地底駅とループ線(その3)

 上越線湯檜曽、土合の両駅を訪ねる旅の話の続き。

 土合駅から再び電車に乗って、上越国境を越え、新潟県まで足を伸ばそう。

 川端康成が小説『雪国』を書くきっかけとなった越後湯沢逗留の際はまだ上越線は単線で、新清水トンネルは開通していなかったから、土合駅も普通の山間の駅だった。調べてみると、1931年に水上~越後湯沢間が開通した時に土合は信号場として開設され、翌年12月からスキーシーズンのみ旅客扱いが始まり、正式な駅に昇格したのは1936年12月のことだから、川端が『雪国』を書き始めた頃の土合はまだ信号場で、それでも雪の季節には列車が停車していたと思われる。とにかく、列車は土合を出て、すぐに「国境の長いトンネル」である清水トンネル(9,702m)に入り、これを抜けると「雪国」だったわけである。もっとも、トンネルの上州側も関東有数の豪雪地域ではあるけれど・・・。

 ちなみに当時非電化だった上越線で最後に水上~越後湯沢間が開通した時に水上から越後湯沢の次の石打までが電化され、この区間だけ蒸気機関車ではなく、電気機関車が列車を牽くようになった。長さ10キロ近い狭いトンネルにSLを走らせたら機関士も乗客も煙に巻かれて大変なことになるからである。当然、『雪国』に出てくる「汽車」も上野から水上までは蒸気機関車、水上からは電気機関車が牽いていたのである。

 とにかく、再び地底へ続く長い階段を下る。途中で何枚か写真を撮りながらではあるが、やはり改札からホームまで10分ぐらいかかる。

 改札といっても無人駅だし、券売機もなく、IC乗車券も一切使えない。土合から乗る客は乗車証明書発行機で土合からの乗客であることを示す券を取り、これを提示して車内または到着駅で運賃を支払うシステムである。湯檜曽も同じだった。僕は「青春18きっぷ」を所持しているので、フリーパスである。

 こんなに長い階段は滅多にないが、こんなに人が嬉しそうに上り下りしている階段も珍しい。何人もの小学生が息を切らせながら上ったり下りたりしていて、階段の下で引率らしい男性が「はい、あと一本!」などと言っている。トレーニングか?

 ところで、湯檜曽~土合間は上下線が全く別のルートを通るので、この区間の距離も上下線で全く違うはずだ。運賃の計算はどうなっているのだろうか。

 運賃計算の根拠となる営業キロを見ると、湯檜曽~土合間は6.6キロである。しかし、新清水トンネルの入口から土合駅までは3.9キロで、下り線だと湯檜曽~土合の距離はそれより短いはずだ。つまり、この区間営業キロはループがあって、より長い上り線の距離を採用していることが分かる。運賃は3.9キロなら190円のはずだが、実際は200円である。ちなみに湯檜曽~土合の所要時間は下りが概ね4分なのに対して上りは9分かかる。

 さて、13時49発の長岡行きに乗車。今度の電車は2両編成で、けっこう混んでいて、僕は2両目の最後部に立っていた。土合から新清水トンネルの出口までは9.6キロで、非常に長く感じる。

 そして、ついにトンネルを抜けると、そこはもう新潟県で、電車の窓が一斉に曇る。長いトンネルで冷えた車体に高温多湿の夏の空気が接することで、水滴がつくのだ。水滴は窓の外側なので、内側から拭くことはできない。さすがに運転席の窓は曇らなかった。特殊な工夫がなされているのだろう。

 ちなみに『雪国』でも鏡のように車内を映す夕暮れ時の汽車の窓が印象的に描写されるが、冬は外が寒く、車内が暖かいので、窓の内側に水滴がついている。

 新清水トンネル清水トンネル新潟県側の坑口はほぼ隣り合っていて、すぐに土樽に着く。13時57分着なので、土合から8分かかった。

 土樽駅は『雪国』の冒頭に出てくる「信号所」だったところである。この駅も1931年に土樽信号場として開設され、1933年12月からスキー客の乗降ができるようになり、1941年に正式な駅に昇格している。作品で、この「信号所」に駅長以下複数の駅員が勤務していたことが分かる。ポイントの切り替えなど多くの人手が必要だったのだ。今は当然ながら無人駅である。

 土樽駅を知っている人は少ないかもしれないが、関越自動車道の土樽パーキングエリアは東京でも交通情報などでよく耳にする名前である。

土樽駅。運転席の窓は曇っていない)

 上下線の間に溝があり、冬に流雪溝として使うのだと思うが、流れている水が列車の進行方向と同じである。つまり、ここからは水はすべて日本海に向かって流れるわけだ。この先、上越線に寄り添うように流れるのは信濃川の支流・魚野川である。

 ところで、乗っていて気づいたのだが、駅発車時に車掌が吹き鳴らすホイッスルの音が耳に馴染んだものと違う。高くて鋭い音がする笛である。降雪時でもよく通るように、ということなのだろう。列車の警笛も雪国では高くて鋭い音がする。

 

 土樽を出ると、しばらくは並走していた上下線がまた離れて、上り線はどこかへ行ってしまった。この区間、上り線はまたループしているのだ。通称「松川ループ」と呼ばれる。

(上下線が別々で、単線のような区間を行く)

 地図を見ると分かるが、北から来た上り列車は越後中里を出ると松川ループにさしかかり、時計回りで一周する。ただ、ループした線路が交差する地点ではどちらもトンネルの中なので、湯檜曽ループと違って、ループ線であることに気づきにくい。というか、ほぼ気づかない。

 下り線はループの外側を迂回するように馬蹄形のカーブを描いて、この区間を通り抜けている。 

 面白いのはループ線が時計でいえば11時の位置で下り線と寄り添う区間である。ここで上りと下りの列車がすれ違うのではなく、同じ方向に走るということが起こりうるわけだ。今はそういうことはないようだが、新幹線開通以前は列車本数が多く、この区間で列車がすれ違うこともあったらしい。ただ、地図上では線路が寄り添って見えるものの、実際には上り線の方が高い位置にあり、しかも、樹林に視界が遮られて、お互いの線路は見えないらしいけれど。

 そして、このループの円の真ん中の地下を上越新幹線は長大なトンネルで貫いている。在来線だといろいろと面白いが、新幹線だとひたすらトンネルの闇で、何の面白みもない区間である。ただ、冬に乗ると、カラカラに乾いた関東平野から長大なトンネルが連続する暗闇を一気に駆け抜け、いきなり豪雪地帯に飛び出すのはかなり劇的ではある。

(越後中里の手前で再び上下線が出合う。直進の上り線は松川ループへ。上は関越道)

 越後中里からはスキー場のある駅が続く。山間にホテルやリゾートマンションが林立する独特の景観だが、夏だからひっそりとしている。

 中里のスキー場には緑のゲレンデに古い客車が15両ほど並んでいた。休憩所として利用されているらしい。

 山が大々的に開発されたスキー場だらけの風景の中、杉林に囲まれた田んぼに目を和ませつつ、14時13分、越後湯沢に到着。新幹線の停車駅というのは大体味気ないものだし、もう少し先まで行ってもいいかな、と思ったが、ここで下車。

 温泉地らしく、駅前には足湯があったが、靴下を脱ぐのも面倒なので、足を浸けるのはやめ、駅ビルの新潟県の物産を扱うお店の中を一巡しただけで、15時08分発の水上行きに乗る。あとは帰るだけだが、上り線にはふたつのループがある。雨が降り出した。

 松川ループは右へ右へとカーブしているのは何となく分かったが、ほとんどトンネルばかりで、どこからどこまでがループ線なのか分からなかった。

 清水トンネルを抜けて、相変わらず観光客の多い土合の地上ホームに停車し、この先が湯檜曽ループである。雨は何時しか止んでいる。

 トンネルを二つ抜け、湯檜曽川の谷が右手に開けると、線路左側に昔の湯檜曽駅のホーム跡が草に埋もれていた。

 そして、まもなく眼下にこれから走る線路と湯檜曽駅が見え、それが見えなくなると列車はまたトンネルに入る。左へ左へとカーブして、一度、外に出て再びトンネルへ。

 このトンネルを抜けると午前中に見た湯檜曽川の鉄橋を渡り、土合から9分で湯檜曽駅に停車。

 湯檜曽を出れば、すぐ新清水トンネルの坑口が見えて下り線と一緒になって、そのまま水上へ。

 水上には15時48分着。5分後に高崎行きがあり、高崎からは八高線経由で拝島から青梅線、立川から南武線と乗り継ぎ、登戸から小田急で帰る。21時半頃、帰宅。

高麗川駅に着いた八高線ディーゼルカー・キハ110-222)

 

(おまけ)過去の上越線方面の旅の記録

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