磐越東線

 9月3日(日)に「青春18きっぷ」を使って福島県まで行ってきた話の続き。水戸から水郡線郡山駅に着いたところから。

 12時33分に郡山に着き、磐越東線に乗り換える。次の列車は13時24分で時間がある。どこかで昼食をとろうか、と改札を出てみたが、新幹線停車駅というのはどこも同じで、まるで面白みのない駅前風景。結局、駅の売店で駅弁を買い、磐越東線のホームへ。

 まだ列車は入線していないが、行列ができている。弁当の袋をぶら下げたまま、僕も並ぶ。水郡線車内でも見かけた顔がちらほら。同じことを考える人が少なくないようだ。

 磐越東線の車両は水郡線より一世代前のキハ110系のようだ。

 やがて2両編成のディーゼルカーが入線してきて、ロングシートの席を確保して、さっそく駅弁を開ける。郡山は会津ではないが、会津の弁当だ。

 掛け紙に「おしながき」が書いてある。白米(会津コシヒカリ)、会津地鶏そぼろ、会津地鶏玉子そぼろ、会津地鶏だし巻玉子、にしん天ぷら、いか天ぷら、ぜんまい煮、どっさりきのこ煮、アスパラ焼き、花人参煮。これで1,100円。最近は駅弁というと非日常の食べ物になり、千円以上が当たり前になった。

 さて、弁当を食べ終わる頃には立ち客が出るほどの混み具合となり、13時24分に発車。北へ向かって動き出した列車は東北本線から分かれて右へカーブ。タンク車が並ぶ日本オイルターミナルの施設を右に見て、水郡線と似たような風景の中を行く。

 水郡線阿武隈山地の縁に沿って走る路線だが、磐越東線は山地を横切って太平洋側(浜通り)のいわき市へ通じる85.6キロの路線である。

 相変わらず天気は良く、窓越しに照りつける陽射しで背中が暑い。隣の人も暑そうなので、カーテンを閉める。列車がカーブすると、向かい側の窓から陽が射し込んで、そちらのカーテンも閉められてしまう。これでは景色が楽しめないが、仕方がない。でも、一体何のために乗っているのか分からなくなってくる。わずかにカーテンを開けたままの窓から外の風景を覗き見るしかない。

 二つ目の三春で郡山行きと行き違い。枝垂桜の古木「滝桜」で有名な城下町で、三春の地名は梅、桃、桜が同時に咲くことにちなむという。東北地方の春の旅というと、雪の降りしきる青森駅を深夜に発車する急行「八甲田」が仙台あたりで夜明けを迎え、宮城、福島と南下するにつれて梅が咲き始め、関東に入ると桜が咲きだし、東京が近づくにつれ満開になっていったのを思い出す。

 やがて、反対側(進行方向左側)の車窓に白っぽい岩が剝き出しになった山が見えてくる。入水鍾乳洞の看板が見えるので、あの白い岩肌は石灰岩だと分かる。近くにはより有名な「あぶくま洞」もある。

 東北地方の中央を南北に走り、多くの活火山が連なる奥羽山脈はせいぜい数百万年の歴史しかない比較的若い山脈だが、阿武隈山地はそれよりはるかに古い。

 恐竜が生息していたジュラ紀から白亜紀にかけて、あるいはさらに古い古生代に海底で堆積した砂岩や泥岩、石灰岩などの地層が地中深くの高温や高圧による変成作用を受けて生じた変成岩類と1億年ほど前の白亜紀に地球の内部から上昇してきたマグマが貫入し、それがゆっくりと冷えて固まった花崗岩類が阿武隈山地の地質を構成している。

その後、阿武隈山地は隆起して、まだ日本列島が誕生する前から陸地となっていたが、気が遠くなるほど長い年月の間に侵食を受け、地質の堅い部分だけが残り、全体としてなだらかな地形となっている。そのため、最近は阿武隈山地ではなく阿武隈高地という呼称が主流になっているようだ。

 とにかく、そうした阿武隈山地の中で局所的に石灰岩の地層が残り、そこに鍾乳洞が存在しているわけだ。立ち寄りたいが、今日は素通りである。

 小野新町で2度目の列車行き違いがあり、次は夏井。いつしか阿武隈川水系から夏井川水系に変わり、いわき市へ流れ下る夏井川の渓谷沿いになる。少しは車窓の景色を楽しみたいので、ここから席を立つことにする。

 14時20分に夏井を出ると、トンネルが多くなり、列車は下り勾配を軽快に下っていくが、線路際の草木が車体や窓に当たって、バチバチとすごい音がする。渓谷の眺めは美しいが、列車はそれを長くは見せてくれない。従って、渓谷の写真も撮れない。

 小野新町から夏井、川前、江田、小川郷と続く区間は途中3駅しかないのに30キロもあり、磐越東線の中でも列車本数が1日6往復と最も少ない閑散区間である。かつては江田駅がなかったので、川前~小川郷間は16キロも駅がなかった。いつのまにか江田駅が開設されていたのを僕は今まで知らなかった。

 緑をかき分けるように走る列車の車窓にだいぶ人家が増えて、小川郷には14時48分着。

 夏井川も峡谷を抜け、開けた田園地帯を流れるようになる。列車が巻き起こす風に線路際のススキが揺れる。

 赤井を出ると、次は終点いわき。

 まもなく常磐線の線路が現れる。

 いわき駅の手前で最後のトンネルをくぐる。磐越東線は単線、常磐線は複線トンネルだが、昔は常磐線も単線トンネルを通っており、複線化の時に新トンネルを掘ったようだ。

 15時ちょうどにいわき到着。15時07分発の常磐線水戸行きが待っている。これに乗れば東京まで4時間ほどで帰れる。

 

 常磐線の車窓からの太平洋。

(追記)常磐線というと茨城県の取手~藤代間で電化方式が直流1500ボルトから交流20000ボルトに切り替わる。異なる電流が流れる架線をはさんでデッドセクション(死電区間)という電流が流れない区間が設けられ、ここを電車は動力なしに惰行で通過する。昔は夜間でもこの区間を通過する時、電車の車内灯が消えて真っ暗になったものだが、最近の新しい電車は補助電源のおかげで消灯はしない。たぶん十秒かそこらだったと思うが、あの真っ暗になるのがちょっと好きだった。今は消灯はしないが、エアコンは止まるので、エアコンの音が消えたことで、「あ、いまデッドセクションに入ったな」と分かる。通過すると、またエアコンが入る。