というのは、旧成瀬村に存在した字名で、かつて近くに東光寺という寺があったことに由来すると考えられるが、江戸後期の『新編武蔵風土記稿』が書かれた時点ですでに寺は存在せず、どこにあったかも分からないという状況であった。

 

 さて、この天狗道祖神の向かい側には地蔵尊も祀られている。

 台石には一猿(聞かざる)が彫刻され、「奉供養念佛庚申」「為二世安楽」とあるから、この地蔵尊庚申塔の主尊であるようだ。「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿の中では「聞かざる」がセンターであることが多いらしいというのが先日、藤沢から茅ヶ崎にかけて石仏を見て歩いた時の発見であったが、ここではセンターの「聞かざる」がソロ活動をしているわけだ。

 次に向かうのは恩田川を渡って、成瀬街道の山村バス停付近の稲荷神社境内にあるという天狗像。非常に分かりにくいところにあるらしい。今回参考にしたのは庚申懇話会『石仏を歩く』JTBキャンブックス、1994年)であるが、こう書いてある。
「稲荷社は、街道を北に入った、分かりにくい所にある。『山村』のバス停を過ぎて右折する」

 しかし、それらしい道に入っても神社は全く見当たらない。ネットで調べても、誰もが分かりにくい場所にあると書いていて、それ以上詳しくは書かれていない。発見できずに諦めたという人もいる。僕もその一帯を歩き回って、それでも、なかなかたどり着けず、一度は諦めかけたが、最終的には発見できた。

 

 

 山村バス停から北へ入ると、道は細くなって坂を上がっていくが、そちらへは行かず、右手の住宅と住宅の間の細道を上がると民家の裏に小さな神社が隠れていた。最初はその細道の存在に気づかず、下の写真の正面の坂道を二度も登っては、坂の上でウロウロし、付近を一巡してまた成瀬街道に戻り、三度目にようやくたどり着けた次第。

(白い車の奥のフェンス沿いの細道を右に上がると、すぐ砂利道になって神社前に出る)

 社殿の左隣に天狗像。そばに五輪塔の一部などが置かれている。

 「奉造立登神」と刻まれているように見えるが、「登」は「祭」の誤記とされるようだ。「祭神」はサイノカミ(塞ノ神)のことで、道祖神と同一視される。「武州多摩郡成瀬山之根村」とあるが、山之根はこの地域の字名で、稲荷社も山之根稲荷というようだ。元文二(1737)年の造立。

 

 最後は山村から恩田川を渡った対岸の川を見下ろす高台に位置する西山児童公園内にある天狗像。日の当たらない片隅に近隣から集められたと思しき石仏・石塔群が並べられ、その中に天狗がいた。ここでも隣に地神塔。

 真っ二つに折れたのを修復した痕が痛々しいが、上部中央に「奉」、右に「造立」、左に「祭神」と彫られていて、これもサイノカミである。「武州多摩郡成瀬村」の人々が享保十四年正月吉日に建立したものだと分かる。1729年である。

 台石には氏子7名の名前が刻まれ、木目田姓5人、中里姓2人である。付近を探せば、これらの姓の旧家が見つかるのだろう。

 隣に道祖神と刻まれた文字碑もある。

 とにかく、これで成瀬の天狗像3体をすべて見た。ほかにもいろいろな石仏を見たが、それはまた改めて・・・。