ウォーキング

嘉陵紀行「羽沢氷川・渋谷八幡・伊勢野 道の枝折」を辿る(前編)

江戸の侍・村尾正靖(嘉陵)の江戸近郊日帰り旅の道筋を辿るシリーズ。しつこく続くが、まだまだ続く予定である。こうして東京都内の知らない町を歩いていると、いろいろな発見があって、もちろん大した発見ではないが、実に面白い。 今回は麻布から渋谷にか…

嘉陵紀行「半田いなり詣の記」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾嘉陵が江戸の浜町の自宅から今の葛飾区東金町にある半田稲荷に参詣した日帰り旅の道筋を辿る話のつづき。 peepooblue.hatenablog.com peepooblue.hatenablog.com 飯塚村(今の葛飾区西水元)にあった夕顔観音堂を訪れた後、嘉陵は地元の人に教…

嘉陵紀行「半田いなり詣の記」を辿る(その2)

江戸の侍・村尾正靖(1760-1841、号は嘉陵)が文化十四年六月十五日(1817年7月28日)に浜町の家から今の葛飾区東金町にある半田稲荷に参詣した日帰り旅のルートを辿った話の続き。僕は浅草から歩き出し、東京スカイツリーの下から曳舟川跡の曳舟川通りをま…

嘉陵紀行「半田いなり詣の記」を辿る(その1)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)の江戸近郊日帰り徒歩旅行の足跡を辿るシリーズの第四弾。今回は江戸の東郊を歩き、現在の葛飾区東金町にある半田稲荷神社を参拝する。東京と千葉の都県境まで行くので、けっこうな長丁場である。 時は文化十四年水無月十五…

嘉陵紀行「千束の道しるべ」を辿る(その3)

村尾嘉陵(1760-1841)の紀行「千束の道しるべ」で彼が歩いた道を辿っている。彼が出かけたのは文政十一年七月二日、今の暦だと1828年8月12日である。この時、嘉陵は六十九歳。 peepooblue.hatenablog.com peepooblue.hatenablog.com 当初の目的地だった中延…

嘉陵紀行「千束の道しるべ」を辿る(その2)

文政十一年七月二日(1828年8月12日)、江戸の侍・村尾嘉陵が三番町の自宅から洗足池(千束池)まで歩いた日帰り旅の記録「千束の道しるべ」の足跡を辿っている。 江戸城下から虎ノ門を出て、今の桜田通りを歩き、三田、高輪と丘の上の旧街道を行き、雉子宮…

嘉陵紀行「千束の道しるべ」を辿る(その1)

江戸の侍・村尾嘉陵の紀行『江戸近郊道しるべ』を手にその足跡を辿るシリーズの第三弾。今回は「千束の道しるべ」である。大田区の洗足池まで行くので、けっこうな距離がある。 文政十一年文月二日(1828年8月12日)、六十九歳の嘉陵は中延村の八幡宮に参拝…

村尾嘉陵の旧宅跡

江戸の侍・村尾正靖(1760-1841、号は嘉陵)が残した江戸近郊散策記の足跡を辿るシリーズ。これまで井の頭弁財天、代々木八幡宮の旅のルートを江戸時代の風景に思いを馳せながら実際に歩いてみたが、第三弾の前にスタート地点である彼の自宅跡を訪ねてみた。…

村尾嘉陵「代々木八幡宮道の枝折」を辿る(その2)

江戸の侍・村尾嘉陵が代々木八幡宮に参詣した道筋を辿る話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 渋谷区代々木五丁目の代々木八幡宮と隣接する別当寺院の福泉寺参拝を終えた嘉陵は往路とは異なる道筋で帰路につく。そのルートは以下の通り。 南出の門を出れば…

村尾嘉陵「代々木村八幡宮道の枝折」を辿る(その1)

今から二百年ほど前、江戸近郊の散策記録を後世に残した侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)の紀行を辿るシリーズの第二弾。いつの間にかシリーズ化しているが、それぐらい面白い。ただ、日帰りなのに、ものすごい距離を歩くので、その足跡を実際に辿るのは…

高尾山から景信山へ

朝8時半前に家を出て、京王線で高尾山へ。 高尾山口駅前で、駅前の川の対岸にあった火の見櫓が消えていたことにショックを受ける。やっぱりどんどん消えていくようだ。 気を取り直して登山開始。9時40分。 沢沿いの6号路から入ったが、正月だし、やはり薬…

村尾嘉陵「井の頭紀行」を辿る(その3)

江戸の侍・村尾嘉陵(1760-1841)が文化十八年九月十五日(1816年11月4日)に井の頭弁才天に参詣した道筋を辿った話の3回目。たぶん最終回。杉並区の古社・大宮八幡宮に参拝したところから。 peepooblue.hatenablog.com peepooblue.hatenablog.com 「今日は…

村尾嘉陵「井の頭紀行」を辿る(その2)

前回の投稿からだいぶ間があいてしまったが、江戸の侍・村尾正靖(嘉陵)が文化十三年九月十五日(1816年11月4日)、井の頭弁才天まで出かけた道筋を辿る話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 嘉陵は堀ノ内村(杉並区堀ノ内)にある「厄除け祖師」で有名な…

村尾嘉陵「井の頭紀行」を辿る(その1)

江戸時代後期の侍・村尾正靖(1760-1841、号は嘉陵)が江戸の郊外のあちこちを歩いて旅した記録『江戸近郊道しるべ』については過去に記事を書いた。 peepooblue.hatenablog.com 村尾正靖は徳川御三卿の清水家に仕えた幕臣で、多忙な日常に追われながらも、…

藤沢から茅ヶ崎まで石仏をみて歩く(4)

藤沢市から茅ヶ崎市にかけて石仏めぐりをした話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 小田急線の善行駅からスタートして相模線の北茅ヶ崎駅までやってきた。もう少し探索を続ける。ここからまた『石仏地図手帖・神奈川篇』の「寒川から茅ヶ崎の石仏」を参考に…

藤沢から茅ヶ崎まで石仏をみて歩く(2)

小田急江ノ島線の善行駅を起点に藤沢市から茅ヶ崎市にかけての石仏を見ながら歩いた話の続き。 peepooblue.hatenablog.com 藤沢市大庭の舟地蔵をあとに小糸川沿いの道を100メートルほど行って左折し、さらに100メートルほど歩いて右折すると庚申供養塔がある…

藤沢から茅ヶ崎まで石仏をみて歩く(1)

9月に信州安曇野の道祖神めぐりをして以来、図書館で道祖神関係の本を何冊か読んだ。道祖神は塞ノ神などとも呼ばれ、村の入口や辻などに祀られ、災厄や疫病が村に入り込むのを防ぐ神とされたが、その後、道中安全、無病息災、五穀豊穣、縁結び、夫婦和合、…

江ノ島散策(3)

今日は夏至。東京の日の出は4時25分、日の入りは19時ちょうど。日の長さは14時間35分。といっても、朝から曇りで、太陽は出なかった(と思う)。夕方から弱い雨も。 昨日から鉄砲百合が咲きだした。この清楚な感じが好きだが、なんとなく葬式を思い出したり…

江ノ島散策(2)

昨日(6月19日)、江ノ島に出かけた話の続き。 昼食後、湘南港のヨットハーバーの前の聖天島を見物。この小さな岩山は昔は江ノ島とは別の島だったのが、関東大震災の時に地盤が隆起して陸続きとなり、さらに昭和の東京オリンピックの時に周辺が埋め立てられ…

江ノ島散策(1)

コロナ禍の影響もあって、ずいぶん長く海を見ていないな、と思い、一番手近な海ということで江ノ島へ行ってきた。 9時過ぎの電車で出かけ、成城学園前に着くと、すぐに江ノ島行きのロマンスカーがあることが分かり、ホームで特急券を購入。片瀬江ノ島まで行…

新緑の多摩丘陵を歩く(3)

5月3日に多摩丘陵を歩いてきた話の続き。 町田市小野路宿から万松寺谷戸、小野路城址を経て無人の山中を抜け、これも誰もいない町田市図師町の白山谷戸へ下ってきたところから。 ここが室町時代に道興准后が宿泊した半沢である。この付近のどこかに修験者の…

新緑の多摩丘陵を歩く

2月に多摩丘陵を歩いた時に「きっと新緑の季節はきれいだろうなぁ。その頃にまた来よう」と思った。ということで、また行ってきた。 今回は小田急線はるひ野駅(川崎市麻生区)をスタートして、多摩市が整備した遊歩道「多摩よこやまの道」を歩く。多摩市と…

春の筑波山(3)

4月9日に筑波山に登ってきた話の続き。女体山、男体山それぞれの頂きに立ち、あとは下るだけというところから。 帰りは前回と同じ御幸ヶ原コースをケーブルカーに沿うように下る。この道はいわゆる見どころはさほどないが、意外に険しいという印象がある。…

春の筑波山(2)

4月9日に筑波山へ行ってきた話の続き。 つつじヶ丘から登り始めて、標高877メートルの女体山に登頂したところから。 女体山をあとに男体山との鞍部にある御幸ヶ原へ向かう。ロープウェイやケーブルカーで来た人たちもこの区間は大抵は歩くので、老若男女、…

春の筑波山(1)

昨日(4月9日)、また筑波山に行ってきた。1月に登ったばかりで、ちょうど3カ月ぶり。 5時過ぎに起きて、小田急線~千代田線~つくばエクスプレスといういつもの乗り継ぎで、7時40分頃、つくば駅に到着。今回はつくばエクスプレスと筑波山へのバスの往復…

『廻国雑記』の道興准后は小野路を通ったのか?

先日、町田市の古い宿場町・小野路を訪れた後、ちょっと気になった、というか、関心を持ったこと。 道興准后は小野路を通ったのか? 道興准后(どうこうじゅごう)とは室町時代の僧侶である。1430年に関白・近衛房嗣の子として生まれ、幼くして仏門に入り、…

小野路の三社大権現跡(?)

先日、多摩丘陵の古道「布田道」を歩いてきたが、その後、いろいろ調べてみた結果、ちょっと気になったことがいくつかあり、もう一度行ってきた。 前回は小田急多摩線の黒川からスタートしたが、今日は新百合ヶ丘で多摩線に乗り換えるのが面倒で、鶴川から入…

小山田緑地

2月23日に多摩丘陵を歩いた話。小田急多摩線の黒川駅を起点に古道「布田道」を歩いて古い宿場町、小野路(町田市)を訪ね、小野路の里山を彷徨うように散策して小野路の集落とは反対側に下ってきた。ここを町田と多摩センターを結ぶバスが1時間に1本程度走…

布田道を歩く(3)

多摩丘陵に残る古道「布田道」を歩いた話の3回目。 鎌倉街道の別所から里山の雰囲気を味わいながら、谷戸の道を奥へ向かって歩いていく。 道はゆるやかなカーブを描きながら、少しずつ登っていく。 谷戸田の奥には野球グラウンドがあり、そこを過ぎると、谷…

布田道を歩く(2)

多摩丘陵に残る古道「布田道」を歩いた話の続き。小田急多摩線の黒川駅から歩き始めて、町田市真光寺町(旧多摩郡真光寺村)に入り、町田いずみ浄苑からようやく古道である。 しばらくは左下に霊園を見ながら歩く。 すぐに地蔵尊があった。天保十年建立だか…